第三話 二年後の姿⑥

「――ライルお兄様……」


 クノンは目が見えない。

 だからこそ、周囲の変化にはそれなりに敏感である。

 今日で三日目となる、貴族学校での生活。

 試験は簡単だし、これまでにない環境が新鮮で、それなりに楽しかった。これなら普通に通ってもよかったかも、と思わなくもないほどに。

 だが、人が多いということは、それぞれいろんな思想や思考を持つ者がいる、ということだ。

 ――概ね平和だったのに台無しにされそうだな、とクノンは思った。

 食堂へやってきたクノン、ミリカ、イクシオの前に、六人ほどの生徒が立ちふさがっている。

 賑やかだった昼食の場が、ここだけしんと静まり返る。和やかだった周囲の気配が消え失せ、緊張感が高まっていた。

 そして、ミリカの「お兄様」という声。どうも彼女に因縁のある相手が絡んできたようだ。


「ミリカ。そいつがおまえの婚約者か?」


 声を掛けてきたのは、大柄な子供である。

 声に威圧感がある。態度も高圧的で、傲慢さが窺える。

 ――何者であれ、ミリカが気に入らないなら、クノンも気に入らない相手という認識で問題ないだろう。


「ライル殿下、何か御用でしょうか?」


 兄イクシオが庇うようにクノンの前に出る。

 兄が出なかったらこっちから行ってやろうと思っていたクノンは、仕方なくこの場は任せて様子を見ることにした。


「なんだグリオン家令息。俺は発言の許可を出していない。不敬だぞ」

「学校では身分は関係ないはずです――ん……?」

「え……?」


 いや、様子を見ることなんてなかった。

 クノンは空腹だし、学校で過ごす時間は限られている。ここでミリカ、イクシオと過ごせる時間はとても貴重であることを知っているから。

 誰であろうと邪魔されるのは嫌だった。

 ましてやミリカとイクシオが緊張するような相手だ。ろくなものじゃないだろう。

 ――不可視の状態にまで細かく砕いた「水球ア・オリ」を操作し、声を掛けてきた大柄な子供のズボンの一ヵ所に集める。

 次第にそこが濡れてゆき、ズボンに染み込み、シミができる。


「――あ? ……おっ!?」


 真っ先に気づいたのはイクシオ。次に気づいたのはミリカ。

 そんな二人の反応で、本人も気づいたようだ。

 だからクノンはしれっと言った。


「あれー? この人おもらししてるー」


 ざわ、と。

 関わり合いになりたくないとばかりに遠巻きにしていた周囲が、耳を疑いざわめく。


「ちっ違う! 違うぞこれは! お、俺は漏らしてなんていない!」


 本人がズボンの一ヵ所を両手で隠して、激しく動揺する。

 ――あ、クノンがなんかやったな、と理解したのはミリカとイクシオだけである。


「おいクノン……」

「クノン君……」


 邪魔者は去った。

 相手は、もはや今ここでどう騒いでもどうにもならないと判断したらしく、大慌てで全員撤退していった。

 イクシオとミリカは、やった張本人を振り返るが。


「兄上何食べる? 僕はね、ハンバーグ!」

「いやいやクノン。おいクノン。おまえ、やっただろ」

「ミリカ殿下は何食べます? 僕はね、ハンバーグ!」

「……そうですね。クノン君ですからね。もう今更ごちゃごちゃ言っても仕方ないですね」


 ミリカの諦めの窺える発言に、「ミリカ殿下もそういう認識なのか」とイクシオは驚いた。

 案外似た者同士なのかと思っていたが、クノンの方がもっとアレらしい。どうやら弟の変貌を軽く見積もっていたようだ。

 想像よりもっともっと、はるかに明るく強くなっているらしい。

 明るく強くなっている、という認識でいいのかどうかも、最早よくわからなくなってきたが。



「それで、さっきのは誰だったんですか?」


 いつもの和やかな空気が満ちた食堂で、三人は空いたテーブルに着く。 

 心変わりしたクノンはサンドイッチを注文した。ハンバーグはパンに挟んでもらった形である。

 色を認識できるクノンはテーブルマナーもちゃんと覚えたし、今ではスープだろうがサラダだろうが問題なく食べられる。

 が、それでもやはりサンドイッチが一番楽に食べられる。食事くらい気を遣わず気楽に取りたいのだ。


「私の兄です。一つ年上の第六王子、ライル・ヒューグリアですね」


 ミリカはそう答えた。

 腹違いなのであまり兄妹という認識はないが、しかし、間違いなく父親が同じ兄妹である。


 ――ヒューグリア王国の国王は、代々多く子供を作る。

 どんな理由でかは定かではないが、一般的には、王族には貴重な魔術師が誕生する確率が高いと言われているからだ。

 まあそれに関しては、グリオン家にもかなり薄いが王族の血が流れているので、信憑性は低くないのだろう。

 しかし子供が多いだけに、下の方まではあまり構われることがない。

 王位継承権第三位くらいまでは大事にされるが、それ以下の魔術師じゃない子供は、割と普通の貴族の子、程度の扱いである。

 ミリカやライルには、学校では護衛も付けられないし、華やかに思われがちな王城生活も案外質素である。お小遣いも常識の範囲内だ。


「え、本当に殿下のお兄さんなんですか? 僕に対するイクシオ兄上のような?」

「はい。母は違いますが、正式な兄になります」

「嘘でしょう?」

「本当です。何か引っかかりますか?」

「だって妹を大事にしない兄なんて、いないでしょう」

「……そうだといいんですけどね」

「……え? 本当に? 兄上、殿下の言っていることは本当なの?」

「本当だ」


 弟のやらかしに少し食欲がなくなったイクシオは、軽めにビーフシチュー大盛りとサラダとパンだ。

 バレたら大変なことになるだろうな、せめて卒業まではバレないでくれよ、と願ってやまない。


「本当なんだ……そうか、悪いことをしたなぁ。ミリカ殿下のお兄さんなら、僕のお兄さんでもあるのに」


 確かに理屈ではそうなる。

 そしてイクシオは、弟に他者を想うまともな感情と気遣いがまだ残っていたことに安堵する。

 もはや変人であるという認識は否めないが、真っ当な人間らしい感情が残っているだけでも、救いがある。


「そうかぁ……それで、義兄さんはなぜその凶暴性と暴力性を隠そうともせず、僕らの前に野性的に立ちふさがったんでしょう?」


「魔物に遭遇したみたいな言い方はやめろよ……」というイクシオの声は無視された。


「私の立場が上がったからでしょうね。牽制に来たのでしょう」

「殿下の立場? 牽制?」

「ええ。許嫁が『英雄の傷跡』を持ち、しかも魔術師。おかげで私の王族としての立場が急上昇しています。

 それだけならまだよかったんでしょうけれど……クノン君、こうやって表舞台に出てきたでしょう?

 こうなると今後の社交界でも、私たちの立場は強くなりますから……ライルお兄様は、私が自分より立場が上になることが嫌なんでしょう」


最底辺の王子・王女の立場が多少上がったところでなんの意味もないのに、とミリカは話を締めた。


「なんかややこしいんですね」

「そうですね。でも本当に気にする必要はないですよ。王太子……継承権第一位と第二位くらい近ければ、色々と因縁もあるんでしょうけどね。でも私もライルお兄様も、王族としての価値は大したものじゃないですから」


 王侯貴族や社交界については、クノンはまったくわからない。関わるつもりがなかったからだ。

 家庭教師からも、最低限の知識しか教えられていない。

 こうして学校に来ることになったのは、そうしないとその社交界では弱味になる、と父親から説得されたためだ。

 きっとクノンにはわからない様々な要素が絡み合っているのだろう。

 だが、とりあえずだ。


「義兄さんに謝りに行きたいなぁ」

「「やめなさい」」


 クノンの願いは、ミリカとイクシオに即答で却下された。

 ――もう会わせない方がいい。

 打ち合わせもなく二人は同じ結論に達していた。

 また会わせて、クノンが何をしでかすかわからない。それが本当に恐ろしい。


「え? どうして?」


 わからないのは本人ばかりである。

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