狩り
生活というものは、時間と営みが折り重なり、積み上がって──あるいは薄埃のように無風地帯に溜まり溜まって──いくものだ。人、時、場所。全てが合わさりようやく完成する。それが現代の「イエ」だろう。
古くは血脈も大きく関与する特異点だったが、令和の時代に血の繋がりはさほど強くない。存在しないとは言わない。だが、核家族化による離散で物理的距離が発生した結果、影響力は翳りを見せた。
つまり、同じ屋根の下ではないという隔たりそのものに一定の意味がある。
例外こそあれど、今回は家の中の話だ。
血筋に依らない、純然たる建築物とその胎に宿る人の生活。それらから産み落とされたモノ、見出されたモノ、そして捨てられたモノの話だ。
その日は休みだというのに、電話一本で叩き起こされた。
私の休みは概ね、家の中でのんびり過ごす。正に「己を堆積する」わけだ。
家の外はどこに出かけるにしても不意にくる臭いに嫌気が差す。場所、時間などお構いなし。だから私は不必要な外出をほとんどしない。職場、図書館、映画館、友人の家。それら以外には行こうという気にもならない。
だから、電話で呼び出された時には大いに不満を持った。しかも当日の朝、事前の連絡も無しだ。
「何ですか」
私が不機嫌丸出しで応じると、その人(一応は兄弟子にあたる人なので無碍にはしないが、私の出不精はよく知られたものなのでこの態度にも相手はあまり気にしていない)はこう切り出した。
「家の片付けを手伝って欲しい」
ふざけるな、と言いたいところだが、わざわざ私に話を振るのだから、理由は察するに余る。
まぁ、その、内心としては「ふざけるな」ではあるのだが。
「だいたいわかりました。引越しでもするんですか?」
「いや、大掃除を事前にやっておこうと思って」
時計を見れば昼前だ。おおよそ、
「朝方から片付けを始めてたんですね?」
「なんで、あぁ、まぁ、うん」
それで、何か起きたのだろう。
「二時間くらいで着きます」
そうとだけ告げて電話を切り上げ、出立の準備に取り掛かる。
出不精男の身支度など、シャワーを浴びて食事をしたら終わりだ。簡単なものである。
電車に揺られ、歩くこと約一時間。約束の場所にたどり着くと、見知った顔がいくつか青ざめていた。
「おはようございます」
「悪いね」
「本気で言ってます?」
兄弟子は曖昧に笑うと、事の次第を話し始めた。
事態はシンプル。
年末年始は忙しい仕事に就いている先輩が、家の大掃除を早々に済ませようとした。そこで伝手を頼って何人か呼び出し、家の一斉大掃除を始めた。
始めたは良かったが、とある部屋を片付けようとすると、妙なことが起きた。
何故か、入ろうとする人が口を揃えていうのだ。
「怖い」
異口同音に、怖い、入りたくない、と。
何のことはない、ただの寝室である。誰かが死んだとか、使っていた人が亡くなったとか、そんな話は一切ない。ごくごく普通の寝室。寝床。
言い方を変えよう。人の、否、生活の温床だ。
兄弟子は家族で暮らしていて、その寝室は子供が使っているものだ。たかだか子供部屋に、何故か誰も入れない。部屋の主ですら「怖い」である。
正真正銘、誰も入れない部屋になってしまったわけだ。
わざわざ中学生のプライバシーにずかずか踏み入るのも好ましくないとは思ったが、依頼主の意向だ。一応、その子に許可をもらってからドアノブを握る。
プラスチックを木のイミテーションで覆った棒は、冷蔵庫から取り出したばかりの野菜の如く冷え切り、驚いて手を離すには充分な異常事態だった。
「くろかわくん、どう?」
「冷たいですね。娘さんに話を聞いてもいいですか?」
いいけど、と呟いて困惑する彼を尻目に、学生の女の子に顔を向ける。
「こっくりさん、エンジェルさん、あとは、うーん。まぁいいか。そういう類いのものをやったことはありますか?」
女の子は顔を横に振る。
「窓はよく開けますか?」
今度は首を縦に振る女の子。
「部屋の中で無くしたぬいぐるみ、人形は──アクリルスタンドでもいいや。あとは絵、缶バッジ。そういう、人の形をしたもの、もしくはそのシンボルを描いたものはあります?」
再び首を縦に、小さく頷く女の子。
「飽きて、どこに行ったかわからなくなって、そのままにしました?」
頷く。
「ねぇ、それ何の質問?」
親として当然の疑問が兄弟子から飛んできた。それもそうだ。いい歳をした男が自分の子供に意味不明な詰問を行っている。不安にもなろう。
「部屋に入る手続きをします。周辺地図はありませんか」
全部説明するのはかなり面倒なので、掻い摘んで要点だけ言葉にする。
お、おう、と喉から出かけた不安を仕舞い込んだ家主は、地図を探しに一階へと戻った。
「見つかったら捨てる気でいました?」
女の子に四度、質問する。すると彼女は案の定、
「はい」
と答えた。
つまり、彼女の家の中で生活を同じくし、しかし時間を経て飽きられてしまった。
イエの中の埃と似たようなものだ。ゴミは捨てられる。不要であり、邪魔であり、目をそらしたいものであるからだ。
「地図、あったぞ。何に使うんだ」
全くもって当たり前の疑念をぶつけてくる家主。一眼見て状況を再確認できたので、
「ありがとうございました。次からは丁字路の交差点に家を買うのは止したほうがいいですよ」
「お前、なにを、あぁもう。それで、部屋は」
先輩を小間使いにしておいて一瞬で用済み扱いは流石に自分でもどうかと思うが、自分が見てもすぐ解る程度には最悪だったので仕方ない。
苛つきを隠さなくなった依頼主を見て、解決せずに帰ろうかとも思ったが、部屋に入れなくなった思春期の女の子があまりにも不憫なので堪える。
先程の「最悪」は家の立地にかかる言葉だ。丁字路は通過点になりやすく、交差点は溜まりやすい。普通ならこんなところに家は建てない。だいたい駐車場にするか、空き地のままにしておく。
交差の先には山があり、正に「溜まるための場所」として最適だ。その上部屋は山側。つまり、あちら側に最も近い。
もう一度娘さんに向き直り、
「一緒に入って、捨てようと思った物品を探してもらえますか? だめならリストを作ってください」
「じゃあ、一緒に入ります」
消え入りそうな声で答える彼女。
「怖くなったら逃げて良いですから。そうしたら床の掃除だけして帰ります。無理はしないでください。責任は取れません」
何せ本職の拝み屋でもなければ、きちんとした修行を受けたわけでもない。
何度目かの頷く彼女を見て、ひんやりとしたノブをぐるりと回す。そのざくりとした感触に、
「雪白?」
思わずぽつりと零すと、
「え?」
後ろから不審の声が上がる。
獣臭さは無い。雪女の線も考えたが、甘い臭いがする。
なら、真っ先に浮かぶのは。
「あなたが失くしたものは白雪姫ですか?」
説明するのが難しい、と言いたげな表情をする彼女。きっと私も同じ顔をしていたろう。
「白雪姫をモチーフにしたキャラクターで……」
「なるほど。私が見てもそれとわかりますかね」
「難しいかも」
「では、画像あります? あと名前」
露骨に恥ずかしげな顔をする彼女。まぁ、嫌だろう。見ず知らずの大人に自分の好きだったアニメだかゲームだかのキャラを説明しろ、などというのは羞恥が強いはずだ。少々酷だが、今回私はレーダー役としては使い物にならない。実働部隊だ。
「それは恐らく、捨てられることを恐れて隠れます。少なくともあなたからは。だから、私が捕まえます。そのあと捨てるかどうか決めてください。ただ捨てるだけでは戻ってくる場合もあるので、供養します」
私はできるだけ優しく言ったつもりだが、内容が異様なことには変わりない。生きているわけではない物が隠れる。捨てたはずの物が帰ってくる。その上「供養」という単語。まさに狂気の世界だが、仕方ない。
「あの、本気で言ってます?」
当然の反応だ。だから、
「では、片付けはお一人でできますね?」
それじゃ来た意味ない、と呟く彼女。
そう、誰もやりたがらないから連れてこられたのであって、誰かができるなら私が手を出す理由は無いのだ。だから、
「お一人でできるなら帰ります。知らないおじさんに部屋上がられるのも嫌でしょう。お父さんには私から伝えておきますので、ご自身で頑張ってください。それでは」
要らないなら余計なことには手は出さない。面倒だし、何より障りがあれば怖い。
不要なら不要でいいのだ。面倒事に付き合う理由はない。私はラヴクラフト作品の登場人物ではない。
すると、
「手伝ってくれるんじゃないんですか」
食ってかかられた。正直こちらも嫌々である。
「あなたが異常者だと思っている人を自室に入れて良いと考えるなら手伝いますよ。不安なら下の階にいる皆さんも連れてきて下さい」
「……話し合ってきます」
「一緒に行きます。私が勝手に部屋へ入ったら困るでしょう」
その後は予想通りだった。
全員が全員、入りたがらない。
『部屋の前にいるから、入ってもらえ』
『扉は開けたままにしてもいい』
そんなわかりきった結論を出すための無駄な会議に一時間ほど費やした後、今度は三人で二階に戻ってきた。大人たちは結局、私と父親だけが来た。そんな彼も部屋の前で待つという、消極的参加だ。
「入っても構いませんね?」
「……どうぞ」
確認する私に、渋々といった顔で頷く女の子。
ひやりと冷たいドアノブを手に取り、ざくりとした感触を回す。雪の中に手を突っ込んでいるみたいだ。
嫌気を押し込んで扉を開くと、拒絶の冷気が頬を襲う。
ゴミ風情が。一丁前に付喪神気取りか。
この先は少々正気を疑われる表現が含まれるが、その辺りは許して欲しい。
言語化が難しいのだ。
私は海月とプラスチックを足したような材質の白くぬるりとした半透明の人形の左腕を背中から無数に生やし、それを部屋中に張り巡らせていく。無論、他人には見えない。私の中のイメージがそうなのであって、現実の話ではない。
そうこうする内に、冷たいものが『人形』に触れる。掴もうとすると、するりと『人形』から抜け出す。『人形』は大人しく従順で、心配性だが器用だ。反面かなり握力が弱く、何かを掴ませるには向かない。掴んだものがもがけば簡単に抜け出せてしまう。
だから、当たりだろう。
次の出番は右腕だ。こちらは二種類が一本ずつ。獰猛な腕と悪辣な腕である。生やすのはやはり背中。どちらも『人形』と違い好き勝手に生やしたり増やしたりはできないので、私の背中から直接伸ばして獲物を狙う。
冷たいものが逃げた先に『獰猛』を伸ばし、周囲を叩きつけて脅す。部屋中でバンバンとラップ音が響き、後ろの二人が小さく悲鳴を上げたが、気にしない。依頼主や家族を怖がらせるな、という話は受けていない。私を呼んだ以上はこうなると知っていたはずだ。信じなかったことを責めるつもりはないし、実際に事が起きてから話が違うと言い出さないだけマシである。
久方ぶりに暴れる『獰猛』は楽しげに、窓に設置した『人形』から逃れたそいつを追い詰めた。
『獰猛』はあまり力加減が出来ない上に精度も良くない。ぎりぎりのところで躱されるが、そこに『悪辣』がすらりと差し込まれる。
獰猛は斧や鉈、時には鈍器に近いが、悪辣はむしろ刀や槍に使い勝手が似ている。
最後には、からん、とあっけない音がして、ネックレスだかペンダントだかが床に落ちた。
私は腕を全てしまい込み、
「捜し物はアレですか?」
と女の子に聞く。彼女は真っ青な顔で、
「見つからなかったのに、なんで」
と呟いていた。
その後はただの大掃除だ。
夕食にも勧誘されたが、娘さんが気味悪がるだろうと思って辞退した。先輩はその場の全員に声をかけた以上、私だけを無視するわけにはいかない。だったら自分から断れば相手に余計な気を使わせず済む。
結局、獲物──キャラモノのペンダント時計らしい──は私の手元に来た。気味が悪くて持っていられなくなったのだ。元々捨てるつもりだったのもあって、三重の意味で厄介払いだ。
こいつも運が無いな、と思いながら生身の右手でそれを弄ぶ。
狩りの最後の愉しみといえば?
勿論、食事だ。
私は一言、
「食っていいぞ」
とだけ背中に告げた。
数秒後、ペンダントから発されていた甘ったるい果実の臭いは消えた。
抜け殻は既にお焚き上げに出した。安物の金属時計が燃えるかどうかはわからないが、私にはもう関係のない話だ。
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