実話怪談/澱

くろかわ

 実話怪談、ホラーといえば聞こえは良いかもしれないが、これは半ば私小説であり、体験談に脚色を加えたり不要な要素を削ったりしたものである、と理解していただきたい。

 なので、調べて暴いてやろうだとか、本当にあったことなのかと疑ったりだとか、そういう楽しみ方はあまりお勧めしない。ただの娯楽として文字を消費して欲しい。

 実話怪談というのは民話の側面が強く、話者によって要素が増えたり、内容が盛られたり、逆に忘れられて消えたりする。そういったものが連鎖し、堆積した結果が実話怪談だ。つまり、得体の知れないよくわからない話である、というのが大前提だ。


 その上で。

 これから話すの内容はかなり脚色を加え、事実とは異なる捻りを用意し、それでいて実話怪談故にオチが無い。そういうモノだと思って見てほしい。

 それと一番大事なことを。私は私の安全が確保された範囲しか書かない。



 山の話だ。

 正確には、山に魅入られた友人の話だ。

 山の怪談は探せばいくらでもある。その中でも特別物珍しいとか、特記すべき事件が起きたとか、そういうドラマティックな物事は何一つ起きない。

 ただ山があり、ただそこに行ってしまった人がいる。それだけの話だ。


 時間は学生時代に遡る。

 早朝にメールが来て、驚きと共に不満を漏らしながら私は布団から起き上がった。携帯電話(当時はスマホもなければLINEもない)を手に取り、中身をいちいち確認する。

 その時点でかなり嫌な予感がしていた。

 携帯電話はサイレントモードで、アラーム以外は音が鳴らないようなっていた。それがけたたましく響いた。

 着信は電話ではなくメール。内容は一言『起きてる?』だけ。

 送ったほうもあまり返信には期待していないであろう時間帯である。窓を見れば朝日は昇ってこそいるがまだ暗い。時計は四時二十九分と表示されている。

 だが、メールの相手とは二人だけの秘密を共有していた仲だった。彼女が悩むとすればそれ絡みだろうし、彼女が当時その事を話せる相手は私一人だったので、電話をかけることにした。

 事態は一刻を争う可能性があるからだ。


「もしもし」

 と涙声で応じる彼女は、所謂『見える人』の類型だった。正確なことは今となっては確認のしようがないが、彼女は『聞こえてしまう人』だったそうだ。どれくらい『聞こえる』かと言うと、日常生活に支障が出るほど酷いものだと言っていた。不意に意味の解らない音が聞こえて、耳にこびりついて離れなくなるのだという。そして、後になってから「あの音はこれだったのか」と気付く。予知聴覚と言えばいいのだろうか。よくわからないが、当時私達の間では「ソナー」と呼ぶことにしていた。とにかく、周囲の誰かに起きる未来のことが聞こえる、という理解で構わない。

 事実、彼女は周囲と距離を取っていたし、必要にかられなければほとんど喋ることのない私とだけ仲が良かった。それくらい頻繁に聞こえてしまい、それ故にコミュニケーションも不得手だったのだ。


 話を戻そう。


「何が聞こえた?」

 と問えば、

「雪を踏む音、だと思う。脚引きずってるみたい」

 と返事が来た。


 このやり取りの前日、とある友人(Oさんと呼ぶ)が山登りに行くと言っていた。その場には彼女と私の他にも何人か居たが、皆一様に「いつもの山か」と流していた。Oさんは私と彼女より二十以上も年嵩で、立派な大人だった。これは後になって知ったことだが、恋人もいたらしい。

 季節は八月。雪のある山に行くが、危ないから雪のある場所には近付かないとOさんは言っていた。彼はかなりベテランの登山家で、学生の頃から一人であっちこっち世界中を飛び回っていたそうだ。Oさんと幾度か会話した限りでは、それなりに自信があっても、危険な場所に立ち入る愚を犯すタイプではない。明るく快活で、よくおどける人だったが、その実は慎重に過ぎるきらいがあるほどだった。


 三秒ほど考え込んだ私は、

「鉄の音はする?」

 と聞いた。アイゼンを履かず雪山登山はしないだろうから、危険があるとすれば鉄の音が無い時だ。

 彼女は即座に断言した。

「しない」

 ここから解ることが幾つかある。

 まず、不慮の事故で山道を逸れ(滑落ではなかろうか)、雪の残る場所に入ってしまったらしいこと。

 次に、恐らく彼女は一睡もせずこの音を聞き続けていたこと。


 残念ながら音を止める手段は無いし、Oさんの恋人に連絡する手段もない。

 当時は、とある山に遭難者が出たかもしれないから捜索に行ってくれ、と該当する地域の山岳捜査隊に打診しても、そんなあやふやな情報で動いてくれるとは思えなかった。私達はOさんの装備や服の色をほぼ把握していないに等しいし、条件に当てはまる山の数もそれなりにある。そして通報者は十代半ばの子供だ。悪戯だろうと一蹴されて終わるのは目に見えていた。

 後になって知ったが、捜索願は家族や親族が出して初めて受理されるものらしい。


「Oさんにメールしてみる。運が良ければまだ電波が届く位置にいるかもしれないし、雪のある場所まで滑ってないかもしれない」

 かもしれない、の山だ。根本的な解決手段は無い。

 Oさんにメール入れてみるから電話を一旦切る旨を伝えると、彼女は不承不承だが承諾してくれた。

 と言っても、私にできるのはただ文字が届くようにと祈って携帯電話をいじくるだけだ。『滑らないでください』とだけ打って送信。届いたかどうかは不明。もし届いていたとしても、相手からしてみれば朝の四時半過ぎに意味不明なメールが送られてくるだけ。


 すぐさま彼女に電話を折り返すと、その声は完全に泣き声に変わっていた。

「ズルって音がして、そのあと全部の音が止んだの」

 彼女はそれだけ言うと大声で泣き出した。


 その後、それとなく聞いてみたが、コミュニティ内でOさんから連絡をもらった人は誰もいなかった。死亡認定されたかどうかも判らないが、恐らくOさんは見つかっていないはずだ。

 あの意味不明なメールに対して、Oさん独特のおちゃらけた返信もなかった。死亡前に受信していたのが発見されれば誰かが確認するはずだ。

 今日に至ってもまだ返信はない。


 私はもう諦めていた。彼女をなだめて仮眠を取るよう促した日の深夜、突然あの嫌な匂いが鼻に突き刺さって、しばらく漂ったあと消えたからだ。

 あれは、人が死んだときの匂いだ。

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