第三話 二年後の姿④

 クノンが学校へ行く日がやってきた。


「――まあかっこいい! 物語に出てくる白馬の王子様のモデルになった人ってクノン様のことなのでは!?」


 侍女のめちゃくちゃな褒め言葉に、クノンは燦然と首に輝く蝶ネクタイを左右に引っ張り、堂々と言った。


「ついに僕の正体がバレてしまったようだ。ごめんね、今まで黙ってて」


 あっはっは、と笑い合う弟と侍女を、兄イクシオは変な顔で眺めていた。

 ――あれ、俺の弟ってこんな奴だったっけ、と思いながら。


「どうも兄上。全世界の白馬の王子様のモデルになったクノンです」

「……お、おう」


 しかも話しかけてくるとは思わなかった。気の利いた返事もできず戸惑うばかりだ。

 あの家族会議から数日。その後、ミリカに話してから更に数日後の朝である。

 父親は学校と交渉して日程の調整をし、母親は今まで抑圧していたクノンへの心配と愛情が爆発したかのように世話を焼き――人生で初めて公の場に出るクノンの正装を整えた。

 どこのパーティーに行くのかという格好である。

 まあ、貴族としては、そこまで変ではないが。今日これからクノンの入学式だと言われれば、ここまでめかしこむ理由もわからなくはない。まあ式なんてやらないが。

 朝早く本館にやってきたクノンは、母ティナリザに着替えと髪型をセットされた。

 そして、玄関で侍女イコと待っていた兄イクシオは、……まあ、まあ、こんなこともあるだろうと、クノンの様子にはあまり触れないことにした。

 そもそもの話。

 弟とまともに話す機会なんてかなり久しぶりなので、兄は少々上がっているのである。


「いってらっしゃい」


 ――息子二人を送り出す日が来た奇跡に涙ぐむ母親に見送られ、二人は馬車に乗り込んだ。


「あ、待って」


 いや、クノンが降りてきた。


「これでよし、と。いってきます母上」


 馬車の車輪に「水球ア・オリ」を――緩衝材代わりの固く弾力のある水をまとわせ、改めて乗り込む。

 いつだったか、馬車の揺れで腰を痛めた父親のために編み出した、馬車があまり揺れなくなる仕掛けである。


「魔術って便利だな」

「うん。こんなに便利だと僕でも仕事が見つかりそうだよ」


 見つかりそうどころか必ず見つかるだろうな、と兄は思った。

 馬車はスムーズに動き出した。



「なあ……やっぱり不安か?」


 見えはしないものの窓の外に顔を向けているクノンに、隣にいる兄が声を掛ける。


「ん?」


 見えない目がイクシオに向けられる。

 今日のクノンは、おしゃれな革製の眼帯を巻いているのだ。

 どうせ見えないのだからいいだろう、と。外気で目が乾いたり、虫や埃が入ったら普通に痛いから、と。


「目が見えないって大変だろ」

「大変だよ。でももう不安はあんまりないかな」

「そうなのか?」

「うん。僕はちょっとだけ強くなったから」


 単純明快な言葉だった。

 そう、確かに強くなれば自信になるし、自信があれば堂々と振る舞える。

 以前のクノンをよく知るイクシオだけに、少々違和感が強いだけだ。

 だが、それもじきに慣れるだろう。今の明るいクノンと接していれば。


「兄上にもたくさん心配を掛けたね。僕が転んで怪我をしたことで、自分のことを責めてたんでしょ?

 僕はもう大丈夫だよ。前は死にたいとさえ思っていたけど、今は何があろうと生きてやろうと思っているよ」

「……うん。そうか」


 確かに強くなったのだろう。

 そして逞しくなった。


「世界中の人間が滅んでも僕だけは生きてやるって気迫はいつだってあるんだよ。ごめんね兄上、僕は生きるよ。全ての人類に申し訳ない気持ちになるくらい長生きするよ」

「……おう、そうか」


 あと、やはり、弟はこんな奴だったかな、という疑問はどうしても拭えない。

 良くも悪くも、魔術は弟を変えた。

 変えてしまったのだ。

 …………。

 悪い方に変えたのはあの侍女な気もするが……いや、きっと、侍女の存在も大事だったのだろう。



 いつになく揺れない馬車は、実にスムーズに進み、貴族学校の前に停車した。


「手を貸そうか?」


 今までの空白の時間を埋めるように二人はいろんな話をしていたが、目的地に到着した。

 まだ話し足りないが、ここで一旦中断だ。

 兄が先に降りて問うと、弟は「大丈夫」と首を横に振る。

 クノンは、まるで見えているかのようにステップを踏み、馬車から降り立った。確かに手伝いなど必要ない動作だ。


「――クノン君! イクシオ様!」


 馬車を帰すと、女の子が駆け寄ってきた。

 ミリカである。

 今日からクノンが登校するとあって、校門の前で待っていたのだ。


「おはようございます殿下。いやあ、朝も早くからあなたの美しい声が聞けるなんて幸運だなぁ。どれくらい幸運か半日ほど語っても?」

「おはようございますクノン君。蝶ネクタイ可愛いですね」

「でしょう? ……あれ? もしやこれ、殿下よりも可愛いですか?」

「それはないです」

「よかった。もしそうだと言われたらこの場で引き千切って捨ててましたよ」


 この二年間で目まぐるしく変わったクノンの軽口や冗談には、ミリカはすっかり慣れている。結果、実に軽快なやり取りができるようになった。


「おはようございます殿下」


 なんかこの二人すげーな、と思いながらイクシオも挨拶をした。

 ――自分はクノンの家族ではあるが、きっと仲の良さではミリカに負けているのだろうな、とイクシオは思った。許嫁同士なので良いことなのだろう、とも。

 こうして、クノンは初めてヒューグリア王国貴族学校に登校したのだった。


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