よくある話だ。困ったことに、たくさん前例のある話で、特に目新しいものではない。古臭いし、黴臭い。そんな話だ。



 いつの頃からかはよく覚えていない。

 最初の頃と比べて色も変わった。

 何が?

 そう、髪だ。


 これを書いている私は男性で、長い髪型は好まない。他人の髪の長さを話しているのではない。自分の髪を伸ばそうという気にはなれない、という話だ。耳に触れるだけで鬱陶しいし、額にかかったら邪魔で邪魔で仕方ない。その割にずぼらなものだから、おでこに手を当てて髪の毛を退ける癖まである。

 人生の中で髪の毛が長かった時期は無い。一度もない。伸ばそうと思ったことも無ければ、あまり長くならない体質に悩みもしない。むしろ、髪の毛が鬱陶しいと自覚してからは喜ばしいくらいだ。


 だから、長い髪を部屋で発見すると少し呆れる。


 家族も全員髪が長い方ではなく、母ですら顎より下には髪を伸ばしていない。

 にも関わらず、私のいる部屋には、いつの間にか長い髪が落ちている。

 

 落ちていることがある、というレベルではない。

 毎日どこかで見つける。

 畳の上、排水溝の入り口、学校の机の近く、布団シーツ、テーブル、枕、ベランダ、トイレ、階段、玄関、職場のデスク、電車内の隣の席、靴の中。風の中に揺らめいていることもある。器用にドアノブに引っかかっていることもあった。


 最初は金髪だった。理由は良くわからない。祖母の家にあり、いつの間にか見なくなったフランス人形のそれと同じ色だった。

 金色の髪に、青い瞳……だったと思う。思い入れが無いから顔の作りは曖昧だ。目立つ青いドレスだけは覚えている。帽子は被っていた。いつもガラスケースの中に鎮座していたが、結局アレがなんだったのかは未だにわからない。誰が買ってきたのか、それとも貰われて来たのか。誰かに聞けばわかることかもしれないが、どうでもいいので由来不明のままだ。


 彼女の美点は、他の人形と違って私を見つめて来ない点にあった。

 まるで「わたしは美しい人形なのだから、見つめられるのが仕事であって、自分から見つめるなんてするわけないじゃない」と言わんばかりだった。


 他の人形は、特に精巧なものは少し怖い。目が合うからだ。



 大型の人形……ドールというらしい。それを趣味にしたい友人に付き合って、人形の専門店に連れて行かされたことがある。

 あの時の体験はかなり形容し難い。

 店内のそれらが一斉にこちらを向いた。

 当時はもう慣れきっていたので恐ろしいとは特に思わなかったが、店員の困惑は見て取れた。

 友人は華美な装飾を施された人形たちに喜んでいたので、特に何も言わなかったし気付いていなかったと思う。

 だが、間違いなく首が動いていた。店の扉が開いた瞬間に、からんからんとドアベルの鳴る音に混じって、プラスチックだろうか、素材の擦れる音がした。


 正直申し訳ないとすら思った。店員は明らかに困っていたし、人形は気になって目を向けたらそこにいるのは冴えない男だ。残念ながら購入する気もない。期待外れも良いところだろう。

 比較的新しいものとは目が合わなかった。まだ生きていないのだろうか、それとも興味がないのか。まぁこちらも無関心なのでお互い様だ。

 とにかくその日、その時は面倒だな、という気持ちだけが残った。



 少し話は逸れたが、部屋に髪の毛が落ちているのだ。祖母の家にあったあの人形が健在だった頃は、その人形と同じ色の髪の毛が落ちていた。

 幼い時分だったので材質を調べようとは思わず、ただ「まぁそういうものなんだろうなぁ」くらいに考えていた。

 その祖母の人形もいつの間にかいなくなってしまった。それ以来金髪が部屋や自分の周囲に落ちなくなった。


 あのフランス人形が本当にあったのかどうかも、実は少し怪しい。

 私を含めて、誰もそれの存在を俎上に載せることなく消えたからだ。

 大きさは三十センチほど。スカートが広がって、奥行きも横幅も結構あった。

 とにかく目立つのだ。

 のだが、誰もそれについて言及しなかった。無くなった理由もよくわからない。祖父の葬儀の頃には無くなっていた、気がする。葬儀にあたって処分したという話も聞かなかった。本当に、いつの間にかいなくなっていた。


 そこまでは良い。別に、人形一つ消えただけだ。思い入れも無い。思い出も無い。ただ「そういえばあったな」くらいのものだ。

 こうして金色の髪の毛は現れなくなった。有り得そうな因果関係を見出すならこれくらいしか心当たりが無い。


 問題はここからだ。

 再び、髪の毛が現れるようになったのだ。


 当時健在だったとあるアミューズメントパークに行った時である。何故か怖い話をするショーハウスに入ろうという流れになった。


 全くもって理解不能である。私は怖いものは苦手だ。怪談を聞き流すくらいなら日常的にやるが、自ずから身銭を切って怪談を聞きに行くまではしない。読書するときも買うことはない。精々図書館で借りるくらいだ。怪談は短編集が多く、出先で手短に読むにはうってつけではある。先に言ったように聞き流すにもちょうど良い。物語的な文脈を理解しなくて良いし、背景は登場人物や後から出てきた解決役、もしくは話者が勝手に全部喋ってくれる。手軽に接種できる娯楽として優秀なのだ。

 だが、金を出す気はさらさら無い。


 だから、いきなりホラーハウスに行こうと誘われた時には正直嫌だった。

 まぁ、無碍にするのも悪い。怖がりだと思われるのは別に良い。実際そうだ。だが、二人きりでせっかく誘われたのに断るというのも気が引けた。幸い匂いもほとんど無く(常に匂いはまとわりつくがその時は比較的薄かった)、まぁいいだろうとぼんやり思った。

 そういう理由でなし崩し的に入ったのだが、それが失敗の始まりだった。


 わざとらしく薄暗く絞った照明、仰々しく貼られたたくさんの御札、壁に並べられた小さな人形の数々。そんな部屋の中に一際目立つ一体の人形。赤い和服を着た、長い黒髪の少女の形。

 そいつと目が合った。

 明らかに首が動き、眼球がこちらをぎちりと睨みつける。

 スタッフをちらりと見たが、気にしていないのか気付いていないのか、粛々と席への案内をしていた。


 運悪くというか案の定というか、私の運は基本的に常に悪い。その人形の真横へと案内された。そりゃそうだ、だって先頭だったもの。

 人形の首は完全にこちらを向いている。いやいや、おかしいだろう、他の客も見ろよ。そう念じるが相手は人形だ。基本的には動くはずもない。当然私と目が合いっぱなしになる。じっと見つめられていると、いつの間に始まったのか怪談が吟じられていく。


 居心地の悪さを感じながら、進んでいく話を聞き流す。おどろおどろしい演出があったようだが、部屋中に張り巡らされた御札と、ずらりと並ぶ小さな人形の視線が気になってそれどころではない。

 なにせその御札、きちんと「効く」ものだったからだ。

 もしかしてここ、普通に「出る」場所だったりする? などと考えていたが、今にしてみれば当然出る場所だ。だって人形動いてたんだから。


 ぼけっとしていると怪談話が佳境に入ったらしく、ドライアイスが部屋の隅にぷしゅーっと噴出される。さらされた人形が寒そうにしているからやめてやれ、とは言えない。彼女たちも仕事なのだ。

 赤と黒に明滅する部屋に閉じ込められて、客に妙な思いをさせる仕事。やれと言われたらかなり嫌である。まぁでもそれが存在意義なんだから仕方ないだろうと思っていたら、突然人形の口が開いた。

 横にいる少女サイズのそれの口ががちゃりと開き、どうやら般若の如き形相に変形するギミックのようだ。

 なるほどこういう仕掛けなんだな、と関心していたら突如人形少女から声がする。


「たすけて」


 いやいや、無理を言うな。

 周りを見渡しても誰も反応していない。というか怪談に集中している。変形した少女の顔をみんなは見ている。なので自然、周囲を見渡す私と目が合う。

 そして各々変な顔をするんだ。「いま良いところなのになんでこっちを見てるんだ?」と。

 これにはかなり困った。スタッフに声をかけようかとも思ったが他の誰にも聞こえていないらしい。話の腰を折るのもなんだか悪い気がした。


 怪談話は続いていく。具体的なストーリーはいまいちうろ覚えだ。だって隣の人形が喋ったことに比べれば、客を怖がらせるために作られた復讐譚なんぞ特筆すべき点もない。


 変形してからしばらくすると少女の霊は鎮魂された事になって、人形の形相が人のそれに戻っていく。全然聞いてなかったがどうやら終わりらしい。

 聞いてなかったというより、ちゃんと聞こえなかった。

 だって隣がずっとうるさいから。


「たすけて」「だして」「きこえてないの」「ねぇ」


 ずっとこれである。面倒くさいし、何よりやかましい。もしかして、他の人間にも同じことやってるのかこいつ。それともたまさか目が合った私にだけ訴えているのか。

 とにかく、怪談なんてろくに聞き取れなかった。


 奇妙に思った人もいるだろう。前の話で私は匂いしか検知できない、と書いた。

 何故聞こえたのか理由はわからない。わからないが、人形とは運悪く相性が良いらしい。そいつらの声はかなりはっきりと拾える。


 まぁ、怪談話なんてこんなもんである。



 さて、それからやや困ったことになった。

 何が困るかと言えば、髪の毛だ。

 また現れるようになったのだ。


 今度は黒くて長い髪。材質はよくわからない。調べてもいない。ゴミ箱に捨てるといつの間にか消えているから痕跡もなく証明もできない。今度写真に収めてやろうかといつも思うが、家の中ではスマートフォンを持ち歩かない上に、撮ろうと思っていたことすらすぐ忘れる。そして忘れた頃にまた出てくる。しょうもないいたちごっこだ。


 こうしてまた髪の毛に付き合う日々が始まった。別に大して困るわけではないが、要は自分の部屋に自分でない誰かが許可なく出入りしてるも同義なのが少し引っかかる。


 そのアミューズメントパーク本体はまだ残っているが、そのホラーハウスは無い。さっき調べたら無くなっていた。行ったのは随分前の話なので、当然と言えば当然である。



 これを書き始めるきっかけになったのは部屋に長い髪の毛が落ちていたからだ。

 さっき捨てたばかりなのにまた落ちている。

 どうにかならんかな。

 見える人いわく、左肩に載っているらしい。どうにもならなそうだ。

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