それぞれの思惑(8)

 そこは薄暗い石室でした。でも、牢屋ではありません。


「私、いつの間にこんなところに……。」


 周囲を見渡してみると、四方の壁の棚には箱状の何かがぎっしりと並べられていました。


「これ、オルゴール?」


 その中の一つを手に取って開いてみると、音はしませんが中は確かにオルゴールでした。


 どうやら他のも全てオルゴールのようです。

 凄く年期の入った物もあれば、最近作ったばかりのような綺麗な物までありました。


「ここは……こうしましょう。」


 ふと後ろから声がして、私は驚いて振り返りました。


「王妃……殿下?」


 振り返った先にいたのは、真ん中の四角い大きな机――作業台と言った方が良いでしょうか。そこに座って何かを作っている王妃殿下でした。


「殿下!?これはその……。」


 慌てて手に持っていたオルゴールを棚に戻して殿下の方を向きますが、殿下はこちらに気づいていないようでした。


 いいえ、この浮遊感――これはたぶん夢です。

 だからきっと私はいないことになっているのだと思います。


「ここをこうすれば……。」


 汗を袖で拭いながら作業する殿下のお姿は真剣そのものでした。


 まるで何かの使命を果たすかのような――。


 そんな姿に、私は気づくと惹き込まれてじっと見つめていました。


「ふう、今日はここまでにしましょう。続きはまた今度。次もまた見つからないようにしなくては……。」


 一段落着いたのか、殿下は作りかけのオルゴールを置くと、しばらくの間物思いに耽るかのようにじっと座っていました。


「このオルゴール、全て殿下がお作りに?」


 いいえ、一番古いと思われるオルゴールは金属部分の錆び具合からして、十年や二十年といったどころの年月ではなく、もっとずっと昔に作られているように思えます。


「ディアンヌ様、私もきっと次の時代へとお繋ぎします。あの人と、そしてあの子の未来のためにもきっと――チュッチュッ。」

「えっ――!?」


 それまでの様子とは一変して急に殿下の口から鳥の鳴き声が聞こえたかと思った瞬間、気がつくと見覚えのある牢屋とファラの姿が目の前にありました。



 チュッチュッ――。



 鳴き声は手元からしているようで、目線を下げてみれば一羽の小鳥が私の掌の上にちょこんと乗っていました。


「俺もさっきまで寝てて、気づいたらいたんだ。どっから入り込んだんだろうな。」


 ファラは小鳥の侵入経路が気になっている様子でしたが、私はそんな気分にはなれませんでした。


「さっきの夢、あれは殿下の記憶?それにディアンヌ様って……。」

「ユナウ?」


 ファラのことや法廷でのことですっかり忘れていましたが、王妃殿下は私達の味方のはずです。


 今の夢――夢とあしらうには生々しかったように感じます。

 それにこのタイミングであんな夢を見るなんて、何か意味があるように思えて仕方がありません。


「あの人……あの子の未来って、いったい何のことだろう?」

「ユナウ、本当に大丈夫か?」

「えっ!?あっ、ごめんなさい!私ったら……。」


 心配そうなファラの顔でようやく我に返ると、自分達がまだ捕まったままだということを思い出しました。


「いや、大丈夫ならいいんだが……そろそろ時間だ。」


 難しい顔で緊張したようにそう言うファラの姿に、私も察して気を引き締めました。


「結局どうやって逃げましょう?」

「取り敢えず外に出るまでは捕まったままでいる。外に出たら俺が憲兵を倒すから、その隙に走って森まで逃げるんだ。但し、法廷の時みたいに足枷を付けられそうになったり、思った以上に数が多い場合はその場でボコって逃げる。」

「そんなに上手くいくでしょうか?」

「行かなかったら、その時は別の方法を考えるしかない。」



 不安は残るものの、もうやるしかない。



 それは私も同じ気持ちです。

 足手まといにならないようにだけ気をつけないと――。



 そう思った矢先、奥の方から足音が聞こえてきました。


「来た!」


 ファラが小声ながらもそう叫ぶと、一気に緊張が込み上げてきました。


 足音が徐々に近くなるにつれ心臓の鼓動が激しくなり、呼吸をするのも辛くなってきます。


「やけに足数が少ないな。」


 ファラは不信感を抱いたようにボソッと呟くと、通路の奥の方を見ようと鉄格子に顔を食い込ませました。


「あれは……憲兵じゃないな。誰だ?」


 ファラは怪訝そうに目を細めては、身を屈めて臨戦態勢を取りました。


「あっちの方も見てみましょう。」


 ファラの言動に加え、奥の方から反響してうっすら聞こえてきた今の声に、私もまさかと鉄格子に顔を食い込ませて通路を覗きました。


「ガイラさんっ!?それにクリスちゃんもっ!?」


 目の前に移る光景に、まだ夢を見ているのかと錯覚するほど胸の中から色んな感情が込み上げてきました。


「いた!ユナウ!」


 クリスちゃん達もこちらに気づいたようで、全速力で走ってきます。


「二人ともどうしてここに!?」

「説明は後です!まずはここから出ましょう!」


 そう言ってガイラさんは懐から鍵を取り出すと、その鍵で牢屋の扉を開けました。


「さあ、こっちへ!」


 扉の外から伸ばされた手を掴んで先にファラが牢屋の外に出ました。


「聞きたいことは山程あるが、まずは礼を言うよ。助かった。」

「礼を言うにはまだ早いです。城から出るまでは安心できません。」


 頭を下げるファラに、ガイラさんはその肩に手を乗せて頷きました。


「あの、クリスちゃん……。」

「…………。」


 お礼を言おうと近づいてもクリスちゃんは目を合わせてくれませんでした。


 ここ半年以上クリスちゃんとは一言も話せずにいました。

 でもそれは、最初に私がクリスちゃんに無理を押し通したからで、それでだんだん気まずくなっていって、何を話していいか分からなくなって避けるようになってしまったからで、何もかも私が悪くて――。


 今言うべきはお礼なんかじゃない。

 それよりももっと言いたかったこと、真っ先に言わなきゃいけなかったことがありました。


「クリスちゃん、あのね――」



〝 ごめんなさい!! 〟



 声が重なった瞬間、私は驚いて顔を上げてしまいました。


 目の前で深々と頭を下げるクリスちゃんの姿を見て、私の中に何とも言えない感情が湧き上がってきました。


「何で?どうしてクリスちゃんが謝るの?悪いのは全部私なのに。」

「違う。違うのよ、ユナウ。悪いのは、私の方なの。」


 ゆっくりと上げられたその顔は、目の周りが真っ赤に染まり、今にも溢れ出しそうな程に瞼に涙を溜めていました。


「私、本当は分かってたの。ユナウの気持ちも、ユナウがしようとしていることが間違ってないってことも。」

「クリスちゃん……。」

「でも私、怖くて、踏み出せなかった。下界落ちを見たあの日のことがずっと忘れられなくて、主教様や先生方とすれ違う度に、あの時本当は見られていたんじゃないかって、泳がされてるだけじゃないかって。これ以上踏み込んだら、今度は自分が下界落ちに遭うんじゃないかって。そう思ったら、たまらなく怖くて、貴女を避けてた……。」


 瞼に溜まった涙を何度も拭いながらクリスちゃんは胸の内を明かしてくれました。


 私はそれを一言一句漏らさず受け止めました。


「本当は分かっていたの。泳がせる意味なんて何もない。バレているのならすぐに処罰されるって。でも、分かってても勇気が出なかった。私にはユナウみたいな正義感も、人を動かすような魅力もない。ただ周りに合わせるのが上手いだけの普通の女なの。だけど昨日、寮の部屋で貴女が最優秀淑女に選ばれたのを見た時気づいたの。ユナウが選ばれて、心から嬉しいって。私の親友は学院一なんだって、そう素直に喜んでいる自分に。そこでやっと気づいたの。私が本当に怖いのは何なのか。」


 そう言ってクリスちゃんは私の目を一心に見つめました。


「私、ユナウと一緒にいたい。ずっとずっと一緒にいたい。ユナウだけ捕まって、ユナウだけ下界落ちに遭って、貴女を失うなんて……そんなの嫌!自分が下界落ちに遭うよりも、貴女を失うことの方が私は怖い。だから――」

「もう大丈夫。大丈夫だよ。」


 泣きながら想いを告白するクリスちゃんを私はそっと抱きしめました。


「あのね、クリスちゃん。私も同じことを思ってたんだよ。」

「ユナウ……?」

「私、【最優秀】になんて興味なかった。たまたまテストや実技の点数が良かっただけで、それで注目されるようになって周りからヨイショされて、気づいたら【最優秀候補】なんて呼ばれるようになって、正直重荷にしか感じてなかった。」


 そうして今度は私がクリスちゃんの目を一心に見つめました。


「けど、クリスちゃんが後押ししてくれたから、もうちょっとだけ頑張ってみようと思えたの。それが結果、ガイラさんに興味を持ってもらえるようになって、知り合えた。お話しをしてその考えに触れられた。そのおかげで下界落ちを止めようって、そう本気で思えたの。」


 ガイラさんの方を向いて確認を取るように頷くと、それにガイラさんも微笑みながら頷き返してくれました。


「それで洞穴に行くようになって、最初は夜中に寮を抜け出してるのがバレないか心配で怖かったけど、繰り返す度に毎回バレてなくて、それもクリスちゃんが上手く誤魔化してくれてるって分かったから、私凄く安心したんだ。」

「ユナウ……。」

「だから私、途中から何の不安もなくファラの元に通えたんだ。ファラと出会えたおかげで下界のことを知れて、当たり前だと思ってたことがよく考えてみたらどこかおかしいって気づくことが出来た。それも全部クリスちゃんが裏で支えててくれたから、支えてくれたのがクリスちゃんだったから、私は安心してファラの所へ行けたんだよ。」

「ユナウ‼」


 そこまで言うと、今度はクリスちゃんの方からギュッと抱きしめてくれました。

 気づけば私も目に涙を浮かべながらクリスちゃんの体を強く抱きしめていました。


「私、怖いことを言い訳に自分のことしか考えてなかった。ごめんなさい。」

「そんなことないよ。いつも一緒にいてくれて、支えてくれてありがとね。」

「うん……。」


 暫くの間、私達はお互いの存在を感じながらそのままでいました。



「もう、いいのか?」


 私とクリスちゃんの気持ちが落ち着いたのを見計らい、ファラが声を掛けてくれました。


「うん。」

「ええ。」


 私も、クリスちゃんも、ファラの声掛けに頷くと、ファラはガイラさんの方へ振り向きました。


「あまりゆっくりはしていられない。早くここを出たいところだが、憲兵がうろうろしている以上無暗に外に出る訳にもいかない。」

「そういえば、ガイラさん達はどうやってここに?」


 冷静になって考えてみれば、ガイラさん達がここにいるのはおかしなことです。

 厳重な警備をどうやって掻い潜ったのでしょうか――。


「私達は二階にある隠し通路から来ました。帰りもそこを使えば見つからずに城を出られるはずです。」

「隠し通路?よくそんなもん見つけたな。」

「牢屋の鍵も、いったいどうやって……。」

「送られてきたのよ。手紙で。」


 私とファラがガイラさんに問い返すと、代わりにクリスちゃんがそう答えました。


「手紙?誰から?」

「それは分からないわ。私に送られてきたのにも、スイルリード様に送られてきたのにも、差出人の名前はありませんでしたから。」

「ただ牢屋の鍵を怪しまれずに手に入れられてかつ、城の隠し通路のことを知っている人間ともなれば限られてくるでしょう。加えて私達の味方でもあるとなると――」

「王妃殿下!?」

「おそらく。」


 私とガイラさんが納得する中、ファラとクリスちゃんは理解が追いつかず戸惑っているようでした。


「とにかく逃げ道があるなら早く行こう。もう憲兵がいつ来てもおかしくない時間だ。」

「その前にこれを。」


 駆け出そうとするファラを呼び止めガイラさんが差し出したのは、ファラのお父さまの手帳でした。


「どうしてあんたがこれを?」

「私の手紙に入っていました。回収したのは王妃殿下でしょう。安心して下さい。中は見ていませんから。」


 ファラは手帳を受け取り懐にしまうと、ガイラさんにお礼を告げました。


「行こう!」


 急かすようにファラがそう言うと、私達も全員一致で頷きました。


「こっちです!」


 ガイラさんを先導として私達は地下牢を抜け出しました。

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