第三話 二年後の姿②

 そんなある日のこと。


「クノン様、旦那様がお呼びです」


 夕食の席で侍女が言った。


「ん? これから?」


 サンドイッチを片手に資料を読み取っていたクノンが問うと、「夕食の後でいいとのことです」と返ってくる。

 旦那様、即ちグリオン家当主にしてクノンの父親が呼んでいるそうだ。

 離れで暮らしているクノンである。家族はたまに会いに来てくれるが、呼び出されるのはちょっと珍しいケースである。


「僕、なんかやったかな?」


 前に呼び出されたのは、夏だったと思う。

 実験を兼ねて、庭の広範囲に色付きの水をぶちまけた。

 その結果、庭先が血の海に沈んだかのように真っ赤に染まり、家族も使用人も大いに驚き怖がっていた。

 ――ようやく魔力の追加供給なしで水への着色と維持に成功したので、今度は効果範囲と有効時間を測るためにやった実験だ。

 ちゃんと庭師にも許可は取った上での実験だった。

 結果的に「こんなことになるなんて……」と庭師を泣かせてしまったが。かなり想定外だったようだ。

 そして帰ってきた父親は、夜でもわかるほど真っ赤に染まった庭を見て驚き、怒り、呼び出された。

 すごく叱られた。

 ただの色付きの水を撒いただけで害はないしこれは実験だ、って言ったのにすぐに戻せと言われた。


「最近は怒られるようなことはしてないと思いますよ。あの血の海事件で懲りたじゃないですか。全然関係ないのに私も怒られたし」

「実験しようって言ったのはイコだからね。無関係ではないよね」

「あんなに派手にやるとは思わないじゃないですか」

「どうせやるなら派手にやれ、とは言ったよね?」

「あれは派手すぎます」


 ――というような責任のなすりつけ合いを父親の目の前でやったことで、火に油を注いだのだが、二人はそれに気づいていない。


「でも私、ああいうの嫌いじゃないですよ?」

「僕もだよ。みんなすごくびっくりしてたからね。平和な日常に刺激という一石を投じたことは誰も否定できないよね。たまにはいいよね」


 何はともあれ、貴重な実験結果は得られた。

 人間、いきなり血の海を見ると驚く。

 これがわかっただけでも、クノンは満足だ。

 やはり、少々明るくなりすぎたのかもしれない。



 夕食を済ませると、侍女とともに本館へと向かう。


「寒いね」


 少し距離があるので、歩いて行くことになる。

 本館への道は、クノンが普通に歩けるように、一人分の平らな石畳が敷いてある。その上を杖をつきながら進んでいく。

 今は冬である。

 それも夜ともなれば、吹き付ける風は冷たい。

 暦も季節も朝も夜も気にしない生活をしているクノンだが、こういう時はさすがに時期を思い出す。


「アレ出してくださいよ、アレ」

「ん? うん」


 パチン、とクノンが指を鳴らすと、人の頭くらいはあろうかという「水球ア・オリ」が生まれる。

 数は二つ。

 一つはクノンの顔の前に。風除けだ。

 もう一つは、後ろを歩く侍女の前に浮かぶ。


「あったか〜い。ぶよぶよ〜」


 彼女は顔に押し付けるようにして抱き締めた。

「人肌より少し高温」と「超柔軟表皮」の特性を付けた「水球」は、言わば簡易懐炉である。

 侍女はこれが好きだ。押しても変形するだけの不思議な「柔らかい水の球」は、触っていて気持ちいいそうだ。

 ミリカも好きなので、女性はこういうのが好きなんだろう、とクノンは学習した。

 ちなみに夏は「低温」で活躍する。

 これは女性じゃなくても皆好き……というか、助かるようだ。



「クノン様、お待ちしておりました」

「うん」


 玄関先で待っていた老執事バレンに先導され、本館内を歩く。ちなみに「水球」はもう消してある。

 向かった先は、応接室だった。

 老執事がノックと共に「クノン様が到着しました」と告げると、中から「入りなさい」と声が掛かった。

 ここからはクノン一人だ。執事と侍女を置いて、クノンは応接室に踏み込んだ。


「お呼びですか父上……あれ、母上と兄上も?」


 入れば、グリオン家の全員がいた。

 父アーソン。

 母ティナリザ。

 そして兄イクシオ。

 両親は週一くらいで会いに来てくれるが、兄に会ったのは久しぶりだ。

 だがクノンは知っている。会いはしないが、イクシオはクノンの様子を見にちょくちょく離れに来ている。

 ――侍女の話では、小さい頃にクノンを遊びに連れ出したイクシオは、その時クノンが転んで怪我をしたことで、以降接し方がわからなくなったそうだ。

 見えないとはどういうことか。

 子供心に、その時にようやく理解したのだ。

 ただ、クノンはまったく憶えていない。転んだ数も怪我をした数も多いから、もういちいち気にしていられない。


「クノン。座りなさい」

「はい」


 まるで見えているかのように、なんの不自然さも感じさせず兄の隣に座る。

 散々鍛えてきた今のクノンは、この部屋くらいの範囲なら、だいたい全ての色の識別ができる。

 テーブルを挟んだ正面には両親がいて、隣には兄がいる。


「貴族学校の学習範囲は学んだか?」

「はい。フラーラ先生が終わったと言っていました」


 文字を覚えてから、クノンの学習速度は格段に上がった。本人的には、面倒なことは早く済ませて魔術の訓練に集中したい、という感じだったが。


「前にも聞いたが、学校へ行く気はないかね?」

「ありません。僕がいたら周囲に気を遣わせるだけですから」


 家庭でもそうだったのだから、外なら余計にだ、と。クノンはそう思っている。

 いや、かつてはそう思っていた。

 ――今なら普通に通えるかも、と自分でも思っている。

 だが優先するべきは学校ではないので、今となっては違う意味で行く気はない。


「おまえには話したかな? 今現在、クノンも貴族学校に所属していることになっているんだ」

「あ、はい。父上ではなく、フラーラ先生に聞きました」


 授業の折にそんな話が出た。

 だからいつでも学校に通えるけど行かないのか、と言われた。彼女も今のクノンなら通えると判断したのだろう。

 もちろん「行く気はない」と答えたが。


「確か、貴族の子は必ず通う義務があるとかないとか」

「そうだ。まあおまえは事情が事情だから、陛下から通わなくていいという特別な許可が出ている。

 私も、今更おまえには必要ないと思っている。やりたいことをやればいい」


 こういうのが、父の応援なのだ。

 きっとクノンが気づいていない部分でも、クノンを支えてくれているのだろう。


「ただ、少し考えてほしい」

「お小遣いの使い道ですか?」

「いや小遣いの話じゃない」

「父上はいつも文句を言いますね。確かに無駄遣いに思えるかもしれませんが、僕は計画的に使っているつもりです」

「だから小遣いの話じゃない」

「父上、いつも僕ら家族のために働いてくれてありがとうございます。とても感謝しています」

「だから今はいいんだ! そういうのは!」

「血の海にしてごめんなさい」

「それも今はいいが今度やったら小遣い二ヵ月なしだからな!」


 クノンは震え上がった。

 聞きたくない言葉だった。

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