第三話 二年後の姿⑤
声も気配もたくさん、である。
ここ王都にあるグリオン家のタウンハウスと、グリオン家領地の屋敷。
基本的にクノンの行動範囲はこの二つだけだったので、周囲に数えきれないほど人がいる公の場に立つのは、ほぼ初めてのことである。
――以前だったら尻込みしたんだろうな、と自分で思う。
「殿下。今だけ僕は女の子になってもいいですか?」
「ふふ……では私は男の子になりましょう。可愛いお嬢さん、お手を」
エスコートを頼まれたミリカは、クノンの左手を取る。
「……」
兄は「ほんと仲いいな」と思いながら、その様子を見守る。
貴族学校だけに、許嫁の関係にある男女は少なくない。だが、その中でもクノンとミリカは特に仲が良さそうに見えた。お互い寄り添う姿が堂に入っているからだろうか。
「行きましょうか」
「お願いします。兄上、行きましょう」
「お、おう」
ミリカに手を引かれ、クノンは歩き出す。
その格好は夜会に出られる正装。
その顔には革製の眼帯。
右手には、凝った装飾の杖を。
左手には、九番目ではあるが歴とした姫君。
そしてお供のように付き従う、グリオン侯爵家次期当主。
そこらにいる生徒や従者の目を引かずにはいられないほど目立っていたクノンは、それら一切を気にせず、手を引かれるまま堂々と校門を潜った。
――迎えと道案内として待機していた教師が、唖然と見送るくらい、堂々と。
「お待ちください! クノン・グリオンさん!」
その教師――目の見えない侯爵家次男のお迎えという、面倒事の予感しかしない仕事を押し付けられた女性教師キャストは、今目の前を通りすぎた三人を追う。
いくら学校では身分差は考慮しないとは言え、まだ勤めて二年で出身は男爵家であるキャストには、少々気が重い役割だった。
しかも、聞いていた話と違う。
来るのは少々気弱な子だ、という話だったはずなのに。
該当する子は、まるで王子様のような堂々たる姿で、思わず見送ってしまった。
あれが本当に件のクノン・グリオンなのか、本当に目が見えない子なのか、と疑ってしまうほどに。
それほどまでに予想外な堂々っぷりだった。
「はい?」
クノンと、ミリカとイクシオも振り返る。
格好も杖もまだいいが、目を覆う眼帯はなかなかの代物である。
本当に見えないのだ、という証拠だから。
「あなたの迎えとして来たキャストです。この学校の教師です」
「あ、そうですか。初めましてキャスト先生、クノン・グリオンです。今は女の子なのでカーテシーを」
「え? ……え?」
見えないスカートを広げ左足を引く彼の動きは、まさにカーテシーである。女性の挨拶そのものだ。
「……え? 女の子、なの?」
通達ミスだろうか。
男の子だという話だったはずだが。男の子の正装をしているが、実は女の子なのだろうか。
「生物学上は男。性格も男。でも今だけ美少女なんです」
なんなんだそれは。しかも美を付けた理由はなんだ。……可愛くないとは言わないが。
そう言われても意味がわからないキャストだが、イクシオが「そういう遊びのようです。気にしないでください」と囁くのを聞いて、強引にそう納得することにした。
クノンがあまりにも堂々としているせいで、冗談なのか本気なのか、本当に判断できないのだ。
きっと、真剣に考え真面目に相手したらダメなタイプの人種なのだろう。
それが早々にわかっただけでも収穫である。
「ミリカさん、ここから先は私が彼を連れて行きます」
「あ、はい。わかりました」
ミリカは授業、クノンは試験である。向かう先が違うのだ。
「ではクノン君、お昼は一緒に食べましょうね」
「はい殿下。兄上も」
「ああ。また昼にな」
ミリカとイクシオは校舎へ、クノンはキャストに連れられて特別教室へと案内された。
特別教室は、教師と生徒が一対一で向き合う狭い部屋である。
「概要は聞いているかしら?」
教壇に立つキャストが問うと、席に着いたクノンは「はい」と返事をする。
「五回の昇級試験を通れば卒業だと聞いています」
「その通りです。基本的に、この学校では三年から五年で卒業する生徒が多いです。昇級試験は、半年から一年掛けて学んだことを確認するためのものです。
ちゃんと授業を聞いていればそんなに難しくはないですが、昇級試験に落ちたらその後一ヵ月は試験を受けることができません。
ここまではいいですか?」
はい、とクノンは頷く。
「要は試験に通れば続けて昇級試験を受けることができる、通らなかったら一ヵ月待たないと試験を受けられない、という話ですね?」
「はい、そうです。本来なら一つ通っても何日か空けないと次を受けることはできませんが、クノンさんの場合は特別措置で一日ごとに受けることができます。
元々学校に通う必要はないとのことなので、クノンさんのお父様と国王陛下とで話し合いが行われ、そういう形でまとまったそうです」
こういう特別措置は珍しくないので、学校側も慣れたものだ。
「先生」
「はい」
「僕の父親と国王陛下、マブダチなんだそうです。癒着関係です。学校側に圧を掛けてごめんなさい」
「……はい、そうですか。先生今のは聞かなかったことにしますね」
癒着だって慣れたものである。貴族なんて家同士の繋がりあってのもの、癒着があって当然。それが上流社会なのである。
まあ、それでも大っぴらには言えないが。いわゆる暗黙の了解というやつだ。
「何か質問はありますか? 今日の試験は私が付きっきりで見ていますので、その都度なんでも言っていただいて構いませんが」
「先生」
「はい」
「父と陛下が癒着して――」
「何もないようなので早速試験を始めましょうか。あと先生を政治的な危険に巻き込むのは絶対にやめてくださいね」
「はい。よろしくお願いします」
キャストは頭を抱えていた。
午前中いっぱい掛けて、クノンは無事試験を終えた。
目が見えないとは聞いていたので、それでどう試験を受けるのか、とは思っていたが。
「それでも大丈夫」と言われた意味はすぐわかった。いや原理はわからないが。
クノンは、本当に見えていないのかというくらい、すらすら筆記試験を解いていた。
そしてついさっき、迎えにきたミリカとイクシオとともに、食堂へ行くと出て行ったところだ。
本日の彼の試験は終わりである。
次の試験はまた明日。
順調に試験を通れば、あと四日で卒業となる。
試験に通れば、だが。
「……なんか納得いかない……」
採点は別の人がやるので、キャストは軽く答案に目を通しただけだが……。
見る限り、全て正解である。
試験中はずっと変なことを言い続けていた。態度はともかく発言は不真面目にしか思えなかったクノンの答案が、これなのだ。
信じられないくらいに正解ばかりだ。文字も綺麗だ。自分のくせのある字が恥ずかしいほどである。
納得がいかないくらいに、完璧な答案だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます