第四話 次はどうする③

 ――ヒューグリア王国。

 大昔の十七王大戦よりも昔から存在する古い国である。土壌がよく農業が盛んで、どちらかと言えば保守的。周辺国とも仲がよく、長く戦の火種は存在しない。

 古い国ゆえに歴史を紐解けば色々あるが、近年は特筆するほど大きな事件は起こっていない。

 そんなヒューグリア王国の王城にて。

 王女の私室にしては質素な部屋で手紙を読んでいたミリカは、椅子を蹴って立ち上がって吠えた。


「大変だわ! 大変だわローラ!」


 大変なんだろうな、というのは、ミリカ専属の侍女であるローラにはわかっていた。

 許嫁からの手紙を渡すと、ひったくるようにして受け取り、すぐさま開封し中を検め。

 その手紙を読んでいる間に、ミリカの顔色が、露骨に変わってきたから。

 驚きと。

 喜びと。

 やはり驚きと。


「クノン君が城に来るわ!」


 ――なるほどそれは大変だな、とローラは納得した。

 第九王女ミリカに、クノン・グリオンという侯爵家次男の許嫁ができて、もう二年以上が過ぎた。

 二週間に一度の逢瀬を義務付けられ、いつもならミリカが会いに行くのが常だった。向こうの事情を鑑みてのことである。

 そんな許嫁が、今度はこの王城にやってくるようだ。

 ――許嫁が決まった当初こそ暗い顔をしていたミリカだが、今ではその許嫁と会う日を心待ちにするようになっていた。

 なぜ二週間に一度しか会えないのか。二日三日とは言わないから、せめて一週間に一度でもいいじゃないか、と。いつからか口癖のように言うようになった。

「英雄の傷跡」の影響で、視覚を持たず生まれ育ったというクノン・グリオンという少年。

 そんな彼の言動に一喜一憂するミリカ。

 主を魅了し翻弄する少年に、侍女ローラは普通に興味を抱いていた。

 自分なら、目が見えないで生まれたら、きっと悲観して生きていることだろう。

 だが、ミリカから聞く限りでは、クノン・グリオンは相当明るい少年らしい。それは本当か、と耳を疑うくらい明るい逸話をいくつも聞いた。その辺も興味の対象である。


「クノン様は、ミリカ様に会いに来るのですか?」

「え!? あ、ええと……ああ、そう……」


 手紙を確認するミリカの笑顔が、次第につまらなそうに曇っていく。どうやらミリカに会いに来るわけではなさそうだ。


「王宮魔術師に会いに来るんですって。簡単なテストをして、もし受かったら魔術の教師を紹介してもらえるらしいわ」

「あら。すごいですね」


 クノン・グリオンは魔術師として覚醒したらしいが、まだ実績のない見習いも同然だ。

 そんな見習いが、真逆に位置する熟練の王宮魔術師に会えるだなんて、上位貴族のコネがあっても難しいことだ。

 だが、理由はわからなくもない。

 これもミリカが何くれと、問わず語りに話して聞かせてくれた話だが、クノンの魔術は耳を疑うものばかりだったから。

 水で作った動物とか意味がわからない。ミリカの話では、手触りも完全再現できるらしいが……水なのに毛皮の手触りとはどういうことなのか。

 ――もしかしたら、王宮魔術師もその辺のよくわからない話が気になって、興味があるから呼んだのかもしれない。


「……会うよね? 私と」


 王城には来るらしいが、ミリカに会いに来るわけではない。

 果たして会えるのだろうか――ミリカとしては少々心配のようだが。


「お手紙の返事を出したらどうです? そこに、テストが終わったらお茶をしようと書き添えればいいのでは?」

「でも、もし会わないって言ったら……」

「ミリカ様のお話を聞く限りでは、クノン様が断るとは思えませんけど」


 ローラの認識するクノン・グリオンなら「僕から誘おうと思っていたのに残念だよ、僕のお姫様。だからいったん断って僕から誘っていい?」とでも言いそうなものだ。


「で、でもぉ……もし断られたらぁ……」


 ――恋する少女は、本当に小さいことでも一喜一憂するものである。

 遠い過去の自分と重なるその姿は、少しばかり気恥ずかしいやら微笑ましいやら。

 私も歳を取ったなぁ、とローラは思った。

 だが、それはさておきだ。


「ミリカ様。確認したいのですが」


 手紙を出すことを決めたらしいミリカが、引き出しから便箋を取り出す。

 何から書いたものかと悩み、動かないペンを構えたまま、顔を上げる。


「何? もしクノン君に断られたら絶対に泣くか号泣はするけど、面倒臭い顔しないでよね」


 するかもしれない。ミリカは泣くと長いし面倒臭いから。

 ……いや、その話は今はいいだろう。


「第三王女殿下と第四王子殿下、並びに他の王子や王女方への牽制か対策が必要かと思われます」

「――そうね」


 小さな恋する少女が、小さな為政者の顔になる。

 たとえ王位継承権の遠い第九王女でも、有無を言わさぬ威圧感を放つ厳しい顔は、紛れもなく王族であることを物語る。


「クノン君が来ることは、まだ知られていないかしら?」

「知られていると思います。王宮魔術師とコンタクトを取る段階で、きっと情報は漏れているかと」


 つまり、気づいた時にはもうすでに後手、ということだ。

 ミリカの立場では、王城内の情報戦には絶対に勝てないようになっている。上の兄姉が、あるいは王妃たちが目を光らせているのだ。立場の弱い第九王女など歯牙にも掛けられない。

 しかし、だからと言って情報戦を放棄するのは自殺行為だ。可能な限り対処する、それがヒューグリアの王族の務めである。


「……なら、来る日程も漏れているかしら?」

「そうですね……そこはわかりませんね。漏れていても不思議ではないですが、まだクノン様は実績がないので、実力を知られていません。そこまで強くマークしているとも思えませんが」

「うん……」


 ミリカは厳しい顔をしたままペンを走らせ、便箋に文字を綴っていく。


「レーシャお姉様に会いに行きます。先触れを。あとこの手紙を出してきて」

「畏まりました」



 ――それから一日が経ち、手紙が返ってきた。


「やったわローラ! クノン君、テストのあと会ってくれるって!」


 ミリカは手紙一つで飛び上がって喜んでいた。


「よかったですね。正確にはなんと書かれていました?」

「えっとね――『よろしければお茶と言わず、もっと長くいられるよう外のレストランでディナーと洒落込みませんか? 僕に夜空の下でも輝くあなたの顔を見せてほしい。まあ見えないけど。』だそうよ!」

「ほう」


 やるなクノン少年、とローラは思った。ミリカの上を行く誘いを仕掛けてきたか。


「クノン君からディナーのお誘いなんて初めて! ね、行ってもいいよね!?」

「私が付き添って護衛も付けば」


 まだ子供同士だが、それでも王族と貴族の許嫁同士である。二人きりにすることはないし、帰りが遅くならなければ問題ないだろう。


「オイルマッサージの準備を! 綺麗にしなきゃ!」

「そういうのはまだ必要ありませんよ」


 十一歳の子供は、そういうことをしなくても大丈夫だ。

 お肌はつるっつるだし、水も弾くきめ細やかさだし。髪の輝きも若さが溢れていて天使の輪のようだし、澄み切った恋する瞳なんて眩しいくらいだ。

 ほんとに歳を取ったな、とローラはしみじみ思った。

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