二つの王家(12)

「何…で……あんたが……。」


 それは誰が予想できたでしょうか。


 あの人はこの場にいた誰よりもファラから遠いところにいたはず。

 それなのに今の一瞬でどうやってファラの目の前まで移動したのか。


 いいえ、それよりも何故自分の身を呈してまでファラを庇ったのでしょうか。


「まったく……貴女という人は一体何がしたいのですか?敵のように振る舞ったかと思えば味方のように振る舞い、味方かと思えば敵だった。意味が分かりませんよ、殿下!!」


 王妃は腹部に刺さった錫杖を両手で掴みながら、吐血して乾いた口をゆっくりと開いた。


「貴女には……一生掛かっても分からないでしょうね……。」


 そのか細く震える弱弱しい声に、ファラは何処か懐かしさを覚えた。


 それが何故かは分からない。

 けれど、この人を失ってはいけない。


 何故か強くそう思った。


「何で……何でだよ!?あんたに俺を庇う理由なんてないだろ!?あんたの方がこの国に取って必要なはずなのに、どうして見ず知らずの俺を助けるんだよ!?」


 何故かは分からない。

 けれど、目の前の出来事が信じられない、信じたくないという思いが涙と共に心の底から湧いて溢れてくる。


 それを抑えようと、ファラは腹の底から溢れ出る言葉を捲し立てるように必死に叫んだ。


「良いのです……これで。貴方が今ここにいる――それだけで私は救われるのです。」


 王妃は背中越しのファラに向かってか細くも優しい声でそう口にした。


「分っかんねえよ!!あんたにとって俺は何なんだよ!?あんたの言ってること、何一つ分かんねえよ!!」



 涙が溢れて止まらない。どうして――。



 王妃のことは聞いていた。

 けれど実際に会うのは今が初めてだ。

 この人のことを俺は何も知らない。



 知らないはずなのに、なんでこんなにも胸が苦しくなるんだ――。



「ごめんなさい。本当はもっと話したかった。ですが、そうも言ってられないようです。」


 王妃はエリメラを睨みつけた。

 その手は未だ緩むことなく錫杖を掴んでいる。


「貴女には言いたいことが山程あります。」

「何なのですか、本当に!」


 エリメラは錫杖を抜こうと何度も引っ張るも、王妃の想像以上の力に錫杖はビクともしなかった。


「本当ならあの人の敵を討ちたくて堪りませんが、貴女をここで殺せばレクロリクスの血を穢すことになります。」


 王妃の目は何かを覚悟している目だった。

 それが何か、エリメラには分からなかったが、それ以上に嫌な予感が彼女を襲った。


「何を言っているのです!?貴女はロースハイムの血筋でしょう!?」


 焦る様子のエリメラに、王妃は自身に似つかわしくない不敵な笑みを浮かべてみせた。


「まさかお前は……!?いや、そ、そんなはずは……しかし、あの人と言うのが彼奴だとすれば……で、ですが、そうだとすれば、我々のしてきたことはいったい……!?」


 エリメラは何かに気づいた様子でその顔色をみるみる内に青く染めた。

 その表情はまさに絶望と言う他ない程に精力を失っていた。


 しかし、やり取りの一部始終を聞いていたにもかかわらず、ファラには二人が何の話をしているのか全く理解できなかった。


「こんなことが……。こんなことが……。」


 愕然とした様子でエリメラは膝から崩れ落ちた。

 その姿から最早戦意は感じられません。


「殿下!!」


 元老院長がようやく我に返った様子で血相を変えながら王妃殿下の元まで駆け寄りました。


「殿下、今すぐ応急処置を!!」

「ムハトマ……すみません、これを抜いてもらえますか?」

「い、いえ殿下。錫杖は殿下の腹部を貫通しております。抜かない方がよろしいかと……。」

「お願いします。私には……まだやらなければならないことがあるのです……。」


 元老院長は困った様子で唸りながらも殿下のお気持ちを尊重したようでした。


「憲兵!急ぎこちらへ!それから侍従でも誰でも構わん!治療ができる者を呼ぶのだ!」


 元老院長の声で私達の拘束は解けました。


 憲兵の皆さんは、殿下のお傍へ向かう人、主教様を拘束する人、治療できる人を探しに行く人で、それぞれに別れて動き出しました。


 この様子なら彼らはもう私達の味方となってくれるでしょう。


「ファラ!!」


 私はファラの元へ急いで駆け寄りました。


「ファラ……。」


 ファラはまだ泣いていました。

 目の前の殿下をただ見つめて立ち尽くしていました。


 そんなファラを、私はギュッと抱きしめました。



「私はここにいるよ。」



 どんな言葉を掛けたらいいのか、正直分かりませんでした。


 それに、ここまで感情を露わにするファラに正直戸惑っていました。

 だから私はファラがしてくれたように、ただ抱きしめて安心してもらうことしか出来ませんでした。


 ファラが声を詰まらせる度に、私は何より彼を愛しく感じました。


「ごめん……もう大丈夫だから。」

「うん。」


 抱擁を解いた瞬間にファラと目が合いました。

 眼鏡越しに見える彼の瞳は宝石のように澄んでいて、思わず惹き込まれそうになります。


「どうかしたか?」

「う、ううん。何でもない!」


 周囲にこんなにも人がいるのに見惚れていたなんて、恥ずかしくてとても言えません。

 何よりこんな状況でファラに現を抜かしていたなんて口が裂けても言えませんし、似つかわしくありません。


「ほら、立つんだ!」


 ふと視線を戻すと、憲兵さんが二人がかりで主教様の腕を肩に回して立ち上がらせていました。


 やはり主教様に抵抗する意志は見受けられません。


「あの、主教様をどうされるおつもりですか?」


 私は恐る恐る憲兵さんに尋ねました。


「取り敢えずは地下牢に入ってもらう。具体的な処分については王妃殿下が回復なされてからになるだろう。」

「そうですか……。」


 私は主教様の目の前に立ち、顔を合わせました。


 それは別に情けを掛けようと思ったわけではありません。

 ただ、あまりにも衰弱した様子の主教様を見て寂しいと思ってしまいました。


「ちゃんと罪を償って、いつかもう一度この国の為に働いて下さい。」


 主教様は一瞬だけ私と目を合わせましたが、表情は変わらず反応もなかったので、私の言葉が届いたかどうかは分かりませんでした。


「殿下!!」


 一方で、横から元老院長の声が再び耳に入り振り向くと、王妃殿下が地面に横たわっておられました。


「ムハトマ様、そんな大声出さないで下さい。殿下の傷に響きます。」

「し、しかし――」

「幸運にも急所は外れています。今直ぐ治療すれば命に別状はありません。ですから静かになさって下さい。」


 ファラと私が殿下のお傍に駆けつけると、憲兵さんが連れてきた侍従さんが応急処置を施しながら元老院長に苦言を漏らしていました。


「命に別状ないというのは本当ですか!?」


 私の問いに、侍従さんは手を動かしながら頷きました。

 それを見たファラは安心したように肩の力を抜いていました。


 殿下は一先ず大丈夫。

 主教様ももう戦う意志はない。



 となると、残る問題は――。



「ガイラさん!」


 私の呼びかけに、ガイラさんも直ぐに察してくれました。


「陛下が亡くなってしまった以上、エリメラに陛下の役割を担ってもらおうと思っていましたが、あの様子では難しそうですね。」


 そうです。

 そもそも私達は戦争を止める為に陛下に終戦を告げてもらうつもりでした。

 その本来の目的がまだ達成されていないことを忘れてはいけません。


「殿下に告げてもらうのは……流石にあの傷では無理ですよね。」

「元老院長にお願いするにしても、憲兵達は止まるでしょうが、下界人達が止まるかどうか……。」


 上界側と下界側――その両方を止められる人物でないと戦争を止めることはできません。


 ですが、そのような人物はそもそもこの戦争を引き起こした陛下と主教様くらいしかいません。

 他の人では言葉の重みがとても足りません。


「停戦交渉を試みるか……いや、下界人はこちらのように誰かの命令で動いている訳ではなかった。一部は聞く耳を貸してくれそうだが、各々が個人で動いているとなると交渉は難しいか。」


 うんうん唸るガイラさんの様子を見ても、状況は最悪のように思います。

 一体どうすれば、何か手はないのでしょうか――。


「おお、これは……もう終わってしまっていたか。」


 扉の方からした声に振り返ると、私達は驚きと共にその光景に聞くまでもなく安堵してしまいました。


「先を越されてしまったな、リべルドよ!」

「競争はしておらんだろう。」

「まったく、貴方達は相変わらず呑気ですね。まだ終わっていませんよ。」

「ファンギス、お前は逆にお固すぎると思うがな。」


 横一列にゆっくりと歩いてくるその四人は、一目見れば正に英雄を思わせる雰囲気を漂わせていらっしゃいました。


「父上!?それにザイデルフォン卿に、ヴァンシュロン卿、オーベスト卿まで……何故ここに!?下は……下界人達との争いはどうなさったのですか!?」


 想像もしていなかった面々の登場に取り乱すガイラさんを、公爵様達は宥められました。


「そこにいるのは、ファラ……ファラなのか!?」


 公爵様達とガイラさんのやり取りを横目に、見知らぬおじ様が前に出て来られました。


 ファラの名前を知っているという事は下界の方でしょうか。


「モルガフの爺さん!?なんでここに!?」


 ファラもおじ様に気づくとこちらまで走ってきました。


「ファラ、お前本当に生きていたのか……。なんと、なんという……。」

「なんだよ、爺さん。泣くなんてらしくないな。」


 それはまるで数年ぶりに会った祖父と孫のようで、見ていて心が安らぎます。


「いや、それよりも爺さん!頼みがあるんだ。今すぐ下界の皆を止めるのを手伝ってくれ!」


 懐かしむ暇もなく、ファラはモルガフと呼ばれるおじ様に協力を仰ぎました。


「いや、その必要はない。」

「えっ?」


 モルガフさんは後ろを振り向いて、公爵様達の方を見て頷かれました。


 その様子に周りの視線は公爵様達四人に集まり、それを見計らったように公爵様達は高らかに宣言なさいました。


「皆の者よ、下界人達とは既に和解した!我らはもう互いに争う必要はない!戦争は終わった!」


 その宣言は謁見の間にいた全員を驚嘆させました。


「ヴァンシュロン卿、それは一体どういう――」

「どういうも何も、言葉通りの意味だ。」

「そ、そうですか。でも、どうやって……。」


 ガイラさんは安堵しつつも戸惑っているようでした。

 いいえ、戸惑っているのはガイラさんだけではありません。

 私も、他の皆も、突然のことにまだ理解が追いついていませんでした。


「ハハハ。公爵が四人もいて国難を乗り越えられないようなら名折れだな。」


 場を和ませようとしたのか、ザイデルフォン卿の冗談交じりの笑いが謁見の間に響き渡りました。


「笑えませんよ、まったく。何でそんなにノリが軽いんですか。」

「諦めろ、レイモンド。この馬鹿の性格は死んでも治らん。」

「酷い言い草だな、リべルド!」

「お前達、もう少し静かにしろ。片がついたとはいえ、まだやる事が山のようにあるんだぞ。」


 こちらとは全く異なる公爵様達のその独特の空気感は、この場において変な意味で浮いていました。


「爺さん、本当に戦争は止まったのか?」


 公爵様達を尻目に、ファラはまだ不安そうな表情でした。


「ああ。本当に終わった。あの四人のお蔭で俺らは正気を取り戻した。もう上界人を襲う者はいないだろう。」

「そうか……何だか実感が湧かないな。」


 ファラは安堵こそしているようでしたが、同時に酷く疲れているようでした。


 思い返してみればそれも当然です。

 昨日の最優秀の式典から今の今まで怒涛の一日でした。

 肉体的にも精神的にも疲労困憊です。


「でも、終わったんだね。」

「ああ、そうだな。」


 それはお互いに心からの安堵でした。


「で、殿下!!」


 三度聞いた同じ台詞、同じ声量の元老院長の声に私達も同じように振り返ると、応急処置を終えた王妃殿下が立ち上がろうとなされていました。


「いけませんぞ、殿下!無理をされては傷がまた開いてしまいます!」

「そうですよ、殿下。ご無理なさらないで下さい。」


 必死に止めようとする元老院長や侍従さんを手で制止させ、殿下は腹部を押さえながら私とファラの元にゆっくりと歩いてこられました。


「王妃殿下、皆さんの仰る通り安静になさって下さい!」


 そのお労しい姿に無理はさせまいと、私もファラもこちらから殿下の元へ駆け寄りました。


「これくらい問題ありません。」

「そんなことないだろ。明らかに顔色が悪いぞ、あんた。」


 殿下はこちらの言うことに聞く耳を持ちそうにありませんでした。


「私のことは良いのです。それよりも、私はあなた方に話さなければならないことがあるのです。」

「話さなければならないこと、ですか?」


 私の問い返しに、殿下はゆっくりと頷かれました。


「この国の千年の歴史――その真実を、あなた方に全てお話しします。」

「この国の歴史……?でも、それなら陛下や主教様が先程――」

「いいえ。あれもまた真実なれど、その全てではありません。」

「えっと……つまりどういうことだ?」


 ファラも私も殿下の言葉に益々戸惑いました。


 陛下や主教様から聞いたこの国の真実――。

 それだけでも相当な衝撃を覚えたにもかかわらず、この上更にまだ何かあるのでしょうか。


「ここでは話をするのに不便ですから、まずは場所を移しましょう。あなた方二人もどうかついて来て下さい。」


 そう言って、殿下は視線を私達よりも後ろに向けられました。

 その視線の先にいたのはガイラさんとクリスちゃんでした。


「私もですか?」


 公爵となったガイラさんはともかく、クリスちゃんは何故自分もなのかと困惑しているようでした。


「この国を、下界の民を救ってくれたあなた方四人には知る権利があります。強制はしませんが、出来ることなら貴女にも知ってもらいたい。」


 殿下の言葉にまだ戸惑いつつも、クリスちゃんはそれに同意しました。


「リべルド、アベルタス、レイモンド、ファンギス。申し訳ありませんが、後のことは頼みます。」

「御意。」


 殿下のお声に、公爵様達は揃って胸に手を当てて敬礼しておられました。


「では、行きましょう。」


 殿下のお身体に障らぬよう私とファラとで肩を貸しつつ、私達は殿下に連れられ謁見の間を後にしました。

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