ほととぎす
地元はそこそこの都市部だけあって、図書館も大きい。
こう書くと「図書館があるだけで十分都会だ」と言われることもある。そもそも、図書館のない生活を考えられないので私の生息域は専らその周辺になる。
だが、困ったこともある。
人が多いのはまぁ、妥協できる。家から出る頻度を落とせば事足りるし、屋外での活動時間を極力減らせば良いだけの話だ。ネタバレが嫌なのでインターネットを断つのと同じ理論である。嫌いなものにわざわざぶつかりに行かない。それだけ。
では何に困るかと言えば、残念ながら図書館そのものである。
さて、わざわざウェブにまで足を運んで、場末の実話怪談を読みに来る数奇者なら図書館を形容するときに非常に高い確率で来る枕詞をご存知だろう。
そう、『黴臭い』だ。
残念ながら、私は図書館では鼻が利かない。
久しぶりに出た話なので少し補足しておくと、私は所謂「よくわからないモノ」の匂いを嗅いでしまう。したくてそうしているわけではなく、嗅覚だけそのチャンネルに合っているのだ。
困る。
何分、駄文を書くこともある(なんとこのサイトにも他に掲載している作品が存在している)ので当然図書館に資料や類型を探しに行くわけだし、そうでなくとも日常的に本を読んでいるから自然と世話になる。
つまり、頻繁に足を運ぶ施設にはほとんど居るのだ。
ほとんど、とは言ったものの、今まで足を運んだ図書館には例外無く居る。あくまで私が世界中の図書館を網羅していないから『ほとんど』と形容しているに過ぎない。
故に。黴臭い図書館というものを私は知らない。
さて、本題だ。
地元にはそれなり以上に大きな図書館があり、エレベーターまで設えてある。
あるのだが、私は基本的に棒立ちが嫌いなので、下りは歩いてしまう。
例えば五階から下るとなると、ほとんど人は見かけない。無料の施設だけあって、氏素性のやや怪しい人物が徘徊していることも稀ではない。そういう人間はだいたいエレベーターを使う傾向にある。老人だからだ。もっと健康な不審者は図書館などにおらず、アクティブな傾向にある。図書館は図書館だけあって、よくも悪くも静寂を好む人々が集まるのだろう。私のように変なところで行動的な不審者はいないので、階段はいつも空いている。
その日も中国文学の本を幾つか手に、階段を下っていた。
理由はシンプル。エレベーターが行ってしまったからだ。
五階から螺旋に近い形の階段を下り、自分の足音が擦り切れたタイルカーペットに吸い込まれる様を思う存分楽しんでいると、臭いがきつくなってきた。
まぁ、いつものことなので、またかと呆れてそのまま下っていく。
すると、五階に到着した。
建物は六階層以上ありはするが、五階から降りて五階には到達しないだろう。普通なら、だが。
ため息を一つ吐いて、窓から差し込む光りにきらきらと輝く埃を揺らし、まぁ仕方ないと歩みを進め……五階に到着した。
もうここまで来ると半笑いである。
三度目の正直も同じだったので、上に昇ってやろうかと画策。実行。結果は同じ。
またしても五階だ。
こうなれば意地比べである、と言いたいところだが、こちらは生憎とホラー作品の登場人物ではない。いや、ホラー作品の登場人物ではあるのだが、これは実話怪談というていで書いているので、実在の人物と同じ、もしくは似た行動を取らねばならない。リアリティとはどんなフィクションにも要求されるのだ。世知辛い。
我慢比べや知恵比べなどする気も無いので、窓からひょいと外を覗く。
無論、完全に開く構造になっておらず、開けようとしても途中でロックが掛かる。公共施設なのだ。ここから飛び降りでもあったら困るからだろう。
だが、外は見える。光りも刺す。
そして当然目が合う。
入道である。
入道は往々にして坊主姿で、大体の場合巨体だ。
姿格好は当然、袈裟姿。近場にある神社のそれと比べたことはないが、似たようなものだろう。流行り初めは江戸だったと思うが手元に資料がなく断言できない。
とはいえ、上から人を覗き見るタイプの入道である。
もうひとつのパターンとして、見上げ入道が存在するが、大抵の場合入道と言えば見下ろすモノである。
そいつも例に漏れず私を見下ろしていた。つまり、見上げ入道ではない。
これが見上げ入道なら話は簡単だったのだ(見越した、と言うとそれは消える)が残念ながらそうではない。
しばし袈裟姿の丸坊主と見つめ合う。思考すること数秒だろうか。
効くか? と思って口に出す。
「頑張り入道ほととぎす」
トイレを覗き見するタイプの入道を除ける呪いである。
ここは厠でもなければ、これが流行った時期もはっきりしている言葉なので由緒のある呪文ではない。何せ江戸時代に大量生産された入道への対抗呪文だからだ。
だが。
そいつは、音もなくひゅっと消えた。
まるで地面に突然穴が開いたかのように、真下に向かって落ちたか縮んだかした。
嘘だろおいおいと思いながら、バツが悪くなって頭を少し掻いたのを覚えている。
そのまま降りれば四階に着いたので、結局あれでよかったのかと苦笑した。
ちなみに、意味ありげに配置されていた中国文学は、この話に一切関係がない。
リアリティとは常に一定ラインを求められるものなのだ。世知辛い話だ。
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