第二話 色付く世界②

「今日から、少し変わったことをしましょう」


 マンネリ化しているクノンの魔術の実技訓練を終えた二人は、侍女が庭先に用意したテーブルに着く。

 いつもなら、こうしてお茶をしながら魔術に関する話をする流れだが、魔術の先生は今日はそんなことを言い出した。


「変わったこととはなんですか?」


 正直に言えば、クノンはこのままでいいと思っている。

 まだまだ足りないのだから、このまま愚直に魔術の訓練を続けたい。

 ようやく倒れることなく午後の訓練をこなせるようになってきたのだ。ここまでは準備期間で、これからが本番だとさえ言えるのに。


「クノン様が使っている『水球ア・オリ』は、水魔術の初歩です。水の魔術師が最初に覚える魔術と言っていいでしょう。単純に水を生み出す、というものです」

「はい」

「では、この魔術の性質を分けてみましょう」

「……分ける?」

「特徴を一つずつ分けてみましょう。分けるとどうなると思いますか?」

クノンは考える。

「えっと……『水を生み出す』、『水を浮かせる』、『水を球状に保つ』、……とかですか?」

「すばらしい」


 先生は拍手する。侍女も拍手する。


「ついでに言うと、水の温度や粘度、成分、色・形に艶に香りにと、細分化すればもっと多くなります。一口に『水』と言っても多種多様なのです。

 ――『水球ア・オリ』」


 先生の魔力が動いたことがわかる。

 クノンの前に、「水球」が二つ浮いているはずだ。


「今クノン様の目の前に『水球』を二つ出しました。触れてみてください」


 言われるまま、クノンは目の前の魔力に触れる、と――


「冷たいのと温かいのですね」


 左は冷たかった。

 右は温かかった。


「その通りです。この手のアレンジを加えることで、魔術にはオリジナリティが生じるのです。これが決定的な個々の魔術師の差、才能の差異とも言えるかもしれません」

「オリジナリティ? ……たとえば先生と王宮魔術師では、同じ魔術でも全然違うって意味で合ってますか?」

「はい、合っています。王宮魔術師の『水球ア・オリ』と私の『水球ア・オリ』は、似ても似つかない別物のはずですよ。

 彼らは国でもっとも優秀な魔術師たちですからね。……私も魔術学校の成績は悪くなかったんですが、如何せん上には上がいました。王宮魔術師の門は非常に狭いです。その分お給料も――」


 聞いておいてなんだが、クノンはもう聞いてなかった。

 先生が愚痴っぽくなってきたのを聞いているふりをしつつ、頭の中では取り憑かれたように「魔術のオリジナリティ」について考えていた。

 つまり、魔術の細かい部分を変えることができる、という話だ。

 この話は、外に目玉を作りたいというクノンの野望に、きっと大きく関わっている。

 そう、ただの「水球」では目にはならないのだ。

 そこに変化を、アレンジを、オリジナリティを加えることで、魔術で目玉を作る。

 ――また一歩目標に近づいた、とクノンは愚痴が続く先生を無視して思った。



 魔術の先生が教えてくれた「魔術のオリジナリティ」は、とても面白い。

 試せば試すほど応えてくれる。

 あれはどうだ、これはどうだと試行錯誤していれば、自然と魔術と魔力の鍛錬にもなる。

 ただの「水球ア・オリ」だけを使い続けていた日々より、はるかに面白い。


「イコ、これ飲んでみて」

「はい?」


 ここ数日、魔術の訓練は自室で行うようになった。

 下手をしたら部屋中が水浸しになるから自重していたが、魔力の操作や制御に慣れてきた今なら、そんな粗相はしない。

 部屋で魔術を使い、魔力を消耗しきったら身体を鍛えるために表に出て素振りをする。

 最近は、体力がついてきたことを自覚できるまでになった。

 二ヵ月もやればそれなりに成果はあるものだ。

 それはさておき。

 部屋で刺繍をしながら控える侍女を呼び、クノンはテーブルの上のコップを勧める。

 そこには水が入っている。


「あ、また水に味を?」

「うん」


 色々と細分化し、変化を付けた「水球ア・オリ」の水である。色に関しては見えないので、それ以外の変化を試している。

 今日は「水の味を変化」させる訓練をしていた。


「では失礼して――んっ、林檎の味がしますね。薄いですけど」

「飲む分には薄いくらいがちょうどいいと思って」

「ああ、なるほど。そうですね。ごくごく飲むなら薄いくらいが適しているかもしれませんね。……これ結構おいしいですね」

「でも魔力を絶つと普通の水になるんだ――ほら」

「あ、ほんとに……あっまずい。まずいですね。普通の水より苦いというか、まずい水ですよ」


 まずいのはクノンも知っている。飲み水にはあまり向かないな、と。

 だから「味の変化」が活きるのだ。

 飲み水に困ることがあった時は、ぜひ味を付けたこの水で水分補給をしたいところだ。


「魔術って不思議ですね。使えない私からすればお手軽な神の奇跡みたい」

「そうだね。僕もそう思うよ」


 そして、神の奇跡であるなら目玉を作るくらいできてもいいだろう、とも思う。

 だが、渇望する気持ちは変わらないが、少し落ち着いてきた気はする。

 なんとなく、まだまだ望みの結果は得られないことがわかるから。

 きっとものすごく遠いのだろう、難しいのだろう、と。

 だからゆっくりと、だが確実に前進していくのがいいと、そう思い始めている。

 焦って魔術に失敗するという経験はたくさんした。

 魔術とは気が逸ると失敗するものなのだ。


「まあ、何にしてもお湯が出せるのは大助かりですけどね。水でも助かっていましたけど」


 まだ素人に毛が生えた程度のクノンだが、それでも魔術師は有用である。

 生活用の水が出せることでも、「温度の変化」で湯が出せるようになったことでも、離れの水回り事情はかなり楽になった。

 以前は、風呂は三日に一度くらいの頻度だった。しかしクノンが魔術で水だの湯だの出せるようになったので、毎日入れるようになった。

 イコも風呂の準備に追われることがなくなり、また毎日風呂に入れるようになったことでも、とても喜んでいる。


「もう少し慣れたら、本館のお風呂の準備もお手伝いされてはいかがですか?」

「あ、そうだね」


 考えつきもしなかったが、それはいいとクノンは頷く。

 クノンとイコが住んでいるここは、クノンが住みやすいように建てられた離れだ。

 家族たちは本館に住んでいる。

 本館は使用人がたくさんいるので、風呂の準備なんて大して手間でもないだろうが――今のクノンが家族のためにできる数少ないことであるなら、喜んで務めたいと思う。

 以前の引っ込み思案なクノンなら、そんな気にもならなかったかもしれない。だが、今のクノンはだいぶ前向きに物事を考えられるようになっていた。

 まだあまり自覚はないが、魔術や体力の鍛錬を通して、己に自信も付いてきているのだ。



 魔力を使い切った後、オウロ師匠に手取り足取り教わった型で杖を振る。


「クノン様」


 全身に汗を掻き、今度は体力がなくなりかけてきた頃、イコに名を呼ばれて集中が切れた。

 素振りを始めてどれだけの時間が経ったのか。気が付けば頬を撫でる風が冷たい。空の色は見えないが、すでに陽の暖かさは感じなくなっている。


「もう夕食?」

「はい。お部屋に戻りましょう」


 素振りを切り上げ、イコに手を引かれて自室に戻る。

 汗で気持ち悪いので、まずは風呂だ。

 が――


「クノン様、ミリカ王女殿下からお手紙が届いていますよ」

「えっ」


 それは、充実した日常を壊す非日常の訪れであった。

 このタイミングで、なんという悪い知らせだ。背筋が寒くなったのは、冷えた汗のせいだけではない。


「詳細はあとでお話ししますが、用件は『会いに行っていいか』という確認でした」


 クノンは手紙が読めないので、クノンに宛てられた手紙はイコが開けて読んでいいという許可が下りている。

 まあそもそも、クノンの父親が先に確認し、それから手紙がこちらにやってくるようになっているのだが。

 ミリカ・ヒューグリアは第九王女、歴とした王族である。

 まだ子供だが王族の自覚はある人だ。王家の秘密や口外できないことを手紙に書くほど愚かではない。

 が、万が一ということがある。

 この場合、意図せず知ってしまって立場が危うくなるのは侍女なので、大丈夫かどうかの確認が入った上で回ってくるのだ。


「えっと……僕は風邪を引いているから」

「それは一ヵ月前に使いましたね」

「お腹が痛いから」

「それもこの前使いましたね」

「……転んで突き指して膝を擦りむいたから、とか」

「それくらいの怪我なら会えるでしょ、って言われたら困りません?」

「…………」


 クノンは困った。実際ミリカに言われるまでもなく困った。

 最後に会ったのは、もう二ヵ月も前になる。魔術に未来を見出した時から、許嫁であるミリカとは会っていない。

 許嫁である彼女とは、二週間に一回会う、という決まりがあった。

 だが今のクノンには、ミリカと会っている時間などない。だからずっと仮病を使い、会うのを断っている状態が続いていたのだが。


 ――そもそもミリカも、クノンに会いたいわけではないだろう。

 国王陛下が決めた許嫁だ、だから嫌々会いに来ているのだ。むしろクノンが仮病を使えば、ミリカも会う理由がなくなって嬉しいはずだ。

 はずだ、が……。


「……そろそろ限界かな?」


 会いたくない理由はあるが、逆に会わねばならない理由も存在している。

 できるだけ遠ざけることはできても、婚約の話そのものを断ることはできないのだ。

 それが王命というものであり、貴族の宿命でもある。


「そうですねぇ。国王陛下と旦那様の決めたことですから、これ以上拒むと問題が発生するかもしれませんね。

 たとえば、お見舞いとしてミリカ王女殿下が陛下と一緒にやってくるとか」


 それは避けたい。

 国王陛下がわざわざやってくるなんて、想像するだけで冷や汗が出る。


「……はあ。わかった。会うって伝えておいて」


 気が重いが、こればかりは仕方ない。

 こうして、数日後にミリカがやってくることになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る