第二話 色付く世界①

「五個」

「はい」


 末恐ろしい。

 それがジェニエの率直な感想だった。

 今日はグリオン家の仕事の日だ。ジェニエは予定通りやってきて、離れの庭先で教え子の魔術を見ているところである。

 魔術学校を卒業してすぐに見つかった、魔術の家庭教師というこの仕事。

 働く時間は少なく、しかし報酬は高く、教える相手は魔術のまの字も知らない真っ新な子供。

 水の紋章が現れてすぐ、まだ魔力の使い方も知らない素人相手の教師である。

 魔術師としては平凡なジェニエでも、余裕で教えられる相手だった。


 ――五ヵ月前までは。

 いや、正確には、二ヵ月前だろうか。

 己が口走ってしまった軽率な一言が、逆に教え子の学習意欲に火を点けてしまった。

 あれからあっという間に二ヵ月だ。


「六個」

「はい」


 無口で、俯いて、言われたことだけこなす、良くも悪くも扱いやすい……いや、死んでいないだけだった子供が、あの日を境に生きるようになった。

 最初は喜ばしく見ていたが、喜ばしく見ていられたのは最初だけだった。

 週に二回の授業。

 日を跨いで見るたびに、何かが進化している。

 魔術に傾倒し始めたことは知っていたが……きっと、ジェニエが思う以上に、教え子は魔術にのめり込んでいるのだろう。


「……もう一つ出せますか?」

「はい」


 成長が、早すぎる。

 ジェニエの指示に従い、教え子の周囲に浮かぶ「水球」が増えている。

 そしてそのまま維持し続けている。

 最初は二つ浮かべるのが精一杯だった「水球ア・オリ」は、六つも出せるようになっていた。今更新して七つになったところである。

 しかも、不安定に揺らいだりしない。しっかりした球状である。大きさも全部同じで揃っている。

 揺らぎがないのは、魔力が安定している証拠だ。

 形と大きさの統一は、細かく制御できている証拠だ。

 初歩の初歩、「水を生み出す魔術」としては、かなり完成度が高い。


 ――ここまで精度が高く繊細な「水球ア・オリ」は、ジェニエには無理だ。自分はせいぜい五つや六つ発生させるのが関の山だろう。しかも不安定で、こんなにも長く維持などできない。


「……どうしたものかしら」


 ジェニエは内心頭を抱えた。

 教え子――クノン・グリオンは、まだ七歳の子供である。

 魔術は便利な力である。だが、決して安全ではない。便利である反面、それはいつでも凶器になりえる。

 それが力というものだ。

 魔術には、子供の力でさえ大人を殺せるほどのものも存在するのだ。

 グリオン家当主……雇い主であるクノンの父の意向で、まだ初歩の魔法しか教えないよう言われている。

 子供に凶器を持たせる親などろくなものではない――そう思うジェニエは、グリオン家の教育方針に賛成である。

 だが、クノンはすでに、次の段階に進めるくらいには魔術を解している。今のままでは、ジェニエが教えられることは、あまりないのだが……。


 しかし、辞めるわけにはいかない。

 生活ができなくなる。

 せめて次の仕事が見つかるまでは、このおいしい仕事にしがみついていたい。甘い汁をすすり上げていたい。

 だから悩むのだ――どうしたものか、と。


「あ」


 閃いた。

 新しい魔術を教えることはできないが、ならば初歩の初歩「水球ア・オリ」を、更なる進化の道へ導くのはどうか。

 魔力も安定しているし、制御もできている。

 すでにこれだけ精度が高いのであれば、もっと変化を付けることもできるだろう。


「これだわ」


 さすがに今すぐ職を失うと、生活ができなくなる。

 せめて一年、いやあと半年でもいい。ここで頑張りたい。

 もちろんグリオン家の教育方針が変わって、ほかの魔術を教えてもいいという話になることだってありえる。そうなればもう一年くらいは延長できるはず。

 ジェニエは優秀な魔術師ではないが、落ちこぼれというわけでもない。

 あまり得意ではないが、魔術のアレンジを教えてみよう。

 中級くらいの魔術を覚えるまでは必要ない技術だ。できることの幅が大きすぎるので、魔術に不慣れな内に覚えても満足に使いこなせない。

 だが、だからこそ時間稼ぎにちょうどいい。

 それに――同じ魔術師として、クノンがこれからどこまで登り詰められるか、単純に興味がある。

 もしかしたら、この子は世界最高峰の称号、「蒼の魔術師」まで行けるかもしれない。

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