それぞれの思惑(4)
ガイラさんの言っていた通り腐食剤を垂らした部分がみるみる錆びて私の力でも簡単に蹴破ることが出来ました。
「憲兵さん達が森へ入ってから大分時間が経っています。本当に急がないと。」
入った場所からして洞穴は北東にあるはずです。
このまま一直線に向かうと道中で憲兵さん達に見つかってしまう可能性がありますから、多少時間が掛かっても一度北に上がって、西か北西側から洞穴を目指した方がいいでしょう。
「今行きます。それまで見つからないで、ファラ!」
私は道なき道をひたすらに進んでいきました。
枝が頬をかすろうと、草木に足が取られようと、スカートが引っ掛かって破けようとも、無我夢中で洞穴を目指しました。
ようやく洞穴に辿り着いた時、不思議なことに憲兵さんの姿どころか、その気配すらありませんでした。
時間にしても、距離にしても、憲兵さん達の方がとっくに到着しているはずです。
しかし、怖いくらいに周囲は静寂に包まれていました。
「まさかファラはもう……。」
不安が募る中、恐る恐るドウケツの洞穴へと足を踏み入れると、最奥のいつもの場所に彼が立っていました。
「ファラ!」
「ユナウ?ユナウか!?」
その無事な姿を目にした瞬間、他に誰かいるかもしれないといった考えは頭から抜け落ち、私は大声で彼の名前を呼びながらその体を抱きしめました。
「良かった!本当に!」
「そんなに強く抱きしめられたら痛いよ、ユナウ。」
ファラは目に涙を浮かべる私の頭を優しく撫でてくれました。
その温かな手の感触を覚えると、やっぱりどこか安心します。
私が落ち着きを取り戻したのが分かると、ファラはゆっくりと体を剥がすようにして後、私の目を見つめました。
「今ここに来たって事は、兵士達がここに来ているのは知ってるんだな?」
「はい。」
目に溜まった雫を拭き取ると同時に気持ちを切り替え、私はファラを見つめ返しました。
「大勢の憲兵さん達と主教様がファラのことを探しています。」
「なるほど。さっき来た連中は国のお抱えってことか。」
「やっぱり既に此処に来ていたんですね。それなら尚更無事で良かったです。」
「運が良かっただけだ。湖から帰って来たら、鎧を身に纏った連中が大勢でここに入っていくのが見えたから、茂みに隠れて様子を窺ってたんだ。」
その場にいなかったことで難を逃れた。
それを知って安堵しますが、一見冷静そうに話すファラの顔は険しくなっていました。
「見つからなかったのは良かったが、この場所を見られたのはまずかったな。」
ファラの向けた視線を追うと、そこには私がこれまでに持ってきた衣類や食糧、日用品が荒らされたように散乱していました。
「これは……。」
「岩陰に隠してたんだけどな。」
「生活感満載ですね。」
二人で溜息を突きながらも、見つかってしまったものは仕方がないと直ぐに気持ちを切り替えます。
「主教様達は湖に?」
「分からないが、まだ周辺にはいるだろうな。」
ここにある物証から誰かがいることは主教様達も確信したはず。
あれ程の憲兵を派遣したとなれば、見つけるまで捜索を続けるのは必至でしょう。
となれば――。
「とにかくここを離れよう。行く当てはないが、取りあえず森の中で憲兵達をやり過ごすしかない。」
「そうですね。」
そう互いに頷いた時でした。
僅かながらに複数の足音が入口の方から反響してきました。
「やばい、こっちだ!」
小声で叫ぶファラの声が聞こえたかと思えばされるがままに腕を引っ張られ、気がつけば半ば抱えられるようにファラと一緒に岩陰に隠れていました。
「やつら戻って来たのか。」
「そんな、どうして!?」
そんなことを考える間もなく大穴の反対側まで既に憲兵さん達が押し寄せていました。
「もう一度よく探すのです。ここが一番臭いますから。」
「はっ!」
確認は出来ませんが、主教様の先導の声に憲兵さん達が穴の手前側を捜索し始めたようでした。
このままでは見つかるのも時間の問題です。
最奥のこの場所では逃げる場所がありません。
何かで気を引いた隙に逃げるにしても、主教様達の真横を通り過ぎなければ外には出られません。
いったいどうしたら――。
「そう遠くには逃げていないはずです!何としても見つけ出しなさい!見つからなければここにいる全員下界落ちさせますよ!」
主教様の怒号が洞穴中に反響しました。
早く何とかしなければ――。
そうは思うものの、この状況では流石に何も思いつきません。
隠れ続けるのは無理。
逃げ出すのも無理となれば、もう成す術がありません。
「何をもたもたしているのです!この穴の奥も探しなさい!あそこが一番怪しいのですよ!」
主教様の声により、焦ったように鎧の擦れる足音がとうとうこちらにも迫ってきました。
「ファラ……。」
祈るようにファラの手をぎゅっと握り顔を向けると、優しい笑みを浮かべたファラの顔がすぐそこにありました。
「えっ?」
ファラはその指の無い両手で私の手を包むように握り返しました。
そして、私の耳に顔を近づけてそっと口にしたんです。
「約束だ。君は絶対無事に帰ってくれ。」
私は訳も分からずただ目に涙を浮かべていました。
その瞼に溜まった雫をファラはそっと手で拭き取ると、ニカッと満面の笑みを向けました。
「君に会えて良かった。ここでお別れだ。」
その意味を私が理解するよりも前に、ファラは岩陰から飛び出していってしまいました。
「い、いたぞ!」
一人の憲兵の声に全員が反応し、視線がファラに集まった。
ファラはそのまま穴の横を走り抜け、憲兵を躱して入口の方へ駆けていく――。
「逃がすな!」
ランタンがあるとはいえ、この暗がりでは鎧で動きの鈍い兵士より目が慣れていて身軽なこちらに分がある。
ファラは次から次へと隙間を縫って憲兵達を背にしていったが、それも限界が訪れる。
あまりにも多すぎる憲兵達に入口を完全に塞がれ、ファラは足を止めてしまった。
その瞬間後ろから強い衝撃を頭にくらい、抵抗する間もなくファラの意識はそこで途絶えた。
「捕縛しました!」
背後から聞きたくなかった言葉が反響してきます。
胸の奥がいろんな感情でぐちゃぐちゃになっていて、私には何が何だか分かりませんでした。
状況が呑み込めず、混乱するばかりで体が動きません。
「さあ、すぐに城へ戻りますよ。この者には聞かなければならないことが山程ありますから。」
主教様の声が冷たく胸に突き刺さります。
ファラが捕まってしまった。
早く助けないと――。
そう思い至るも、立ち上がろうとした瞬間に、飛び出す直前のファラの顔が浮かびました。
あの優しくも悲しそうな笑顔。
あれは覚悟を決めた笑みでした。あのまま二人で隠れていたとしても、いずれ見つかって二人とも捕まるだけ。
きっとファラは、私だけでも見つからないように自らを犠牲にして捕まりにいったんです。
「ファラ……。」
今ここで私が出ていったところでファラを助けることは出来ません。
それで私まで捕まったら、ファラの想いを無駄にすることになってしまいます。
未だ手に残るファラの手の感触と熱を感じながら、私は暫くの間音も出さずただ泣いていました。
主教様と憲兵さん達が洞穴から出ていって暫く経った後、私はようやく決心して立ち上がりました。
「助けなきゃ。」
私の安全を第一に考えて動いたファラの想いを汲むのであれば、私はもうこの件に関わるべきではないのだと思います。
けれど、このままファラが尋問されて下界落ちや死刑になるのをただ見ているだけだなんて、私には出来ません。
「待ってて下さい。必ず助けに行きます!」
道中、喉に血の味がするのを感じながらも足を止めることなく、私は来た道を真っ直ぐ全速力で戻りました。
「ユナウさん!」
「ガイラさん、助けて下さい!」
息も絶え絶えになりながら、フェンスのそばで待ってくれていたガイラさんの胸に飛び込みました。
「落ち着いて下さい。少し前に違法者を捕まえたと、マザー・エリメラと憲兵達が学院を出ていきました。いったい森で何が?」
表には出さないものの、その語気からガイラさんも内心慌てているのが見て取れました。
「ファラが主教様達に捕まってしまいました!早く助けに行かないと!」
「間に合わなかったのですね。しかし、どうやって助けたものか……。」
流石のガイラさんも今回ばかりは悩んでいるようでした。
「まず彼が何処に連れていかれたのか、そこから考えなければ……。」
「あっ、それならお城に連れていくと主教様が仰っていました。」
「城、ですか。確かに、城には罪人を捕らえておく地下牢があったはず。しかし、そうなるとかなり厄介ですね。」
「そう……ですよね。」
お城には幼い頃に行ったきりなので記憶が曖昧ですが、門番の方が待機しているはずです。
まさか堂々とファラを助けに来た、と表から入る訳にもいきません。
侵入するにしても通常より警備が厳重になっているでしょうし、そもそもまずはどうやって学院から出るかを考えないといけません。
「ユナウさん。一つ、貴女の口から聞いておきたいことがあります。」
唐突に改まるガイラさんに、私は何事かと小首を傾げました。
「貴女は何故そこまでしてあの青年を助けたいのですか?」
「それはどういう……?」
予想だにしない質問に、私は益々首を傾げました。
「大事なことです。答えて下さい。」
確かに、言葉通りガイラさんの顔は真剣そのものでした。
「私は――。」
初めてファラと会った時、倒れていた彼を見て助けたいと思いました。
あの時は何も出来ない自分が嫌で、ただ必死で助けたいと思いました。
今も助けたいという気持ちは同じです。
でも、今感じている〝助けたい〟は、あの時とは少し違います。
「最初の内はただ物珍しさみたいなもので惹かれていただけだと思います。ファラは六年も掛けて下界からここまで登ってきました。両手足の指や視力を失ってまでしてここまで登って来たんです。どうしてそこまで……って、興味本位で彼のことが気になっていました。」
心の底からの気持ちを話すのに、普通なら恥ずかしくて言葉が詰まりそうなものですが、すらすらと言葉が出てくるのは聞いてくれているのがガイラさんだからなのだと思います。
相槌で頷きながら、ガイラさんはじっと聞いてくれていました。
「ですが、ファラと過ごすにつれて、もっと話したい、ファラのことをもっと知りたい、もっと一緒にいたい、そういった気持ちが強くなっていって……。」
自分の口でそこまで話して、私は改めて気づかされました。
自分の本当の気持ちに――。
ガイラさんにはそのことで迷惑を掛けてしまいました。
でも、ガイラさんがあの日告白してくれたから、ガイラさんが私に考える時間をくれたから、私は今自分の気持ちがはっきりと分かる。
だから、それに気づかせてくれたガイラさんにはきちんと伝えなくてはいけません。
「私はファラのことが好きです。」
その言葉を聞いた時のガイラさんの顔を私はきっと忘れないと思います。
自分を振った相手が堂々と他の男性のことを好きだと宣言した――。
そんな状況でそんな表情ができるなんて、本当に心から尊敬します。
「分かりました。」
ガイラさんには似合わない無邪気とさえ取れそうな、その心から祝福するような爽やかな笑顔に、私は罪悪感を覚えながらもそれを尊いと思ってしまいました。
「正門へ向かいましょう。彼を助けに行きます。」
私が頷くのを見るや、ガイラさんは走り出しました。
「でも、どうやって学院から出れば……。」
西区を抜けて中央棟の前まで戻ってきたところで、呼吸を整えるために私達は足を止めました。
「時間がありません。強行突破しましょう。」
「えっと……大丈夫でしょうか?」
まさかガイラさんの口から強行突破なんて言葉が出るとは思っても見なかったので、失礼にも心配してしまいました。
「難しいでしょうが、やるしかありません。彼が連れていかれてから大分経っています。彼の素性からして即死刑になってもおかしくはありません。今は策を練っている時間が惜しい。」
ガイラさんの言うことは尤もです。
捕まっている以上、ファラはいつ殺されてもおかしくありません。
となれば、手をこまねいている暇などありません。
「ここからは歩いて行きましょう。不審がられないように極力自然体でいて下さい。」
ガイラさんに言われた通り歩いて正門へと近づいて行きます。
外壁は高く分厚いため、乗り越えたり、掘ったりすることは出来ません。
なので、学院から出るには唯一の出入口である正門から堂々と出るしかありません。
「君達、止まりなさい!」
門前まで辿り着くと、当然ながら守衛さんに止められました。
左右に一人ずつ計二人。
門自体は全開になっている為、この二人さえ躱すことが出来れば外に出られます。
「すみません。先程大勢の憲兵がこちらから出ていったのを見かけたもので、何かあったのかと気になったもので。」
あくまで自然体で当たり障りのないことから話し始めて隙を窺う――。
その処世術には、後ろから見ていて思わず感心してしまいます。
「いいから止まりなさい!」
話しながら少しずつ歩み寄るガイラさんに、守衛さんは語気を強めて怒鳴りました。
「し、失礼しました。」
腰の警棒に手を掛ける様を見て流石にまずいと思ったのでしょう。
ガイラさんは足を止めて静止しました。
「ここにはいかなる理由があっても学生は近づいてはならないと決まっている。明日卒業する生徒、それも最優秀の君達が知らないはずはないだろう。」
他の守衛さんなら緩い方もいらっしゃるのですが、門番ともなると然うは問屋が卸さないようです。
「申し訳御座いません。しかし、次期公爵の身としては何か大事ならば捨てては置けないのです。」
自身の肩書きを利用して食い下がるガイラさん。
私も何か力になれないかと考えますが、今無暗に口を挟んでも余計にこちらが不利になるだけです。
今は黙ってガイラさんを信じるしかありません。
「なるほど。ご事情は理解した。」
「では――」
「駄目だ!」
一言目に期待して再び近づこうとした途端、二言目でそれはぬか喜びに終わりました。
「何故ですか!?」
「先程申し上げた筈だ。ここにはいかなる理由があろうと学生である以上近づくことは許されん。何があったかは明日卒業して外に出れば分かる事だろう。」
「しかし、それでは間に合わ――!?」
ガイラさんには珍しく気が逸ってしまったのか、慌てて口を塞いだものの既にそれは取り返しのつかないミスでした。
「間に合わない?いったい何に間に合わないと言うんだ?」
「い、いえ。それは……。」
明らかに追い込まれている――。
ガイラさんは口をへの字に曲げながら歯をギリギリさせていました。
「あ、あの!」
この逼迫した状況を何とかしなければ、と取り敢えず声を出してみましたが、ここからどうするか何も思いつきません。
「何だ?」
守衛さんがいよいよ警棒を手にしてしまいました。
一応ガイラさんの方を見ますが、どうする事も出来ないといった様子でした。
もう隙を窺うのは無理があります。
となれば、一か八か、強引にでも正面から本当の意味で強行突破するしかありません。
そう思った時でした――。
「大変よ!あっちで学生達が外壁を登ろうとしているわ!その数五十!」
東の方から女学生の叫ぶ声が聞こえてきました。
「ご、五十だと!?いったい何が……!?」
姿は見えないまでも正に切羽詰まったと言わんばかりの大声に、守衛さん達は戸惑っているようでした。
「急いで!今にも超えられそうなの!私ひとりじゃとても押さえられないわ!早く!」
間違いなく嘘であろう内容なのに、さも本当なのだろうと思ってしまう程にその声は迫真の演技でした。
「ど、どうする!?」
ハッと我に返ってみれば、先程までの緊迫した状況は一変していました。
守衛さん達は明らかに動揺しており、突破するなら正に絶好のチャンスです。
「とりあえず門を閉めて急行するぞ!」
そう言って守衛さん達が門の方へ向いた時でした――。
「許せ。」
私達に背を向けたその隙をガイラさんは見逃しませんでした。
「き、貴様!何をしている――!?」
片方の首を後ろから手刀で叩くガイラさんにもう片方が怒号を上げますが、すぐさまガイラさんはこちらに向き直るその一瞬の隙をついて、もう一人の守衛さんも手刀でその意識を刈り取りました。
「ユナウさん!」
見事な立ち回りに見惚れる暇もなく、私も走り出しました。
「す、すごいですね……。」
「紳士たる者、武芸にもその心を持つべし、と幼い頃から鍛えていましたから。このくらいは。」
「でも、手刀では人って気絶させられないって聞いた覚えが……。」
「確かに難しいですが、コツさえつかめば誰でも出来ます。」
まさか武芸にも精通していらっしゃるなんて、こんな時にガイラさんの新たな一面を目にしてしまうとは思いもしませんでした。
「ガイラさんって出来ないことないんじゃ……。」
「そんなことはありません。実際、貴女の心を射止めることは出来ませんでしたから。」
今の手刀の件もそうですが、こういうことをさらっと言ってのけるのがこの人の凄いところです。
逆に、私の方が恥ずかしくなってしまいます。
「それにしても、さっきのはいったい誰が?明らかに私達に向けて助け舟を出してくれていたようですが……。」
そうでした。
ガイラさんの手際の良さに思わず忘れてしまいそうでした。
何故か私達を助けてくれたあの声は――。
「…………まさか、ね。」
その声を聞き間違えるはずなんてない。
なのに、この時私はそれを信じきれずに聞き間違えだと思い込んでしまいました。
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