第五話 いざ王城へ⑤
「――うわっはっはっはっはっ! うぉほぉぉぉぉう! これ楽しいぃい!」
気合いを入れ直して挑んだ結果、初老のロンディモンドが大はしゃぎするという、醜態とも取れる姿を見ることになった。まあ見えないが。
「何かやってみろ」と言われてクノンが使った「
「超軟体水球」と名付けたそれは、水を超軟度かつ超伸縮性を持つ膜で包んだものだ。人でも物でもなんでも、そこそこの重量があるものが乗れば深く沈み込む特性を持たせた。
ロンディモンドは嬉々として飛び込んだ。
そして、超軟体のぶよぶよに溺れた。
触れた感触が面白いのか、泳いだり転がったり跳ねてみたりと、歳も忘れて大はしゃぎである。
そのはしゃぎっぷりに、クノンはちょっと引いていた。
ミリカの時は楽しそうで何の違和感もなかったが、さすがにおっさんの大はしゃぎは、ちょっと一味違うのだ。
見えはしないのだが、子供心に見てはいけないもののような気がする。
しかしそんなクノンに反し、ちゃんと見えている王宮魔術師たちは「総監ずるい」だの「代わって」だの「はよ代われおっさん」だのと野次を飛ばしていた。
大はしゃぎするおっさんより、ぶよぶよへの興味の方が強いようだ。
――後にロンディモンドが「こんなに楽しかったのは二十年ぶりだ」と語ったこの件は、「四ツ星総監、子供に翻弄される事件」として、歴史ある黒の塔の記録に永遠に刻まれることになる。
キャッキャ言いながら王宮魔術師たちが「超軟体水球」で遊んでいる横で、遊び終わったロンディモンドと他の者は考察に入っていた。
「――クッションに使えそうだな」
「――そうですね。ある程度の高さからなら、落下の衝撃を抑えられそうです」
「――面白い感触ですね。ベッドによさそう」
「――そうね。実際あの辺もう寝てるしね」
「――僕は時々昼寝に使いますよ。水の温度もある程度上下させられますし」
しれっとクノンも交じっているが、誰も気にしていない。
それから、あれはどこまで水の特性があるのか。
あのぶよぶよに火を当てたらどうなるのか。
持続時間はどれくらいか、もう少し弾力があった方が寝やすい、いや俺はあの柔らかさがいいなどと、熱い意見が交わされる。
「……おっとそうだ、テストを続けないとな」
ふとロンディモンドは我に返った。
「超軟体水球」について色々と試してみたいことがたくさんあるが、それはあとでいい。
「もっと弾力を上げるとどうなると思います? ものすごく跳ねるようになりますよ。お城の二階くらいまでならジャンプでぴょーんと」
「何!? ……いや、やめなさいクノン君。これ以上この『水球』で私たちの興味を引いたら、君は今日家に帰れなくなるよ。君を帰したくなくなる。すでに何人かはなっているよ」
まあ私たちはそれでもいいが、と小さく付け加えられたロンディモンドの言葉までは、クノンの耳には入らなかった。うっかり合意したら本当に帰れない類の、どこまでも本気の危険な言葉だったのだが。
しかし、幸運にもミリカとのディナーの約束を思い出したクノンの耳には届かなかった。
朝早くから来ているのに、「水球」の考察で時間を取り、すでに昼近い。
クノンとしても非常に楽しい時間だったし、いろんな実験もしてみたいが、許嫁とのディナーの方がかろうじて優先度は上だ。
「超軟体水球」は、見せられるものの一つでしかない。その一つでこんなに時間を取っているようでは、夜までに終わらないだろう。
そもそも、もうテストとしては形骸化してしまっているようだし、早いところ他のものも見せてしまおう。
「ほかにはこんなこともできますよ」
クノンの差し出す両手の上に、突如黒猫が生まれる。
すでにぐだぐだだ。こうなれば、もうロンディモンドの進行はいらないだろう。
クノンは時間を短縮するために、見せられそうなものはどんどん見せることにした。クノンとしてもこの優秀な魔術師たちの意見をたくさん聞きたいのだ。
どんどん見せてしまいたい。隠した方がいいような魔術なんて、まだ持っていないのだから。
「噂に聞いた動物の再現か」
「はい」
クノンが差し出すと、誰かが受け取った。
「――あ、体温あったかい……すごい、手触りも猫そのものだわ」
「猫っぽいだけですけどね」
動物はたくさん作れる。図鑑で読み取った絵姿と情報で、そのまま姿形は再現できる。
だが、手触りまでちゃんと再現できるのは、実際触ったことがある猫だけである。
その手触りの情報を元に、水に張る膜の形と質感をかなり細かく調整して、なんとか完成させた逸品だ。
クノンとしては一番苦労した「水球」の変形である。時間も掛かった。
ここまで時間を掛けて習得する必要があるのか、と思ったことは一度や二度ではないが。でも、見せた人触った人の受けがいいので、結果的によかったのだろう。ミリカも徐々に本物に近づいていく「水猫」を逢瀬のたびに見ては喜んでいた。
「動かすことはできません。立つ、座る、丸くなるの三パターンだけです。僕が猫の動きを見ることができたら、細かく動かせたかもしれませんが」
クノンは見えないので、猫がどう動くのか、口頭の説明だけではよくわからないのだ。想像で補ったのは猫のまばたきくらいである。
「――動かす、か。『水球』の変形をそう見せかけるわけだな」
「――生き物のように見せる。変形させる。色を変える。ははあ、水ならではって感じね」
「――猫貸してよ」
「――やだ。この子は私が育てる」
生き物じゃないから育つことはないのだが。
「つまり、詳細な姿形を知っていて、なおかつ動きがわかるものなら水で再現できると」
ロンディモンドの言葉に「そうですね」と頷く。
「たぶんできると思います。実は――」
実際すでにやったことがある。
侍女イコを水で再現したことがあるから。
人の動きは己のものを参考にできる。顔の詳細までは作れなかったので造形は大味だったが、遠目で見れば侍女にしか見えない「水人形」を作ることができた。
ただ、侍女当人から聞いたところによると、かなり動きがおかしかったらしいが。
「動きがおかしい?」
「実際に人が歩くのと、『水人形』を歩いているように見せたものでは、なんかこう、違うみたいで……」
侍女もうまく説明できなかったので、クノンにも問題点がよくわからなかった。
他にやることもあったし、見ていてあまり気持ちのいいものじゃないからやめてほしいと侍女が言ったので、それっきりだった。
「侍女が嫌がったので、あんまり研究も進んでないんです。正直見せられるほどのものでは……」
だが、そこは研究者である王宮魔術師たちである。
「総監、見た方が早くないですか?」
「その通りだ。クノン君、ここでそれをやってみてくれないかね?」
初めて見る魔術は、良くも悪くも観察対象である。
「わかりました」
そしてクノンは軽い気持ちで応じてしまった。
――やめておけばよかったと、後に後悔することになる。
なぜ侍女が嫌がったのか考えるべきだったのだ。
クノンも。
ロンディモンドも。
ほかの王宮魔術師も。
「水人形」は、元は「
ただ「水球」を生み出し、操作する魔術である。
そんな「水球」の特性をそのまま持っている「水人形」は、当然、ある程度空を飛ぶ。
侍女が気持ち悪いと言ったのは、この辺に理由がある。
人の形をしたものが、人とは違う理屈で人の動きをしているのだ。
地面を滑るように歩いたり、時々浮いたり、障害物に当たれば水としてすり抜けたり弾けたり。
なまじ遠目にはちゃんと人に見えるだけに、その不可思議な動きは、霊など人ならざる類のものに思えてくるのだ。
――それは偶然だった。
いや、きっとその偶然が起こるまで続けられたのだから、もはや必然だったのかもしれない。
王城、三階の一室で掃除をしていたメイドが、ふと窓に目をやった。
その瞬間だった。
人影が、窓を過ぎったのだ。
上から下に。
一瞬何があったのかわからなかった、今のがなんなのか認識できなかったメイドは。
「――きっ、きゃぁぁああああああああああ!!」
一拍おいてその光景を噛み砕き、理解したその時、悲鳴を上げた。
飛び降りだ、と。
上階の窓から誰かが落ちたのだ、と。
しかも一瞬見えた色からして、使用人の服だった。きっと仲間のメイドだ。
悲鳴を聞きつけた兵士や騎士が飛び込んでくる。
怯えるメイドが、今窓の外に見えたそれを説明する。
騒然となった。
集まってきたメイドたちが顔を青ざめさせ、仲間の誰かが飛び降りたと思い、誰がいなくなったかと確認をする過程で噂は拡散する。
そんな中、冷静な騎士の一人が窓を開け、下を確認した。
誰もいない。
人が落ちた形跡もない。
メイドの見間違いだろうか? いや、それにしては怯え方が本気だ。何かを見たのは疑う余地はないだろう。
「……」
外には誰もいない。
見えるのは、ここからは遠い黒の塔の前でたむろして、なんだか騒いでいる王宮魔術師たち……。
「――あれか」
そして、彼らの上空をぎゅんぎゅん飛び回っている、使用人姿の人形だ。
騒動の犯人が判明した。
事件は王宮魔術師総監並びに王宮魔術師たちの一ヵ月減俸、及びクノン・グリオンへの厳重注意で、幕を下ろした。
クノンはめちゃくちゃ怒られた。
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