第三話 二年後の姿①

 時は平等である。

 貴人だろうと悪人だろうと、今は永遠には続かない。

 月日は流れる。

 人の想いも、個々の事情も、日々の研鑽もお構いなしに。


「また資料が届きましたよ」

「うん」


 本、書類、紐で結わえただけの写本、お小遣い帳等々。

 テーブルの上どころか、それらは床にまで広がり、部屋の半分がそれらに占領されている。

 最低限の整頓しかされていないが、この部屋の主は、どこに何があるのか全てを把 握している。

 魔術に没頭し始めて、約二年。

 クノン・グリオンは九歳になっていた。



 二年が経ったが、生活自体はあまり変わっていない。

 離れ暮らしはそのままだし、午前中の座学と魔術の授業は続いているし、午後は魔術と剣術の訓練だ。日課の風呂の用意もちゃんとこなしている。

 ただ、大きく変わったのは、文字を覚えたことだ。

 クノンの夢あるいは野望への努力は、父アーソンと許嫁ミリカ、そして魔術の先生ジェニエなどの周囲の人の協力の下、今も継続されている。

 魔術で視界を得ること。

 未だ達成されてはいないが、クノンは諦めずに練磨を続けている。

 次々に届けられる本や資料は、主にミリカとジェニエからである。依然として何がどう作用するのかわからないので、水の魔術に関わるものはどんどん送ってもらっている。

 夜は、それらの本と資料を読む時間に当てられるようになった。

 気が付いたらテーブルで寝ていて、侍女にベッドまで運ばれるという毎日が続いている。


「何か気になる記述はありました?」


 と、侍女はクノンが目を通した書類や本を片付けつつ問う。


「ん? うん、そうだなぁ……」


 次の本を手にしたクノンは、最近頭に入れた情報を整理しつつ、答えた。


「水見式占術に火影占術、水晶膜にガラス膜、使い魔、悪魔との契約、水煉華、魔鏡、水鏡、虹色魚の鱗、……辺りが気になるけど」


 その中で、口にはしたが「使い魔」と「悪魔との契約」はなしだ。

 気にならないと言えば嘘になるが、あまりにも代償とリスクが大きすぎるようなので、これらは関わるべきではないと決めている。


「占術、っていうと、占いですか?」

「そうだよ。水見式占術は、呪術的な加工を施した器に水を張って、そこに知りたいことを見せるみたい。失せもの探しとか、未来を見るとか、そういうのを占うんだって」

「え、じゃあ私がどこかで失った若さと青春の輝きとかも見つかります?」

「大丈夫。イコは若いしまだまだ青春どまんなかだよ」

「いやあ、私も歳取っちゃいましたよ?」

「大丈夫だよ。こんなに綺麗な使用人、この世に二人といないって」

「んもう、見えないくせにぃ」


 はっはっはっ、と笑い合う二人。

 ――人によって評価が真っ二つくらいに分かれるかもしれないが、とにかくこの二年で、クノンはとても明るくなった。

 魔術のおかげである。魔術さえあれば人は明るくなれるのだ。筋肉もついたし、冷え切っていた許嫁との仲も良好になった。お小遣いも増えた。いいことずくめだ。


「で、そのなんとかセンジュツで、私のお婿さんとか見つかりませんかね?」

「大丈夫だよ。イコみたいないい女は男が放っておかないよ。あーあ、僕が侯爵家の次男じゃなければ嫁にほしかったなぁ」

「んもうっ、十歳以上年上を捕まえて何言ってるんですか!」


 あっはっはっ、と笑い合う二人。

 喜ぶべきか喜ばざるべきか。

 クノンは少し明るくなりすぎたかもしれない。



「――うん、大変よろしい!」


 元々は身体作り、体力作りが目的の素振りだった。

 だが、いつからか東虎流剣道術のオウロ師匠からは、ちゃんとした剣術を習うようになっていた。

 思いのほかクノンに素質があることを見極めたからだ。


「クノン君は本当に筋がいい。同い年くらいの子なら、そう簡単には負けませんぞ」

「本当ですか? 見えないのに?」

「うんうん。ちゃんと剣術がやれておりますよ。見えずとも勘はいいし、いざという時は割と戦えると思いますぞ」


 いや、本当はちゃんと剣術がやれているわけではないのだが。

 剣術というよりは杖術寄りだし、そもそも打ち合うことを想定していないので、一般的な剣術とは大きくかけ離れている。

 だが、他と比較できない環境にあるクノンは、今自分が学んでいるそれが普通だと思っている。

 従来にない少し特殊な剣術を教わっているのだが、クノンにはそれがわからない。


「いいですか? しつこいようですが、基本の型さえ身に付ければ応用はあとから付いてくるもんです。ひたすら型を繰り返すのです。反射的に出せるほどに。無意識でも出せるほどに。寝ていても出せるほどに。

 そこまでやって、ようやく実戦でほんの少し実力が出せるのです。その時に後悔しないようにとことんやりなさい」

「はい」


 返事をしながら全然聞いていないクノンは、ひたすら型の素振りを繰り返した。



「――以上のことから、水の確保を最優先に考え集落を作り、民を住まわせねばならない」

「結構です。今日の授業はここまでにしましょう」


 フラーラ男爵夫人による家庭教師も続いている。

 クノンはすでに、貴族学校で学ぶ範囲の学習を全て修めている。今はその確認作業をしているところだ。

 あと一回か二回で、フラーラ夫人はグリオン家の雇われを辞めることになるだろう。ティナリザ夫人に頼まれて始めたことだが――いざ終わりが近いとなると、フラーラは胸がぎゅうぎゅうと締め付けられる思いだ。

 二年前のクノンを知っているからこそ、である。


「イコ、紅茶を。あちらのレディには本日のおすすめを」

「はい、同じ紅茶ですね」


 今のクノンは大変明るい。あの頃の面影がないくらいに。

 貴族としての振る舞いや礼儀作法を教えるのもフラーラ夫人の仕事だった。二年前はあまりにもクノンが沈み込んでいたので遠慮していたが、あるきっかけからちゃんと教えることができた。

 発端は、クノンの要望である。

「ミリカとの接し方を教えてほしい」と、そう言われたからだ。

 フラーラ夫人は貴族らしい――クノン曰く紳士らしい振る舞いを伝え。

 そしてあの侍女が「どうせならユーモアのある紳士にしましょう」と便乗した。

ユーモアのある紳士。

 フラーラ夫人としてもそれは歓迎である。厳格な男、クールな男もそれはそれで味があるが、一緒にいて退屈しない、楽しい男というのも魅力的である。

 クノンには前者はきっと似合わないので、後者がいいと思った。それは確かだ。

 しかし、ともすれば軽薄に見られがちになるが――


「フラーラ先生」

「はい」

「あなたの瞳に乾杯」

「……はい」


 見られがちというか、クノンは間違いなく軽薄になった。いや、根は真面目なままなので、軽薄に見えるようになった、というべきか。

 しかし、二年前を知るフラーラ夫人には、それも可愛らしく思えた。

 自身に同じ年代の子供がいるせいだろうか、クノンに対する感情移入が強いのだ。

 二年前からここまで気持ちを立て直した彼が、これからどうなっていくのか。

 ――じきに家庭教師の仕事が終わりを迎えるフラーラ夫人は、それを見守ることはできない。

 楽しみでもあるし、不安でもある。

 身分差はあるが、それでもクノンを我が子のように大切に思っていただけに、迫る別れに胸が痛んだ。


「これは美しい先生に相応しい十二年物の新王国産です。いい香りでしょう?」

「あ、違いますよクノン様。これヒューグリア産です。この国のですよ」


 たとえ軽薄に見えても、迫る別れに胸が痛んだ。

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