拾太郎

 決まりごとには必ず意味がある。

 では、その決まり事を作ったのは誰かと言われれば、大抵は土着の神やそれを奉る人々、となる。

 神というとご利益ある存在だとか、災いを成す何かを想像するかもしれない。ただそんな大層なものでなくとも、神は神である。

 概ね、由来由縁すら不明になってしまった奇習奇祭の類がある地域には神がいた。もしくは、いる。そんな理解で良い。



 私はあまり友人を家に呼ばない。

 私の部屋が狭いだとか、妙なものが住んでいるだとか、それだけの理由ではない。


 私の住む家の近くには、拾太郎がいるのだ。


 拾太郎ひろいたろう

 バブル期に開発され、拓いた山に作られた住宅街。その中にひっそりと存在する謎の存在。


 曰く、この坂で転げた物は拾太郎の物になるから、人が拾ってはいけない。

 曰く、この坂の横の森は拾太郎が住んでいる。

 曰く、拾太郎は執念深く、自分の物を必ず拾いに来る。

 曰く、拾太郎はつねひかり。つねひかり。

 曰く、いらないものを拾太郎に拾わせる風習があった。

 曰く、ゴミを捨てる場所をきちんと決めておかないと拾太郎に持っていかれる。

 曰く、坂下の井戸は拾太郎の住処になっているから取り壊せない。

 曰く、──────




 私が学生時代の時分、未だ例の彼女が存命だった頃の話だ。

 私はそういう不可思議なものに鼻が利き、彼女はそういったものの音を聞く。喫緊の状況に強い私と、予知的な受信をする彼女。私達はそういう相補性と、他人に聞かせれば正気を疑われかねない共通点があった。当然、互いに友人は少ない。必然的に私達は二人で居ることが多くなった。

 そういう関係が残っていた頃の話である。



 私の家に向かう途中に、拾太郎の坂道を登る必要がある。

 運動不足著しい彼女を置いていかないよう、私の歩調はかなり緩慢だった。常日頃から歩き回っている私と、妙な音を耳から拾ってしまう体質故に引きこもる彼女との体力差は歴然としていた。故に、彼女の「待って」を「疲れたからちょっと待って」の意味だと捉えてしまったのだ。


 時刻は昼下がり。坂道にしがみつくようにそびえる住宅には人がおらず、耳鳴りがするほどの静寂に包まれていた。日差しはとろりと生温く、まるで巨大な生き物の腕にすっぽりと収まっているような心地だった。


「待つよ。少し休む?」

 駅から坂道の入り口までも、緩やかな傾斜が続いていた。通常、坂道と言われ想像できるくらいの坂がずっと続いていた。後から言われて気づいたのだが、十五度近い傾きにならないと「坂」だと認識しない悪癖が私にはある。

 故に、坂道を上っている自覚なしに歩いてしまった。

 歩き慣れていないのなら、ここまで来るのも大変だったろう。そう思ったのだ。


「違うの。待って。行かないで」

 行かないで。かなり逼迫した言葉選び。彼女とは手を繋いで、横に並んでいる。

 行かないで。この状況で?

 それはつまり。

「坂道を登らないで、ってこと?」

「うん」

 荒れた息の合間合間から漏れる、彼女の言葉。

 そこでようやく私は気付いた。

「何が聞こえる?」

 私には何も知覚できなかった。


 それもそのはず。私はこの付近で生まれ育ち、この場所の臭いが染み付いている。自分の臭いに気付ける人間は多くない。私は私の臭いに無頓着にならざるをえない。


「変な、歌」

「歌。どんな?」

 変な、と言うからには意味不明な文言だろうと思って聞き返せば、

「ひろいたろうは、つねひかり?」

 案の定、理解できない文章だった。


「拾太郎は、さっき避けて通った井戸に住んでるって言われてる、なんだろう。妖怪みたいなものなんだけど」

 ちなみに、私は彼女に拾太郎の話をしたことはない。それでも聞こえるという。私にとって彼女は話の過程を飛ばして会話できる稀有な相手だった。

 井戸も災害時用のものであり、中から女がひょっこり出てきたりはしない。

 だから、彼女から拾太郎の名前が出てきた時には、嫌な予感がした。


「妖怪」

「神でも良いよ。根本は一緒だ。ここで捨てられたり転んだりしたものは、拾太郎の物になる。だから小銭や財布には気をつけろって」

 みるみる内に不安で表情が曇る彼女。

「つねひかり、ってなんだろう。ひろいたろうはつねひかり、つねひかり。二回繰り返すフレーズがずっと耳の奥から離れないの」

 つねひかり。常光。常飛雁。意味が通らない。つねひ、で区切っても解らない。

 では、訛ったか。


 拾太郎は常、怒り。


「拾太郎は、常、怒り。で、どう?」

「そう、かも」

 自信なさげに彼女は言う。

 こちらの感知能力が利かない相手である以上、彼女頼りなのだが、不明なものに首を突っ込む必要もない。


「じゃあ、家に来るのは止めとく?」

「え……」

 見るからに萎れる彼女。友達の家に遊びに行く予定がキャンセルになっただけだ。何をそんなに残念がるのか。

「いつも通り図書館に寄って、あなたの家に帰ろうか」

 少し遠回りにはなるけれど、それが一番いい気がした。彼女の予知聴覚が警句を告げた以上は避けて通るべきだ。彼女の身に災いが降り掛からない限りは。

「うん……」

「まだ聞こえる?」

「うん……」

 主張の弱い相手なら、私達がこの道を通らないと決めた時点で音が止む事もある。それでもまだ彼女の耳朶を打つのなら、執念深い相手ということに他ならない。


「登らなければ何も起きなさそう?」

「うん……ごめん」

 すっかりしょげた彼女の手を引き、

「気にしない。そういう約束だろ」

 私は坂道に背を向けて、大通りへと歩き出した。




 私は、あの坂で転んで死にかけたことがあるそうだ。その傷跡もまだ残っている。

 拾太郎からすれば、坂道で転んだモノは自分のモノ。にも関わらず、私はこうしてぼんやりと生きている。あちらとしてはルール違反だろう。

 それに怒っているのかもしれない。

 

 拾太郎は常怒り、常怒り。

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