下界落ち(3)
〝 拝啓 ガイラ・ジーン=スイルリード様
先日は私のような一介の女学生に有り難い申し出をいただき、心より感謝申し上げます。
先日の件でお話ししたい事が御座います。
もしお時間宜しければ、今夜七時に【
急な申し出でご無礼を承知しておりますが、何卒ご容赦の程お願い申し上げます。
敬具 ユナウ・レスクレイズ=アルバートン 〟
学院内は南中央に正門があり、西に男子寮及び男子棟校舎、東に女子寮及び女子棟校舎があります。
基本的に西側は女学生は入れず、東側は男学生は入れません。
不純異性交遊等が行われぬよう東西で完全に男女の領分が分かれているのです。
しかし、学院内の中央にある中央棟や集合施設、中央棟裏の大庭園は、共同施設として誰でも消灯までの時間なら利用することが出来ます。
「スイルリードさんは……まだ来ていませんね。ちょっと早く来過ぎてしまいましたか。」
手紙の書いた時間の十五分前に大庭園に着くと、私は花々の色や臭いを楽しみながらゆっくりと庭園の奥へと歩いていきました。
大庭園の見物の一つでもある十六色のスイートピー広場に辿り着くと、目の前の光景に私の心は惹きつけられました。
そこには、片膝をついてしゃがみ、目を閉じて、赤いスイートピーに鼻を近づけてその臭いを嗅ぐスイルリードさんの姿がありました。
「母上が好きだった花なんです。」
スイルリードさんが呟いて、私は自分が暫く見惚れて立ち尽くしていたことにようやく気がつきました。
しかし、我に返ったばかりで状況を上手く呑み込めず、私は混乱して上手くお返事が出来ませんでした。
そんな私を見て、スイルリードさんは優しく微笑みながら歩み寄ってきてくださいました。
「失礼いたしました。昔の思い出に耽っていて時間を忘れてしまっていたようです。探させてしまいましたか?」
「い、いえ。まだ手紙の時間の十分も前です!私の方こそ遅れてしまってすみません!」
「十分前なら遅れていないのでは?」
スイルリードさんの冷静な突っ込みに更に頭が真っ白になってしまいました。
この人といると胸がドキドキして調子が狂ってしまいます。
これはいったい何なのでしょう――。
「そんなにお気を使わなくて結構ですよ。公爵家の人間とはいえ、今はまだ貴女と同じ一介の学生なのですから。」
「そ、そうですね!私達まだ学生ですもんね!」
依然として私は緊張で何を話したらいいのかも分からなくなっていました。
そんな私の様子を見てか、今の私の発言で何かを察したのか、スイルリードさんも口を閉じてしまいました。
少しの間庭園を沈黙が包み、風の音だけが優しく耳を擽りました。
私がスイルリードさんのお顔を見れないでいると、スイルリードさんは振り返って再びスイートピーの方へと歩み寄って行きました。
その後ろ姿は何とも凛々しく、先程まで逸らしていた視線は気づけばその背中に吸い寄せられていました。
「赤いスイートピーは、昔は存在しなかったそうです。」
こちらの気を案じてか、いつもの声よりも落ち着いたトーンでスイルリードさんは語り始めました。
「スイートピーには十六の色素があり、その中に緋色の色素もあるのですが、昔は色がくすんでいたり、淡くてピンクに近かったりと、このような真っ赤なスイートピーは存在しなかったそうです。」
スイルリードさんは花弁を真っ赤に染めたスイートピーを一輪摘み取ると私の元に戻っては胸元に差し出しました。
私はそれを手に取ると真似るように綺麗な紅色をしたそれの臭いを嗅ぎました。
「ですが、品種改良が進み、今では十六色全ての色のスイートピーが育てられるようになっているそうです。加えて、ここで育てられているのは年中咲いていられる品種だそうです。」
「そうなんですね。素敵です。」
「スイートピーの花言葉はご存知ですか?」
「確か、門出、別離、ほのかな喜び、優しい思い出。」
「流石ですね。」
「い、いえ、私もお花は好きなので……。」
いつもクリスちゃんや他のご学友の方々、それに先生方に褒めていただいているのに、スイルリードさんに褒められると何だか気恥ずかしく思います。
「私は、スイートピーは正しくこの学院、いえ、この国そのものだと考えています。」
「それはどういう?」
「ご存知の通り、この国は八歳になると親元を離れ、この学院に入ります。これが門出と別離ですね。そして、学院内では男女が別れて紳士・淑女としての勉強に励み、日々を過ごします。こちらを別離と捉えてもいいかもしれません。学院で過ごす中でほのかな喜びを感じ、そして時々幼い頃の父母との優しい思い出に浸ることもあるでしょう。そうして成人を迎え、学院を出て紳士・淑女として国に貢献していく。大人になると、きっと学院での日々が優しい思い出になるのだと思います。このように考えると、この国の制度は正にスイートピーの花言葉と一致するんです。」
「素敵な考え方ですね。」
「この学院に来る前、父上に帝王学を学ばされていましたので、手持ち無沙汰になると癖でついこういったことを考えてしまうんです。」
「ご立派です。流石は次期公爵家のご子息様ですね。」
「いえ、本当に大したことではないのですよ。今のも見方を変えればただの妄想です。」
そのちょっとした揶揄いと謙遜がクスクスと笑わせてくれて、いつの間にか私の中にあった緊張は何処かへ消えていました。
「そういえば、先日の件で話があるとか。だいぶ本来の話から逸れてしまいましたね。すみません。」
「いいえ、大丈夫です。」
「して、ご返答は――?」
スイルリードさんの話を聞く前だったら上手く話せていなかったかもしれません。
でも、今の話でスイルリードさんがどういうお人なのか、どういった考えを持った方なのか、それが分かった今なら迷うことなく言うことが出来ます。
「その事ですが、やっぱりもう少しだけ時間を下さい。今日お呼びしたのは、きちんとお返事をするにはスイルリードさんの事をもっと知るべきだと思ったからなんです。」
スイルリードさんは表情を変えず、その優しい目で私の目をじっと見つめるだけでした。
「今の私はスイルリードさんの事が好きなのかどうかを判断できるほど貴方のことを知りません。ですから、もう少しスイルリードさんのことを、私のスイルリードさんに対する気持ちを知るためにお時間を貰えませんか?」
必死に気持ちを伝えたつもりでした。
ですが、スイルリードさんはいつもの微笑みを浮かべるだけで何を考えているのか分かりません。ちゃんと想いは伝わったでしょうか。
「なるほど、そういうことでしたか。どうやら私は貴女を困らせてしまっていたようですね。申し訳御座いません。」
そう言うとスイルリードさんはこちらに軽く頭を下げてきました。
「い、いえ、謝っていただく程のことでは――。」
「では、こうしませんか?」
「え――?」
慌てる私を落ち着かせるようにスイルリードさんは再び笑みを溢しました。
「週に一度、ここでまたお話をしましょう。話の内容は何でも構いません。都合が悪い日は断っていただいて結構です。そうして来年の三月、卒業式の日にお返事を下さい。どうでしょう?」
私は驚きました。まさかスイルリードさんの方からその提案をしていただけるとは思ってもみなかったからです。
この提案は私にとって最善の案でした。
つい先程まで全く同じことを私も考えていたので、何だか急に胸が熱くなってきました。
「はい、お願いします。」
一目散に返事をすると、スイルリードさんも嬉しそうに頷いてくれました。
「冷えてきましたね。今日はこの辺にしておきましょう。」
「そうですね。」
「それではまた。来週話せるのを楽しみにしています。」
「はい。私も楽しみにしています。おやすみなさい。」
こうしてスイルリードさんと私の夜のお話し会が始まったのでした。
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