くらくらさん
呼び方に悩んだ挙げ句、こんな名称になってしまったのだが。
我が家にはくらくらさんが居る。
こう書くとゆるキャラみたいで結構可愛らしく見えなくもないが、それなりに困る存在ではある。
困りこそすれ、障りは無い。本人確認もしたし、何故そんなことをやっているのか聞いてみても単に行く場所が無いうえに自発的な移動もできないらしいので、放っておくしかない。
無理矢理消すのは容易だろうが、それはこちらの主義に反する。
故に。困ってはいるが同居も詮無しと許諾した、そんな曖昧な話だ。
さて。
くらくらさんの何がどう困るかといえば、触れた相手に軽い目眩を起こさせる。
少し考えてみて欲しい。例えば暗い廊下で急に脚がもつれる感覚を覚えたら、どうなるのか。階段の上り下りの最中にバランスを失ったら。立ち上がろうとした瞬間に視界が定まらなくなったとしたら。
誰であれ、それなりに困るのではなかろうか。
いや待ってくれそれは障りではないのか、という突っ込みが入りそうなので後出しになってしまうが言っておくと、くらくらさんはしたくて目眩を引き起こしているわけではないのだ。自発的でなく、自動的に接触と目眩が関連してしまっている。
規模は違うが、歩いていたら蟻を踏んでしまった、くらいの感触かもしれない。
先にも書いた通り、くらくらさん自身も自分の移動方向を決定できるわけではないらしく、家の中を乱反射している。
階段で触れ合うこともあれば、トイレの最中に目の前を飛んでいくときもある。先程は生姜焼きを作っている私を尻目に、食卓に埋まっていた。
曰く、制御できないのだそうだ。
さて。ここまで書いておいてなんだけれど、もしこれを全部読んでいるような人なら首を傾げるだろう。
「お前は臭いしか解らないのではなかったか」と。
これに対する回答は残念ながら、背中の腕を生やしている間は少しだけ、位相が向こう側に寄る、としか言えない。
我ながら正気を疑う文言だが事実だ。失せ物探しの真似事をしている回をいくつか読んでもらうと、臭気以外で知覚しているのが見て取れると思う。
くらくらさんをはじめに知覚したのは左の人形の腕であり、私たちがくらくらさんに気付いていないときから警句(声は出せないので慣用句だ)を発し続けていた。何か居るらしいと私に知らせた彼女では、くらくらさんを掴んで引き止められるほど握力が無い──やり方はあるのだが、やりたくない──ので、仕方なく待ち受けることにして、右の獰猛で蝿を叩くように捕まえた。
事情聴取の結果、目眩の原因が特定できた、というわけだ。
先月から耳鼻科眼科脳外神経科血管科に精神科とたらい回しにされた挙げ句、原因がオカルト話なので主治医に伝えるわけにもいかず困っている。病院代も馬鹿にならないし、時間だって取られる。まぁ原因は究明したのでもう行かなくて済むのだが、それはそれとして出費は少なくはなかった。
くらくらさんは半ば臭いの空白地と貸した我が家以外で生きて(?)いくのは難しいほど弱いらしく、じゃあなんで生身の私に干渉できるんだ解らん、という始末。
話し合った……というか、右手二本が脅した結末が「階段など危険な場所を歩いているときにぶつかりそうなら迎撃されるのを是とする」というなんとも可哀想なオチである。
おかげで、パソコンの前で打鍵している時にくらくらさんとぶつかって誤字ることはあっても、足を踏み外して転ぶことはなくなった。
ただ時折、獰猛や悪辣が凄まじい速度で伸びると同時に小さく悲鳴が上がるようになっただけだ。
色々とまとめてみたが、今はあまり困っていないことに気付く。
故に。障りは無い。
実話怪談/澱 くろかわ @krkw
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