第三話 二年後の姿③

 夫の小遣いなし宣言も、小遣いなし宣言に震え上がる息子のことも、今は本題ではない。


「あなた。落ち着いて」


 珍しく熱くなっている夫を妻がなだめると、アーソンはイライラを吐き捨てるように溜息を吐いた。


「ふう……それよりミリカ殿下のことだ」


 このタイミングで許嫁の名前が出たことに、クノンは眉を寄せる。

 クノンの貴族学校の話とお小遣いなしの話が、ミリカとどう関わっているかがわからない。


「まだおまえにはわからないかもしれないが、彼女の許嫁として、貴族としての義務は果たしておいた方がいい。貴族の義務を果たさない者や身分に見合わない行動は、社交界では弱味になる。

 クノン、おまえは自分のせいでミリカ殿下が槍玉に上げられても、平気でいられるか?」

「……なるほど、そういうことですか」


 今現在、ミリカとの関係は良好だ。

 二年前、許嫁になり始めた当初こそかなりぎくしゃくしていたが、今ではお互い、将来は結婚するものだと認識している。

 少なくともクノンに拒む理由はない。


「私とティナは、今のおまえは貴族の子の義務をこなせると判断したんだ」


 父親は、妻と相談してこの話をすると決めた。

 以前のクノンには言わなかった――言えなかったことだ。

 きっとクノンは世に出る意欲も意思もなく、狭い屋敷の中だけで過ごし、一生を終えるのだろうと思っていたから。

 しかし状況は変わったのだ。

 今のクノンは、もうグリオン家だけの世界では狭い。現に外の世界の情報を掻き集めているくらいだ。

 お小遣いも毎月きっちり使い果たしている。使い果たした後、母に甘えて少し融通してもらっていることも、父は知っている。

 クノンはいずれ、魔術を通して世界に羽ばたく。

 早いか遅いかの違いはあるだろうが、きっとそうなる。


 それを見越しての今回の話だ。

 これが、クノンが外に出るきっかけになるかもしれない。それを念頭に置いた上での提案だ。

 外の世界に行くなら人付き合いは必須。ならば貴族の義務を果たすべき。

 そういう話である。


「貴族の義務ですか……だから、学校に通えと?」


 クノンはまったく学校に行く気はない。

 両親の気持ちも全然通じていない。さすがに九歳には、社交界の常識とそれに即した親の気持ちを察するのは難しいものがある。

 が、クノンは考える。

 面倒だが、行く行くはミリカのためになるというなら、諦めの気持ちが湧く。

 視界を得るという野望はまだまだ道半ば。

 今の生活を壊すのは残念でたまらないが、しかしミリカのためなら、多少の遠回りくらいはできる――


「いや。さっきも言ったが、私はおまえには学校は必要ないと思っている」


 断腸の思いで話を呑もうとしたところで、父親は少し違う話を持ち出した。


「だから、昇級試験を受けなさい」

「昇級試験?」

「貴族学校は、六歳から十四歳までの貴族の子供が通う。通う期間は決まっておらず、幾つかの昇級試験を通れば卒業になる。

 早ければ入学した数日後に卒業する子もいるし、焦らずじっくり学んでいる子もいる」


 つまり――クノンは頭の中で話をまとめる。

 昇級試験とやらを通れば、学校に通う必要はない、という話だ。

 フラーラ先生は、もう学校で学ぶべき範囲は終えたと言っていた。ということは、クノンはもう昇級試験とやらを通過するだけの能力を持っている、ということになる。

 だからこそ、父親は学校はいいから昇級試験を受けろ、と言っているのだ。

「受ければ通るだろ?」と。


「昇級試験は五回ある。イクシオは次の試験を通れば卒業だ」

「へえ。兄上はもう卒業するんだね」


 確か、兄は七歳から通っているはずだ。

 今は十一歳だから、四年ほど学校に行っていたことになる。

 思わず兄の方に顔を向けると、イクシオは言った。


「ミリカ殿下も次の試験で終わりだ。たぶん俺と一緒に卒業すると思うぞ」


 ――そう応えたイクシオは、ほんの数日でもいいから、弟と一緒に学校に通いたいと思っている。

 イクシオは貴族学校を卒業後、次の春をもって上級貴族学校へ入学することになる。

 グリオン家の後継ぎなので、父親の仕事を手伝いながら、いつか来る家督相続に備えるのだ。

 そして、きっとクノンは魔術学校へと通うだろうから、今を逃せば一緒に登下校する機会はなくなるだろう、と。


「そう……じゃあ僕も一緒に卒業していい? できるかどうかわからないけど」


 学校にも行ったことはないし、試験というものも受けたことはないが。

 だが、フラーラ先生がもう座学は終わったというのなら、クノンは試験を通る見込みがあるのだろう。

 もしダメだったらその時はその時でまた考えればいいや、とクノンは気楽に考えた。

 以前の引っ込み思案なクノンなら、挑戦さえしなかっただろう。




「えっ!? 学校に行くんですか!?」


 あの家族会議から数日後。

「二週間に一度は許嫁に会う」という義務を果たすべくやってきたミリカ・ヒューグリアに、貴族学校へ行くことを話した。


「はい。と言っても、昇級試験というのを受けるだけのようですが」

「それはそれは! いいですね! ということは、クノン君と一緒に学校生活を過ごせるんですね!」

「そうなんですか? 僕は正直何が何だかよくわかってないんですけど」


 ミリカが興奮しているのはわかる。

 興奮して水で作った猫を撫で回しているのはわかるが、その学校生活とやらの具体的な内容がさっぱりわからない。


「大丈夫! お姉さんがちゃんと付き添いますよ!」


 二歳年上のミリカなので、この二年で彼女のお姉さん気質の成長が著しい。


「あ、じゃあお願いしますね」

「ええ、どんとお任せを!」

「でも心配だなぁ」

「え? ……何か心配事でも?」

「だって僕がミリカ殿下と一緒に学校で過ごしたら、殿下のことが好きな男の子たちに嫉妬されちゃうでしょ?」

「え、あ……ああ、はあ…………大丈夫だとは思うんですけど……」


 ミリカは反応に困った。

 何と答えていいか、照れつつ迷った。


「あれ? もしかして、あんまり人気はないとか、そういう……」

「何を言っているんですか! 人気はありますよ! これでも王女ですから! 私を好きな男の子なんて右手の指の数だけいますよ!」


 つまり五人は心当たりがあると。

 多いのか少ないのか判断が難しいところだが――クノンは決めた。

 冗談半分で言ってみたものの、本当に誰かに恨まれそうな可能性があるようなので、念のために実戦用の杖を持って行こう、と。

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