それぞれの思惑(7)
憲兵さん達に拘束され連れていかれたのは、城の中にある客間の一室でした。
連れて来られてから少しして主教様が扉を荒々しく開け放って入ってきました。
と同時に、憲兵さんから私を引き剥がして壁に押しつけ、更に持っていた錫杖を私の首に押しつけてきました。
「貴女は自分の立場を、自分が何をしたのかを理解していますか!?」
鼻と鼻がぶつかるほどの距離まで怒り狂った主教様の顔が迫ってきました。
「もちろんです。」
「このガキ……。」
真顔で受け応えるこちらを憎たらしく思ったのか歯をギリギリさせては、主教様はもう一度こちらを睨みつけました。
「いえ、今はそれよりも、問題は貴女をどうするかです。」
それまでとは一転して、今度は深刻な面持ちで主教様はこちらを見つめてきました。
「先程傍聴席にいた者の中には記者も大勢いました。その全てを始末することは流石に出来ません。」
「始末って……。」
「お黙りなさい。貴女には今発言権はありません。」
そう言って主教様は首の錫杖を更に強く押し込み、物理的に発言できないように喉を押さえてきました。
「本来なら貴女も問答無用で死刑ですが、今回は王妃の所為で事が大きくなり過ぎました。」
王妃の所為――?
その口ぶりからして、主教様と王妃殿下はグルではないということでしょうか。
王妃の所為というのは、恐らくファラに発言を許したことを言っているのだと思いますが、だとするとここまでの事を踏まえれば、やはり王妃殿下は味方に間違いありません。
「一つ提案があります。」
怪しい笑みを浮かべてはニタニタする主教様――。
到底ロクな提案とは思えません。
「これから中継を流します。ここまで事が大きくなった以上、下界人の死刑を大々的に中継することで下界への関与は大罪であると、もう一度国民の頭に刻みつけるのです。その中継の際に、貴女は先程の自分の発言は撤回すると、そう述べるのです。」
「そんなこと――」
「しなければ、貴女も共に死刑ですよ。と言っても、最優秀である貴女を大々的に処刑することはできないので、誰にも気づかれぬよう下界落ちにさせますがね。」
下界落ち――とうとうそれが自分の身に降りかかるところまで来てしまいました。
正直逃げ出したいほど怖い。
喉に錫杖を押し付けられて苦しい。
早く楽になりたい。
けれど、諦めたくない。
王妃殿下は間違いなく味方です。
協力さえ仰げれば、まだファラを救える可能性があります。
希望を捨ててはいけません。
私は力一杯主教様を押し返しました。
錫杖が首から離れるのを確かめると、咳き込みながら息を整えました。
「何をするのです!」
「下界落ちにしたいならすればいい。」
「なっ――!?」
こちらの答えが予想外だったのか、主教様は明らかに動揺していました。
「私は自分が間違っているとは思いません。ファラは、私にとって大切な人です。だから最後まで私は彼のそばにいます。」
お母さま、私に勇気を授けてくれてありがとう御座います。
もう何があっても私はファラの手を離しません。
絶対に最後まで諦めません。
もしその結果が自分の死だったとしても、私は最後まで彼と一緒にいます。
「この頑固娘が……。後悔しますよ。」
「構いません。私は、私が信じる道を進みます。」
主教様は大きく溜息をついて強張った肩を休めると、扉の方へゆっくりと歩き出しました。
「この者を地下牢へぶち込んでおきなさい。私は王妃殿下に用があります。後は任せますよ。」
憲兵さんにそう吐き捨てると主教様は部屋を出ていかれました。
手首を繋がれ二つ程階段を下りた先にあったのは、じめじめとして薄暗く、人気を全く感じさせない石室でした。
まさかお城の中にこんな場所があったとは――。
想像もしなかった光景に、私はこれから自分の身に降り掛かることへの恐怖をも忘れて呆気に取られました。
そして同時に、ここは今まで下界落ちに遭ってきた人達が監禁されてきた場所なのだ、とそう自然に確信しました。
「着いたぞ。」
先頭の憲兵さんが足を止めたのは、この地下牢の丁度真ん中くらい。
数ある牢屋の中でも一際狭い牢屋でした。
そして直ぐにその中の人影に目が行きました。
「ファラ――!?」
目を凝らさなくても人影の正体が誰なのか理解するのに時間は要りませんでした。
「ユナウ!?」
ファラは私と同じように驚くと、鉄格子をグッと掴んではこちらに顔を近づけました。
「下がれ。」
憲兵さんの言葉にファラは睨み返しましたが、次に憲兵さんが牢屋の鍵を開けると忽ち首を傾げました。
「入れ。」
「えっ、でも……いいんですか?」
ファラも私も死刑になるのは変わりません。
けれど、同じ牢屋に入れられるとは思ってもみませんでした。
先程の裁判からしても、どこまで信用するかは別として、私達は少なくとも協力関係にあります。
それは誰もが承知したことでしょう。
普通なら脱獄等のリスクを減らす為に別々の牢屋に入れておくものだと思っていましたが――。
「せめてもの情けだ。」
「情け?」
四人の憲兵さん達全員の顔色が沈むのに違和感を覚え、思わず聞き返してしまいました。
「我々とて、下界落ちに何の疑問も感じていなかった訳ではないのだ。」
牢の鍵を開けた憲兵さんがそれまでとは一変して柔らかい口調で話し出しました。
「もちろん彼の話を全て信じた訳ではない。しかし、城で働く我々には思い当たる節が無い訳ではなかった。だからこそ、あの場で君達を捕らえるのを躊躇してしまった。」
「思い当たる節というと?」
「すまない。それについては私の口から具体的に話す事は出来ない。私も自分の身が恋しいのでな。だが、国王陛下や主教殿、それに王妃殿下の言動に疑問を感じたことは君達にもあるはずだ。だからこそあの場で一石を投じたのだろう。違うか?」
「確かに、その通りです。」
この国の在り方、陛下や主教様達を不審に感じていたのは私達だけではなかった――。
その事実は、私の心に少しだけゆとりを与えてくれました。
「私達とて人の心はある。本心では死刑はやり過ぎだと思っているし、出来ることなら君達二人を助けたいとも思っている。しかし、この国の規則は絶対だ。特に城に務める我々は陛下の御意向には逆らえない。だからせめて最後の時くらいは好きな人と共に過ごして欲しい。そういう意味での情けだ。」
「憲兵さん……。」
「さあ、早く入れ。あまり戻りが遅いと主教殿に不審に思われてしまう。」
「はい。」
憲兵さんに会釈をして私は自らの意志で牢屋に入りました。
「あんた、思ったより良い人なんだな。」
扉に鍵をかける憲兵に、ファラはそう一言語り掛けた。
「そうでもないさ。今まで十数人、下界落ちに合うのが分かっていて連行し、そして見殺しにしてきた。」
「それでもあんたの心は今も汚れてない。」
ファラの言葉に憲兵はフッと鼻で笑っては立ち上がった。
「先の場での君の標榜――陛下には届きこそしなかったが、あれは決して無駄ではなかったはずだ。少なくとも、この国の闇の部分を知る者には大なり小なり響いただろう。君が投げた小石はきっといつか誰かの手に届く。そしてそれが、この国を変えるきっかけになるかもしれない。」
「ああ。そうなることを願ってるよ。」
ファラがそう言うと、憲兵さん達は肩の荷を下ろした様子で地下牢を出ていかれました。
「ファラ!」
「ユナウ!」
人気が無くなったのを確認するや否や、私達は互いにその手を取り合いました。
「やっと会えました!ずっと心配で、心配で……でも、無事で本当に良かったです!」
「こっちこそ、法廷に入って来た時は冷や冷やしたよ。ユナウまで死刑になったらどうしようって。」
「結果的には死刑になっちゃいましたけど。」
「何でそんなに嬉しそうなんだよ。」
目が合っては笑みを溢して、そして胸が温かくなるのを感じます。
「死刑まで十八時間ちょっとか。それまでどうするかな。」
「どうして?」
「ん?ああ、死刑の時間か。憲兵達にここに連れて来られた時に、明朝に迎えに来るって言われたんだ。」
「そっか。私もその時に下界落ちにされるのかな……。」
覚悟は決めました。
でも、やっぱり死ぬのは怖いです。
ファラの存在を感じれば感じる程、その気持ちは一層強くなりました。
「させないさ。」
無意識に顔が俯きそうになったところで顎がファラの手に触れ、そのままクイッと無理矢理持ち上げられました。
目の前にあるファラの顔――。
その透き通った瞳に自然と目を奪われます。
「ユナウ、君だけは何があっても逃がしてみせる。」
「ファラは?」
「俺も出来る限り逃げる。けど、多分逃げ切れないと思う。」
私を逃がす――。
そう言った時の自信に満ちた表情とは裏腹に、ファラは自信無さ気で私から目を逸らしました。
「それは駄目です。」
「えっ?」
「ファラが死ぬなら、その時は私も一緒です。私を助ける為に貴方が死ぬなんて、絶対に許しません。」
「いやいや!ユナウ、俺は君に死んでほしくないんだ!だから――」
「そんなの私だって同じです!」
互いに一歩も譲らない姿勢を見せるも、先に折れたのはファラでした。
「ユナウは死ぬのが怖くないのか?」
「そんなことはありません。私だって死ぬのは怖いです。けれど、もしファラのお蔭で助かったとして、それで貴方が死んでしまったら、私はきっと自分が許せなくなります。それに、誰かの遺志を背負って生きていくなんて、私には荷が重くて出来ません。」
「…………そうだな。俺も逆の立場ならそう思うよ。」
ファラは一瞬物憂げな表情を浮かべましたが、直ぐに諦めたように大きな溜息をついては石床についていた私の右手にそっと手を添えました。
「ずっと一緒だ。」
その手の温もりに、私は改めて実感しました。
ガイラさんとも、クリスちゃんとも、お母さまとも、誰とも違う。
触れているのは手の甲だけなのに、全身を包まれるように温かい。
これがファラの温もり――。
私の好きな人の心の温度――。
「さてっと、まずはここを出る方法を探さないとな。」
ファラは立ち上がって壁や鉄格子を触ったり叩いたりし始めました。
私も何か脱獄のヒントが無いか探してみることにします。
「何も……ありません。」
調べるのにそれほど時間が掛からないこの狭い牢屋の中で、それなりに時間を掛けてみたはものの、何もないどころか、ちょっとした窪みや小さな亀裂すら見つかりませんでした。
「見回りの看守も来ないし、他の罪人がいる気配もないな。これじゃ何かしら交渉する余地もない。」
ファラはガクリと肩を落とすと地面に手をついて座りました。
「ここまで何もないとなると、脱獄するより連行される時に逃げ出す方が現実的かもな。」
「でも、その時って相当警戒されているんじゃ……。」
「確かにな。だが、憲兵達に俺らを憂う気持ちがあるのは分かった。なら、逃げる隙が出来る可能性はある。」
「可能性……。」
「不安なのは分かる。けど、正直これしか方法はないと思う。」
ファラは誰もいない向かいの牢屋をぼうっと眺めながらそう呟きました。
それから何時間経ったでしょうか。
死刑が決まっている私達には食事の供給などある訳もなく、ただただ時間だけが過ぎていきました。
外部と完全に遮断されているせいで今が何時なのかも分かりません。
徐々に眠気が襲ってくることから、夜も更けた頃合いだろうとは推測できますが、少しずつ時間の感覚が無くなってきました。
「あと大体六時間くらいか。」
「どうしてそんなに……?」
「んー、強いて言うなら感覚かな。俺六年も真っ暗な穴ん中いたし、こっち来てからも基本的に洞窟の中にいたしな。」
「そうでした。何かそれ凄く説得力ありますね。」
「そうか?でもあくまで感覚だから、そこまで信用しないでくれよ。」
フフッと私が笑うのを見て、ファラも優しく微笑んでいました。
「そういえば、一つ聞いてもいいですか?」
せっかく和やかになったところに水を差すようで申し訳ないと思いながらも、私は法廷でのことをふと思い出しました。
「法廷でファラが言っていた『レクロリクス王家の人間』だって、それってどういうことですか?」
「それは……。」
ファラは一瞬話すことを躊躇するように目を逸らしましたが、すぐにまたこちらに目を合わせては口を開きました。
「父さんの手記に書いてあったんだ。ユナウにも見せたあの手帳に。」
思いを馳せるかのように目を瞑っては、何処を見るでもなく正面に顔を向けてファラは続けました。
「俺も全部を知ってるわけじゃない。けど、父さんの手記に寄れば、過去にこの国の王子があの穴に落ちて下界に辿り着いた。そして下界にも国を作り、長い年月を経て繁栄していった。それが俺も住んでいた今の下界だ。」
「法廷で話していた昔話?」
「ああ。最もその昔話自体は小さい頃から耳にタコができるほど父さんから何度も聞いてた。好きだったんだ、この話。〝母さんは俺を産んだ時に死んで星になった〟って、〝お前を愛してずっと上から見守ってくれてる〟って、父さんが言ってたから。この話に出てくる王妃が、上界から食べ物を落として王子を助けたって構図が『父さんの言っている事は本当なんだ』、『母さんは俺をずっと上から見守ってくれているんだ』って……そう信じられて好きだった。」
そういえば禁足の森の湖でも話してくれていました。
ファラはご両親をお亡くされている。
私もお母さまを小さい頃に亡くしていますが、ファラにはお母さまの記憶すらなく、私なんかよりもずっと寂しい思いをしているんです。
「泣かないでくれよ。」
「えっ……?」
ファラに言われるまで私は自分が涙を流していることに気が付きませんでした。
焦りながらも涙を拭い、私は続けて欲しいと頷き返しました。
「手記にはその昔話は実際にあったって書いてあったが、その真偽は俺には突き止めようもなかった。けど、さっきの五人の反応を見て確信した。この話は実際にあったことだ。」
「それについては私もそう思います。あの時の国王陛下達の反応は明らかに動揺していらっしゃいました。」
「ああ。それに多分あの五人は俺よりもその辺の事情に関して詳しいと思う。」
ファラは法廷でのことを思い返しているようでした。
「そういえば手帳は?」
「取られたよ。今は何処にあるのかも分からない。」
「そう……ですか。」
当然といえば当然でしょうか。
下界に関するあらゆることを規制してきた陛下達にとって、ファラやファラの所持品は抹消して痕跡すらも残したくないはず。
ファラの語った昔話を私達が聞いた事もなかったのがその証拠です。
あの昔話は上界と下界に関係性を持たせるものとなってしまうから。
でもだとすると、何故傍聴席に人を呼んだのでしょうか。
考えたくありませんが、洞穴で捕らえた時点で問答無用でファラを殺してしまえばそれだけでお終いに出来たはず。
それを何故あんな公に裁判をしたのか。
何か意図があるように思えてなりません。
「そもそも何で下界をあんなに否定しているんでしょうか……。」
「それはたぶん血の問題だ。」
ボソッと呟いた私の言葉に、ファラは答えました。
「血……?」
「ああ。さっきの話の続きにもなるが、下界は元々荒れ果てた大地が何処までも続いていたらしい。下界の人々は病や飢えで死んでいく者が後を絶たず、人は絶滅寸前だった。そんな下界を、土地を豊かにし、村を繁栄させ、国を作るまでに導いたのが、レクロリクスの王子とその血筋だ。」
「じゃあ、ファラ達下界の人がレクロリクスの血を継いでいるっていうのは――。」
「下界では絶滅寸前という程人が少なかった。だから当時まだ幼かったレクロリクス王子は上界での知識を活かして薬を開発し、土地を耕して食糧確保を最優先とした。そして王子は成人した後、始めに出会った少女と結婚して出来るだけ多くの子供を作り、子孫を繁栄させた。そしてまた子孫同士や辛うじて残っていた十数人の村人達と子供を作って人を増やしていったんだ。」
「だから、今いるほとんどの下界人はレクロリクス王子の血を継いでいる――。」
「そう言うことだ。一部を除いた半数以上の下界人は王子の血を継いだ遠い子孫。それはつまり、下界人のほとんどが上界人の血を継いでいるってことだ。」
「でも一つ分からないのは、レクロリクスという名前を私は知りません。一応学院の大庭園にその名前の方の像がありますけど、その像自体も何なのか分かっていません。」
「それは……俺も分からない。」
それまで饒舌だったファラも、そこで困った様子で口を閉じてしまいました。
「レクロリクス王家はたしかに実在した王家のはずだ。でなければ、国王達のあの反応はおかしい。だが、この国では王家の存在どころか、レクロリクスという名前自体が認知されていない。」
「陛下達が隠しているって事でしょうか?」
「だと思う。けど、その理由が分からない。それに、一般人ならともかく王家の存在を隠し通すなんてことが可能なのか?」
確かにファラの言う通り、ごく普通の国民ならともかく、王家の人間の存在そのものを抹消するなんて、そんな方法があるのでしょうか。
「いいえ、待ってください。確か前に何処かで似たようなことを聞いた気がします。ええっと……何処で聞いたんでしたっけ?」
ユナウが急にうんうん唸り出したことでファラは少し不安になるも、直ぐに思い出したように目を見開いたユナウを見てどちらかというと呆気に取られていた。
「そうです!ガイラさんのお母さまも同じようにその存在を消されたって!」
「存在を消された?それはどういうことだ?」
「方法は私にも分かりません。ガイラさんも分からないと言っていました。けれど、もしかすると今のロースハイム王家には、人々から記憶を消すための何かがあるのかもしれません。」
「何だか話が急にSFチックになってきたな。」
ファラも私も頭を抱えてみますが、人から意図的に記憶を消す方法なんてとても思いつきませんでした。
「これ以上考えても埒が明かないな。一旦この話は止めにしよう。逃げる時に備えて今は休んだ方が良い。」
「そう……ですね。」
正直煮え切らない気持ちもありますが、ファラの言うことも尤もで、私達は泣く泣く休むことにしました。
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