第七集 毒と薬効

「……このにおいと霧は、悪性の腫瘍かな」

 霓瓏げいろうはイヨヒキが眠る布団に手を差し入れ、脈を診た。

 顔色、腹部の膨張、口に指を差し入れ舌も見た。

 霧は胸のあたりと頭の上がとても濃い。

「胃から肺と脳への転移。ううん、まさに重体というやつだな」

 霓瓏げいろうは口元に布を巻くと、すぐに鞄から百味箪笥と調剤道具を取り出した。

一位葉イチイヨウ日日草ニチニチソウ六角蓮ロクカクレン……」

 迷うことなく次々と選び、組み合わせていく。その間に、小さな壺で湯を沸かしておく。

――薬霓空華やくげいくうげ

 薬が淡く光り、一瞬強く香りを放った。

 混ぜ合わせた薬に湯を入れ、薬液を抽出したら茶器に移し、飲みやすいように葛でとろみをつける。

「よし。これでいいかな」

 霓瓏げいろうは器に入れたとろとろとした薬を少し冷まし、イヨヒキの口の中へとゆっくり滑らせていった。

「あとで身体の痛みと熱は取ってあげますからね」

 器に入れてあった分を飲ませ終えると、イヨヒキの身体にかかっていた霧がだんだんと薄くなっていった。

「さすが族長殿。病に侵されていても、内功の強さは健在ですね」

 霓瓏げいろうは一度天幕から出ると、ウルナを呼びに行った。

「ウルナ殿」

「おお、霓瓏げいろう! ど、どうだった?」

「もう安心していいですよ。薬は三か月間継続してもらわないといけないので、どなたかに指導したいのですが」

「俺に教えてくれ! 物覚えは良いんだ」

「わかりました。では、天幕に」

 ウルナは鼻を赤くしながら大きく息を吐いた。

 張りつめていた気が緩んだのだろう。

「プラミア様への報告はどうしますか?」

「あ、ああ、そうだな。それが先だ」

 「言ってくる!」と駆けだしたウルナは、どこか少年のように見えた。

霓瓏げいろう様!」

「あ、スニアク殿」

「族長は……」

「もう大丈夫ですよ。たしかに危ない状況でしたが、人間にはよくある病だったので、仙術で何とかできました」

「なんとお礼を申し上げたらよいか……」

「いえいえ。ただ、使っている薬草が毒と紙一重な性質を持つものなので、お食事には気を付けてあげてほしいです」

「かしこまりました。すぐに料理番たちに伝えます」

「胃腸を刺激したくないので、辛いものや海藻類はお控えください」

 霓瓏げいろうの言葉を逐一記帳していくスニアクの目にも、きらりと光る雫が浮かんでいた。

「族長殿は愛されておいでなのですね」

「……実は、私も子供なのです。族長の」

「……え」

「母親が魔女族で……。私が十歳の時に、母は一夫多妻制度に絶望して怒り狂いながら国へ帰ってしまいましたが、私は残ったのです。この草原から離れたくなくて」

「そ、そうなんですね……」

「母は同じ魔女族の男性と再婚し、今は幸せにやっているそうです。月に一回、『帰ってこい』と連絡が来るので困っているのですが、まぁ、仕方ないですよね」

「なかなかな人生経験をしていらっしゃるのですね」

「普通ですよ。異種族婚は色々と難しいですから」

「大人ですね」

「あはは」

 二人で話していると、満面の笑みでウルナが戻ってきた。プラミアを連れて。

「母上が世話をしたいそうだ。教えてさしあげてくれ」

「え、あ、はい」

「よろしくお願いいたします」

「あ、あの、顔をあげてください……」

 四人で天幕へ向かうと、ちょうどイヨヒキが目を覚ましたところだった。

「……ん? みんなしてどうし」

 イヨヒキの言葉が終わらないうちに、プラミアが抱き着き、ウルナとスニアクが号泣し出してしまった。

「あなた……、よくお目覚めに……」

「そんなに寝てしまっていたのか」

「二週間、眠りっぱなしだったのですよ」

「そうか……。苦労を掛けたな」

「そんなこといいのです。お目覚めになられたのですから……」

「ウルナよ、その方は……」

「あ、ああ。李 霓瓏げいろうという仙子せんしで、父上を目覚めさせてくれた功労者です」

「なんと、仙子せんし族の薬術師……。まことに、なんとお礼を……」

「薬術師としての誓いに従ったまでですので、お気になさらず。それよりも、お薬のことについてご教授さしあげたいのですが。三か月は続けていただかなければなりません」

「そ、そうでしたわね。では、お願いいたします」

 霓瓏げいろうは調合した薬を小分けにして、一月分ごとに袋に入れて渡した。

 食欲がないときのために葛湯も渡し、追加で解熱作用のある薬も包んで渡した。

 飲ませ方や飲む時間、吐き戻してしまった場合の対処法なども細かく説明した。

 大方の説明が終わると、イヨヒキにも注意事項を伝えた。

「体力が低下しているときは三分割してゆっくり飲んでください。お酒類は絶対にダメです。煙草なんてもってのほかです。性行為もダメ。口吸いもダメ。とにかく、ひたすら安静にしてください」

「承知しました。必ず守ります」

「軽い運動はしてください。お散歩とか、馬の世話とか」

「妻に連れて行ってもらいます」

「それが良いと思います。では、お大事に。何かありましたら、馬市の間は朱燕軍の野営地におりますので、いつでも呼んでください」

「何から何まで、感謝いたします」

「いえいえ。顔色がよくなられてよかったです」

 霓瓏げいろうはお辞儀をしてから出ると、小さく息を吐いた。

(ふぅ。疲れたぁ)

 祁旌きせいたちがいる方を見ると、すでにお昼ご飯を食べているところだった。

「酷い! わたしは仕事をしていたのに!」

 霓瓏げいろうはそこまで体力がないくせに走って朱燕軍の方へと走って行った。

 さすがに、祁旌きせいは作っていないだろうが、味付けの監修はしているだろう。

 朱燕軍は兵糧の調理が上手いことでも有名なのだ。

「わたしの分、ちゃんとありますか⁉」

 ぜぇぜぇと息を切らしながら鬼気迫る表情で訪ねてくる霓瓏げいろうに、下っ端の兵士たちは「ひぃえっ」と怯えた。

「お前はなにをしているんだ 。俺の部下たちを怯えさせるんじゃない」

「あ! 祁旌きせい殿! わたしの分のごはんは?」

「とってあるよ。さっさと専用の天幕立てて中で食え」

「はぁい」

 霓瓏げいろうはいつも朱燕軍が用意してくれる天幕ではなく、自分のものを使っている。

 なぜなら、天幕の扉が幻華天雛げんかてんすうに繋がっているからだ。

 人間が扉に触るとただの天幕の室内にしか見えないのだが、霓瓏げいろうが触れば、あの幻想的な桃の花が咲き乱れる美しい空間へと繋がるのだ。

 霓瓏げいろう祁旌きせいの隣に開けてある広い場所に、鞄から取り出した天幕を投げ、「えいっ」と仙術を賭けた。

 すると、空中でクルクルと回転しながら天幕は大きくなっていき、地面に降りる頃には立派な濃い緑色の簡易居住地が完成した。

「……せっかくだから、わたしも外で食べよう。今日はいい天気だ」

 「祁旌きせい殿ぉ。一緒に食べましょぉ」と言いながら、霓瓏げいろうは木の器をもって料理番の元へと向かった。

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