第三話 二年後の姿⑦

 クノンは順調に昇級試験をパスした。

 そして、いよいよ五日目の卒業試験を迎える。

 今日だけは、ミリカとイクシオと一緒に、試験を受けることができる。

 この三人で、同じ学校の同じ教室で同じ時間を過ごすのは、きっと最初で最後になるだろう。


「いや、三人じゃないぞ。二十人くらいが同時に試験を受けるんだ」

「そうなんだ。あ、そうか。先生より生徒の方が多いからまとめてやるんだね。僕みたいに一人ずつ試験なんてしてたら効率悪いもんね」

「そうだな」


 こうしてイクシオと一緒に馬車に乗るのも、とりあえず今日が最後になる。次があるかどうかは試験次第である。


「ということは、もうキャスト先生に試験を見てもらうこともないのか。ようやく打ち解けてきたんだけどなぁ」


 ――ちなみにキャストは、ほかの教師と日替わりで、クノンの試験を見ると思っていた。

 だが、結局四日間全て、彼女がクノンの面倒を見ることになった。最初から最後まで、面倒事を押し付けられた形である。

 身分差を持ち込まないはずの貴族学校とは言え、やはり身分差による扱いの差は存在したわけだ。


「打ち解けた?」

「うん。いろんな話をしたよ。

 キャスト先生は特待生として上級貴族学校を卒業して、今の教職に就いたんだって。

 なんか好きな男性が教員になりたいと言っていたらしくてね、追いかける形で目指したんだって。

 で、肝心のその彼は試験に落ちて泣きながら実家に帰って、自分だけ受かって就職してなんだかんだで今二年目なんだってさ」

「……そうか」


 思った以上に打ち解けていた。というか先生は子供相手になんの話をしているんだ。


「恋人募集中だってさ。兄上、チャンスだよ? 今なら口説けるかもよ?」

「……そうだな。気が向いたらな」


 そんな話をしながら、グリオン家の兄弟は馬車に揺られていく。


「おはようございます、クノン君。イクシオ様」

 今日も校門の前で待っていたミリカと合流し、今日こそ同じ試験場へと向かう。



 イクシオから聞いていた通り、試験場として用意された教室には、二十人くらいの生徒が集まった。


「ミリカ様、そろそろ婚約者を紹介してください」

「イクシオ、弟紹介しろよ」


 どうやらミリカ、イクシオの知り合いも一緒に試験を受けるようで、クノンは七人の知らない男女に囲まれている。


「僕はクノン・グリオン。イクシオ・グリオンの弟です」


 クノンは自己紹介をした。

 そして言った。


「正直ほっとしたよ。ミリカ殿下も兄上も誰も紹介してくれないし、もしかしたら二人して友達も知り合いもいないのかと思っていたから」

「おまえ失礼だな! 俺はまだいいけど殿下に失礼だぞ!」

「そうですよ! さすがに失礼ですよ! クノン君と過ごすからしばらく放っておくように頼んだんですからね!」


 二人は憤慨したが、クノンはそれでも嬉しかった。


「お気遣いありがとうございます。でも心配していたのは本当なんです。さすがの僕でも『友達いないの?』とか『知り合いいないの?』とか『学校ではいつも一人なの?』とか言えないですし。こんなこと軽いノリで聞けないですよ……」


 クノンは目頭を押さえた。眼帯の上から。


「よかった……殿下に友達がいて本当によかったです。兄上が一人ぼっちじゃなくてよかった……」

「クノン君……」

「友達なんていなくても平気だよって、僕自身のことを語って慰める必要がなくて、本当によかった」


 暗に友達がいないと言うと、ミリカとイクシオの友人たちの心が揺れた。

 ぐっと胸に来るものがあった。

 クノンは生まれた時から目が見えないせいで、ほとんど家から出ることなく、学校にも満足に通えなかった孤独な少年だ。そう聞いていたから。

 自分たちが今あたりまえに友達に囲まれているそれが、クノンにはずっと存在しなかったのだ。

 そう考えると――


「ほんとは全然気にしてないでしょ?」


 ミリカが真顔でえぐりこむような言葉を放ち、クノンはしれっと「はい」と頷いた。


「人間なんて案外一人でも平気ですからね。アハハ」

「クノン君ならそう言うと思いましたよ。ウフフ」


 友人たちはなんとも言えない顔になった。

 ただ、ミリカとクノンが思ったより仲が良さそうだし楽しそうなので、まあこれはこれでいいのだろうと考えることにした。



「おい! ミリカ!」


 微妙な顔の友人たちに囲まれてクノンとミリカの二人だけが笑っているという少々状況が見えないその場に、無遠慮に割り込む者があった。


「あ、ライルお兄様」


 先日食堂で会った、ミリカの兄ライルである。どうやら彼も、今日ここで卒業試験を一緒に受けるようだ。

 クノンの周辺どころか、教室中に緊張感が走る。

 ――ライルはあまり評判がよくなかった。

 率直に言えば嫌われているのだ。乱暴だし態度も大きいし王族という強力強大な後ろ盾もあるし、教師の言うことも聞かない。

 いろんな意味で厄介な問題児だと認識されている。

 同じような悪ガキを集めて徒党を組み、子供でも許されないそこそこ悪いことをしている、という噂もある。

 とかく近寄りたくない人物だ、が。


「義兄さん!」


 クノンは割り込んできたライルに駆け寄ると、彼の手を取った。


「初めまして義兄さん! 僕はミリカ殿下の婚約者のクノン・グリオンです! いやあ挨拶できてよかった! 先日はなんだかんだで挨拶できませんでしたからね!」

「な、な、な、なんだおまえ! なんだおまえ!」


 ライルは振りほどこうとするが、クノンはライルの手を放さない。十歳に満たない弱々しい子供なのに、思いのほか力が強い。


「やだなぁあなたの義弟じゃないですか! おっ、凛々しい声! きっと顔も凛々しいんだろうなぁ! 僕の目が見えたら穴が開くほどその凛々しい顔を見つめてるんだけどなぁあっはっはっ! はっはっはっ!」

「お、お……おいミリカ! こいつなんだ!? なんだこいつ!?」


 ライルは困惑している。

 理由はどうあれ、初対面でここまで好意的に接されたことがないから、初めての反応に困惑している。


「ふ、ふふ、ふふふふ……」

「くくく……」

「――なんだよ! おまえたち何を笑っている!?」


 いつもの傍若無人な悪童っぷりが鳴りを潜め、顔を真っ赤にして照れて困って、それでもクノンを強く拒否できないライルの姿が、妙に可愛く見える。

 それこそ、年相応の十二歳に見えるからだ。

 いろんな意味で、クノンはやはり強い。

 その後は問題もなく卒業試験を受け、クノン、ミリカ、イクシオ、ついでにライルやミリカとイクシオの友人たちも無事に試験を通過。

 たった五日のクノンの貴族学校生活は、つつがなく終わったのだった。

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