適応

 進化というと、とある個体が過去の個体よりも環境に適応した形になった、という意味になる。個体差があるかどうかいまいち把握できないので、ここでは「適応」と表現しようと思う。



 ずいぶんと昔の話からことは始まる。


 一人でテレビを見ていた時分のことだから、それこそ年齢は一桁代だ。私は中学に入った頃から、テレビのモニターを眺める時間はほとんど、ゲームをプレイする時間に充てていた。その習性は今でも続いている。だから、最初の話は小学校低学年ほどの時期だ。


 動く画像と流れる音楽、人の喋る様子をただ見ていた幼い私。どんな番組だったかはよく覚えていない。ただ覚えていることが二つだけある。

 一つ。ランドセルを背負ってテレビを見ていたこと。

 二つ。誰もいない家でそのテレビが点いていたこと。


 帰って来たら点いていたのだ。恐らく、誰かが消し忘れていたのだろう。


 両親は共働きで、半ば祖父母に育てられた私が家に一人になる時間はかなり短い。常に誰かしらが家にいた。きょうだいのときもあったし、両親が帰ってくるまで祖母が家にいることもあった。

 だが、その日は珍しく一人きりだった。


 今と違ってテレビは一家に一台。スマートフォンやインターネットに繋がった個人用のパソコンも無い。チャンネルを自由にする権利が無かったから、その当時の時点でテレビを注視する習慣も無かった。

 ただ、漫然とそこにある音楽、人の声、動く映像。それが私にとってのテレビだ。


 それが、家族の意図に反して勝手に何かを喋っている。

 私自身は番組に興味がないので、消してしまおうとリモコンに手を伸ばした。

 その時だ。


「ちょっと君」

 誰かに話しかけられた。


 はて、と思って周りを見渡す。

 誰もいない。

 家には一人だけ。


 まぁいいか、とリモコンを手にとって、テレビに向けた瞬間、

「消さないで、見ていってよ。そこの君」

 モニターに映る誰か(私は芸能人をほとんど知らないので、その人物が誰かも当然判らなかったし、今は覚えていない)が声をかけてきた。

「ねぇ、きいてr」

 聞いていないのでリモコンのボタンを押してテレビを消した。


 静かな家は読書に最適だった。それはよく覚えている。


 ここまではよくある話だ。話者が冷淡に過ぎるから少しホラーとしては怖さが足りない難点はあるが、テレビ、もしくはラジオが話しかけてくるという話は枚挙に暇がない。



 時代は移り変わって現代に至る。

 というか、を書いている5分ほど前だ。


 今、私は料理番組を聞き流している。料理番組と言っても料理人と芸能人が沢山と出てきて「わぁ美味しそうこれは美味しい」など言い合うものではない。淡々と調理の方法を紹介するだけのものだ。カメラは一台、料理人が一人。ただ、手法を詳らかにしていくだけの番組である。


 勿論テレビではない。家にはあるが、私がそれを見る習慣はついぞつかなかった。今、流している番組はネット配信のそれである。

 特に理由無く後ろで流しているだけである。料理の方法は都度調べるし、何よりも動画は長い。紙面で欲しいタイプだ。

 所謂、作業用BGVというやつだ。残念ながらVの部分は見ていないので実質Mだ。


 さて、そろそろ何が起きたか判ってもらえたろう。

 話しかけられたのだ。


「この葱と生姜の汁を、ちょっと、お兄さん聞いてる?」

 聞いてはいる。

「鶏肉に染み込ませると、唐揚げがジューシーに仕上がるんです」

 なるほど。

 揚げ物は作らないから無駄な知識が増えていく。

「いやいや、作ってよ。お兄さん。せっかく見たんだし」

 悪いが、聞いているだけだ。


 もう少し正確に言おう。耳に入っているだけだ。


 その後はつつがなく鶏の唐揚げが完成し、番組が次の回に移行した。

 そこからはまだ話しかけられていない。



 たまにあるのだ。きっとこの先もあるだろう。

 よくあるらしいのだ、話しかけてくるメディアというものは。

 ただ、今回はじめてネット配信に話しかけられた。なるほど、こうして怪異も環境に適応してくわけだ。

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