第二話 色付く世界④

「はっ!?」


 はっ、と。クノンは思わず声を上げた。


「は?」


 侍女も反応して声を上げた。

 ――今日も今日とて、クノンの魔術訓練の日々は続いている。

 目標ができたあの日から数えて、だいたい三ヵ月。

 過ごしやすい季節は過ぎ去り、冬となった。

 今日も自室でああでもないこうでもないと、「水球ア・オリ」をいじっていると――クノンは弾かれたように立ち上がった。


「……ど、どうしました?」


 そのまま硬直しているクノンに、何があったのかと侍女は恐る恐る声を掛け――


「……見えた、かも」


 クノンは、自分でも信じられないことであるかのように呆然としながら、衝撃の言葉を呟いた。

 しばし時が止まり……動き出した。


「嘘!? ほんとに!? ほんとですか!? 嘘って言ったらさすがにひっぱたきますけどほんとですか!?」

「待って待って! 僕もわからない! 僕もわからない!」


 興奮してグイグイ詰め寄ってくる侍女と、これまで経験のない己の感覚に強く戸惑うクノン。

 お互い突然すぎる現象に取り乱しまくっていた。


「あと正確には見えてはいないかも――いたたたたっ」

「つまらない冗談はやめてくださいよ! 終いにはぶっとばしますよ!?」


 本当にひっぱたかれるとは思わなかったが、代わりに思いっきり頬をつねられた。実に遠慮のない侍女である。


「そういうのはユーモアとは言いません! 私は常日頃からクノン様にはユーモアのある紳士になってほしいと願っていますが、そういう悪趣味なのはいけません! 人によっては冗談じゃ済まないんですよ!」


 しかも説教まで始まりそうだ。


「いや違う! 違うんだ! ――たぶん色が見えたんだ!」

「色!? 色が見えた!?」

「正確にはのかもしれないって思って! だからはいないんだよ!」


 …………。


「……え、それでもすごくないですか?」

「……というか、本当に僕の認識で合ってるのかどうか……」


 急上昇した熱が下がり、二人は落ち着いてきた。


「これ。この林檎」


 クノンは痛みが残っている頬を撫でつつ、空いた手でテーブルに幾つか置いてある林檎を一つ手に取る。

 魔術の実験用に用意したものだ。

 今クノンは、低温処理……「凍らせる変化」に夢中だ。

 侍女としては、ただでさえ外が寒い時期なのに、室内まで寒くなるのは勘弁してほしい。

 だが、クノンがやりたいというなら拒むことはない。


「これってで合ってる?」


 その言葉に、侍女は眉を寄せた。

 ――赤くはない。

 クノンが手にしているそれは青林檎だ。

 しかし青ではなく、薄い緑色とでも言った方が正確だろうか。

 正直に言った方がいいのか、それとも……いや。


「いえ、赤くはないですよ」


 まだまだ実験段階であり、試行段階。だから正直に話した。

 今見えなくてもいいのだ。

 見えるようになれば、それでいいのだから。


「そうなの?」


 しかし、ショックを受けるかと――己の望む結果ではなかったことに落胆するかと思ったクノンだが、平然としていた。

 そして、平然と手を伸ばした。


「じゃあこっちがのかな?」


 そっちは……そっちの林檎は、確かに赤い。

 そこで侍女はようやくわかった。

 ――そうだ。今初めて色が見えたのなら、クノンはまだ色の名前を認識していないのだ、と。


「それは赤いです。さっきの林檎は青林檎といい、淡い緑色をしています」

「え? 青林檎なのに、緑なの?」

「そういうものなのです。――ちなみに、赤い林檎と青い林檎、テーブルに幾つずつあるかはわかりますか?」

「うん。赤い林檎が三つ、緑色の青い林檎が二つでしょ?」


 当たっている。つまり、本当に色が見えている。


「合ってる?」

「合ってます! すごいじゃないですか!」


 侍女はクノンを抱き締めて喜んだ。

 クノンも嬉しそうに抱擁を受け入れた。

 まだクノンが望む結果が得られたわけではないが、これは大きな進歩だった。


「でも、まだまだ足りないな」


 ひとしきり喜んだ後、クノンは冷静になった。

 周囲にある物の色がなんとなくわかるようにはなった。だがそれだけだ。

 正直に言えば、見えているわけでもない。

 ――魔力で感じ取れるだけだ。

 探ろう探ろうとするクノンの意識と無意識が、魔力という不可思議な力に作用しただけだろう。

 ジェニエ先生は、魔力とはまだまだわからないことが多い力だ、と言っていた。

 魔力そのもので物質を動かしたりすることができる人もいるそうだ。魔力による感知、という現象もあると聞いている。今クノンが手に入れたも感知能力の一種だろう。

 クノンが望んでいるのは、「魔術で作った目玉で視界を得る」だ。

 似ているようで全然違う理屈なのだ。


 だが、それでも。

 それでも大きな進歩だった。

 物は見えずとも色がわかるのであれば、そこに何があるかも、それなりに察しがつくようになる。

 普段活動する身近な空間なら尚更だ。

 きっと、これで生活が楽になる。


「とにかく旦那様に報告しましょう! これはすごいことですよ!」

「う、うん……いや、まだ早いんじゃないかな。まぐれかもしれないし、もう少し慣れてからにしたい。父上をがっかりさせたくないし」

「大丈夫ですよ! 自信を持ってください!」


 持ち前の引っ込み思案で腰が引けるクノンの肩を、プラス思考の侍女はばしばし叩いた。


「クノン様が頑張ってきた成果じゃないですか! まぐれじゃなくて実力ですよ! クノン様の実力なんです! 実力か否かと言われれば確実に実力です!

 さあ行きましょう! 一緒に報告です! ついでにお小遣いもアップしてもらいましょう! あっ私も給金アップを直訴しよっと!」

「えっ今から!? ちょっと待っ――」


 侍女は待たなかった。

 引きずられるようにして、というか途中からは小脇に抱えられて、クノンは本館へと連れて行かれた。


 しかし家族は不在だったので、二人は何事もなかったように離れに引き上げた。

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