第四話 次はどうする②
ジェニエではないが、確かに契機ではあったのかもしれない。
貴族学校卒業の証を手にしたことで、クノンの生活に一区切りついた気がする。
家庭教師はいなくなり、クノンの日常も少しばかり様変わりすることになるのだろう。
座学と魔術の授業は、ほぼ毎日午前中を使っていたので、今後はその予定が丸々空くことになる。
これ幸いと、空いた時間は全て調べ物や本に没頭したいクノンだが……さっき聞いたジェニエの言葉も気になっていた。
――もっと優秀な魔術師を師に迎えろ。
時間は有限だ。
本を読むにしろ調べ物をするにしろ、それらは一人の時にいくらでもできる。だが、師を迎えての訓練はいつでもできるわけではない。
クノンにとっての最高の魔術師はジェニエだ。
だが、決して他の魔術師に興味がないわけではない。
未知なる刺激。これまで触れることのなかった方面の知識。九歳のクノンには圧倒的に足りない経験。
家庭教師たちと仲良くなることで、授業とは関係ないいろんなことを教えてもらったが、それらも無駄ではなかったとクノンは思う。
きっと、一人で黙々とやっているだけでは、クノンの野望には近づけない。知識も経験も魔術の腕も、まだまだ全部足りないのだから。
――新しい魔術の師は、クノンが野望に近づくために、必要な存在なのかもしれない。
「新しい魔術の先生って必要かな? イコはどう思う?」
本を読む手を止めて、同じ部屋で待機している侍女に問うと。
「王宮魔術師のゼオンリー・フィンロール様がすっっっごい美貌の男性だって有名ですよ! ゼオンリー様を師として迎えるよう旦那様に今すぐ話を通しましょう! 今すぐ! さあ今すぐ!」
なかなか熱の入った返事が早口で返ってきた。
「ゼオンリー様かぁ。でも僕は女性の先生がいいなぁ」
「贅沢言わない。王宮魔術師ですよ」
「女性の王宮魔術師もいるんじゃないかな」
「ミリカ王女殿下に言いつけますよ。クノン様はすっごい下心ありきで女性の魔術師を選んだって」
「それは困る。でもおばあさんの魔術師もいそうだよ?」
「老いても女! 老いても女でしょ! 私はクノン様を、年齢で女性の扱いを変えるようなゲスに育てた覚えはありませんよ! それは紳士じゃないです!」
「そ、そうだね……僕が間違っていたよ。そうだね、おばあさんでも女性だからね。男と女なんて何があるかわからないよね」
九歳男児と老女の間に何があるというのかは謎だが、クノンは深く納得した。
「とりあえず、新しい魔術師の件は父上に相談してみよう」
別れがあれば出会いもある。
クノンの学校卒業を機会に、家庭教師たちがグリオン家を去っていった。
だがそれは、新たな出会いの機会でもあるのだろう。
「新しい魔術の教師か」
その日の夜、クノンは父親に、新しい魔術の教師について相談してみた。
たまにはいいだろうと、本館で家族と夕食を取るついでに、今日も王城勤めから帰宅しテーブルに着く父アーソンに話してみる。
別に隠すようなことでもないので、食事の席で話しても問題ない。
「ジェニエ先生は辞めたのか。近々職を辞するという話は聞いていたんだが」
「はい、今日辞めました。僕としてはもっと一緒にいたかったんですが」
クノンの引き留めで半年くらい辞められず、最終的には明かしたくなかった本音を吐露しての辞去である。
さすがにもう引き留められないし、連れ戻そうとしても拒否するだろう。
「そうか。向こう方にも事情があるだろうから、仕方ないな」
父親は、ジェニエが辞める理由も本人からちゃんと聞いている。
もう自分レベルではクノンの才を伸ばせないから、と。
それと侍女から、かなり苦し紛れの授業をしているからいっそクビにするのも優しさだと思う、とも報告を受けていた。
それを知っているからこそ、次の魔術の教師が欲しいというクノンの願いも、来るべき時が来たとすんなり受け入れられる。
「それで、次は王宮魔術師のゼオンリー・フィンロール様がいいなぁって」
「待て、クノン」
その注文はすんなり受け入れられなかった。
「あら。ゼオンリー様と言えば、美貌の魔術師と噂の方ね?」
母ティナリザが興味を示す。
「俺も名前は知ってるなぁ」
兄イクシオもそんなことを言う。
「待ちなさい。王宮魔術師を招くのは無理だ」
侯爵であり文官として王城に出入りしている父親は、難色を示した。
「え、無理なんですか? 国王陛下の覚えめでたく癒着関係にある父上でも?」
「無理だ――あとでイコに私の部屋に来るよう言っておきなさい」
息子にいらないことを吹き込んだ、ここにいない侍女のお説教が決定したが、それはさておき。
「いいかね。王宮魔術師というのは、王城勤めの役職名でもあるんだ。軍部くらい制限された部署で、陛下及び直属の命令系統以外は何人も命じることはできない。……まあ、わかりやすく言うと、あまり自由がない人たちなんだ。
王城からも滅多に出られないし、関係者以外との接触も厳しく制限されている。
だからうちに招くどころか、会わせることさえ難しいよ。私だって望んでも会えないくらいだ。彼らは研究員で、権力だの身分だのの外側にいるんだ」
王宮魔術師。
それは国でもっとも優秀な魔術師たちである。
彼らはその稀有な力で、国のために働いている。守秘義務を強いられる案件も多いので、外界との接触も許されない。だから噂だけが広まることが多い。
話題に上った、美貌のゼオンリーのように。
「そうなんですか。じゃあこういうのはどうでしょう?」
「ん?」
「僕が父上に付き添って王城に遊びに行ってなんだかんだで王城で道に迷っていたところを偶然通りかかった王宮魔術師に助けられてなんだかんだで弟子入りするという作戦は?」
クノンがしたり顔で語る。
なぜそんなに穴だらけの作戦を自慢げに話せるのか。
「全部曖昧だな」
「曖昧? きっと成功率九割はある緻密な作戦ですよ?」
これほど真逆の認識があるだろうか。
成功率は一割もないし、緻密さなど欠片も存在しない、限りなく大雑把な内容なのに。
「緻密な作戦に『なんだかんだ』は使わない。二回も使わない」
「そんなぁ……完璧だと思ったのに……ねえ母上?」
「そうね。クノンは完璧だわ」
母はクノンに甘い。
こっそりお小遣いを融通するくらい甘い。
「あなた、どうにかならないの? クノンがこれだけ言っているのよ?」
「……わかった。相談だけはしてみよう。だがあまり期待するなよ」
そして、夫は妻に甘かった。
夕食後、クノンは兄イクシオの部屋に呼ばれた。
「いててて……あぁ……やっぱこれだな」
この前の貴族学校の一件で、長年のわだかまりが解けたのだ。今では、これまでの空白の時間を埋めるように、兄弟で過ごす時間が増えた。
兄は裸で、ベッドにうつぶせになっている。
そしてクノンは、兄の腕や脚や背中や……体温と比べて高い熱を発している箇所、要するに打ち身や筋肉痛のある場所に、「粘着質の冷たい水」を部分的に貼り付けている。
打ち身に効く薬を塗り、それを「水」で閉じ込める。炎症を抑えるための水湿布である。
「今日はオウロ師匠が来たの?」
「いや、最近はこっちから師匠の道場に行ってるんだ。ほかの門下生と一緒になってやってるよ」
ちなみにクノンにも教えている剣術の師オウロ・タウロは、クノンへの指導は無料の片手間でやっている。
あくまでも、イクシオの剣術指導のついでにだ。
基本的に素振りや型しか教えないので、ちゃんと報酬を貰う指導はしていないと本人は言っている。
そう言う割にはかなり熱心にクノンの剣術を見ているのだが、それはクノン当人は知らないことである。他を知らないので比較できないのだ。
「楽しそうだね」
「楽しいぞ。でも上級貴族学校に通い出すと、剣術ばかりやってられなくなるんだよな」
先日、貴族学校を卒業したイクシオは、次の春から上級貴族学校に通うことになる。
それまでの間は自由にしていいと言われているので、最近は上級貴族学校への入学の準備もそこそこに、剣術訓練に夢中である。
「おまえはやっぱり魔術学校へ行くのか?」
「まだ決めてないんだ。魔術学校は他国にあるし、遠いしね。それにどうせ十二歳からしか入学できないし」
クノンは九歳だ。行くにしても、まだ規定年齢に達していない。
――でも、それまでに目をどうにかできたらいいな、とは思っている。
十二歳までに視界を得る。
もし得られないようなら、主軸を移すべきかもしれない。
今は、視界を得ることを中心に努力している。だが、もし魔術学校入学までに得られないようなら……。
その時は、魔術師としての大成を主軸にし、視界を得る目標は二の次にせざるを得なくなるかもしれない。
クノンは、将来はグリオン家を出ることになる。
降嫁してくるミリカと結婚し、小さいながらも領地と爵位をもらえることになっている。しかしそこでどんな生活を送るかは不明だ。
もしもの時を考えて、なんとかお金を稼ぐ方法を確立しておく必要がある。
クノンの嫁になるミリカに、生活の不自由だけはさせたくないから。
野望と、現実と、将来と。
「目玉を作る」という目標も含めて、今まで自分のことだけ考えてきたクノンだが、最近少しずつ周りや将来のことも考えるようになってきた。
まだ九歳だ。
だがそれでも、少しずつ大人へと近づいているのだ。
「そもそも魔術学校の入学試験って難しいらしいんだよね。僕なんか試験を受けても落ちちゃうんじゃないかな」
「いやおまえは大丈夫だよ。絶対に大丈夫だ。保証する」
「そう? 魔術だってまだ二つしか使えないんだよ?」
「大丈夫だ。今すぐ試験を受けてもおまえは絶対に合格する。保証する」
「あはは。兄上って身内贔屓なんだね」
「そんなんじゃない。おまえは大丈夫だと思うだけだ。本当に保証する」
魔術師でもない兄の保証にどれほどの信憑性があるのか、という話だが。それでも彼は自信満々で「あたりまえのことを聞くな」と言わんばかりである。
――魔術師ではないが、イクシオは少しだけ、魔術の……弟の持つ水の紋章にはどんなことができるのか、調べたことがあるのだ。
その結果、クノンの使う魔術は、どれもこれも従来のものと違いすぎることを知った。
だから大丈夫だと自信を持って言えるのだ。
何しろ、水の魔術を医療に応用するだなんて、本職の水の魔術師でもできないのだから。
――少し前に、ちょっとだけ深い切り傷を作ってしまったイクシオの腕には、もう傷跡さえ存在しない。
クノンの「裂傷用粘着水」で傷口を引っ付けて固定して治したからだ。
本当に、あっという間に治ってしまった。
この応用力を知りながら、なぜ魔術学校の試験に落ちると思うだろう。
夕食時の話じゃないが、クノンこそ将来は王宮魔術師になりそうだと、イクシオは本気で思っていた。
それに、魔術師には変な人も多いと聞く。その点でもクノンは問題ないと思っていた。
そこに交じってもきっとやっていけるだろう、と。
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