二つの王家(5)
祝宴の間は縦に広く、両サイドはテラスに繋がっていました。
大きくいくつも並べられたテーブルには宴の際には色とりどりの御馳走が並ぶのでしょうが、今は当然何もありません。
ここもやはりもぬけの殻で、ここまで広い部屋に誰もいないと寂しいと感じずにはいられません。
「このまま誰にも会わずに王の所まで行ければいいんだが……。」
広間を通り抜け、その先の十字路も真っ直ぐに抜けました。
後は目の前の扉だけ。
「この扉を潜れば謁見の間への階段だ。」
この先に誰もいなければ陛下の元まではすぐそこです。
しかし、そう何度も幸運は続きませんでした。
「な、何だ貴様ら!?」
階段前の最後の通路――。
そこは一直線に長く伸びた廊下で迷うことは決してありません。
しかし、それは同時に見晴らしが良く、通路の何処にいても扉を開けた瞬間に来訪者を視界に捉えることが出来る。
隠れる場所など一切ない通路でした。
「ちっ、そう上手くはいかないか!?」
左右の壁沿いに三人ずつ、計六人の憲兵が謁見の間への最後の壁として立ちはだかった。
だが、どうする――?
ファラはとにかく焦った。
ユナウを背負った状態では逃げるにしてもまず追いつかれてしまう。
祝宴の間には隠れる場所はあるだろうが、戻れたとしても隠れる時間がたぶん足りない。
手前の十字路の廊下の左右にある部屋に隠れるのも無しではないが、地図は見たものの何の部屋だったかまでは流石に覚えていない。
隠れる場所がないかもしれないし、他の人間と鉢合わせる可能性もある。
リスクがあまりにも高い。
かといって、憲兵を躱して謁見の間まで行けるか――。
いや、流石にユナウを背負った状態で六人も躱すのは至難の業だ。
「何か、何かないのか!?」
憲兵達は既に駆け寄ってきている。もう一刻の猶予もない。
そう思った時だった――。
「きゃあっ!?」
叫び声に後ろを振り返ると、先程とは別の侍従が足を止めていた。
恐らくたまたま通りかかっただけなのだろうが、こちらにとってはまさに最高のタイミングだった。
「それだ、ユナウ!それを取ってくれ!」
ファラは侍従の元へ走った。
その目には、侍従よりもその手に持つ物しか映っていなかった。
ユナウもファラの意図を直ぐに察し、侍従の方へ手を伸ばした。
「ごめんなさい、ちょっとだけお借りします!」
そう言って私は侍従さんの持っていた箒を引っ手繰るようにぶんどりました。
「その箒を横にして真ん中をしっかり握っていてくれ!絶対に離さないように!あと目を瞑れ!」
半ば怒鳴るようにして叫ぶファラに、私は把握しきれないままにとにかく言う通りにしました。
「一気に抜けるぞ!」
掛け声とともに下半身をファラの腕にギュッと締め付けられると、激しく身体が揺れ出しました。
そう思った矢先、箒の柄の先に強い衝撃を覚えて手が痺れます。
思わず持つ手が緩みますが、手放すまいとすぐさま握り直しました。
すると、今度は逆側の先端にバキッと折れるような音と共に再び衝撃が走りました。
ぐるぐると頭が揺れています。
ファラに言われるがまま目を瞑っている為、どうなっているのか見えませんが、ファラがしていることは明白でした。
「ぐはっ――!?」
憲兵さんの悶え苦しむ声が聞こえてきます。
恐らくお腹にクリーンヒットしたのでしょう。
詰まるところ、ファラはぐるぐると回転しながら箒を振る事で憲兵さん達に立ち向かっていました。
剣に対して箒で挑むなんて――。
そんなまさかとは思いますが、見えなくても分かるほど見事にファラは憲兵さんを薙ぎ倒していきました。
まったくガイラさんの手刀といい、ファラの箒捌きといい、この人達は一体どこでこんな芸当を覚えて来るのでしょうか。
ほとほと疑問に思います。
「もういいぞ。」
その声で私は目を開けました。
体を揺らすほど息切れしているファラに、私はただただ唖然としていました。
「この扉の先が謁見の間だ。」
やっとだ――。
そう呟やくようにファラは手をドアノブに差し出しました。
しかし、何故か扉は直ぐには開きませんでした。
「くそっ、まじか……。」
「どうかしたの?まさか鍵が?」
様子がおかしいと思いファラの手元を見ると、その理由に私は納得しました。
その扉のドアノブは丸ノブだったのです。
普通ならそれは何の問題にもなりません。
ですが、ファラにとってそれは死活問題でした。
ファラには両手の指がありません。
左手は辛うじて第二関節くらいまでは残っていますが、それでも滑って開けられないようでした。
「ま、待て……。」
後ろからの声に振り返ると、憲兵さん達が起き上がっていました。
流石に箒では気絶させるまでには至らなかったようです。
「くそっ、急がねえと!何でここだけ丸ノブなんだ!?」
焦るファラに、私は箒を床に落として、その空いた手を必死にノブを掴もうとするファラの手に重ねました。
「ユナウ――!?」
焦り過ぎて忘れていたのか、ファラは驚いたようにビクンッと体を震えさせてから振り返って私の顔を見つめました。
「ファラ、貴方が私の足になってくれるなら、私が貴方の手になります。」
私は重ねた手にグッと力を籠めました。
ファラは数秒固まっていましたが、次第にニンマリと笑顔を向けて頷きました。
「ありがとう。頼むよ。」
私はそれに笑顔で返し、ドアノブを捻りました。
扉を開くとすぐそこに階段がありました。
ファラは一気に階段を駆け上がり、とうとう謁見の間の前へと辿り着きました。
「もう大丈夫。ここからは自分で歩きます。」
「本当に平気か?」
心配そうにこちらを見つめるファラを落ち着かせるように、私はしっかりと地に足をつけて歩いて見せました。
少し休んだお蔭か、気持ち痛みが和らいだような気がします。
「この扉の奥に陛下が……。」
「ああ。ここからが本番だ。」
「私、本当に陛下を説得できるかな……。」
陛下が何を思って、何がきっかけで下界人を殺したいほど嫌うのか、それはまだ分かりません。
陛下の真のお気持ちが分かるまでは何を言っても、それは上辺だけの理想にしか成り得ません。
だからまずは陛下の閉ざされた心を開き、その上で本心からの気持ちを訴え説得を試みなければ、陛下の心にはきっと響かない。
「大丈夫。」
振り向いた先にあったのは笑顔――。
それも全てを包み込んでくれるような優しい笑顔でした。
「君の声なら届く。」
「正直自信がありません。」
貴女の声なら必ず届く――。
ガイラさんも同じことを言ってくれました。
どうしてそこまで信じられるのか、私には分かりません。
ガイラさんも、ファラも、私の声だったからだと言ってくれますが、法廷で私の声が届いたのは最優秀淑女の称号があったからこそであって、一女学生だったら絶対にあの場の流れを変えることなんて出来なかったと思います。
「肩書きや素性なんて関係ない。」
「えっ?」
心の中を覗かれていたのかと思う程ぴたりと当たったファラの発言に、私は思わず戸惑いました。
「大切なのは、想いを届けたいと心から思うこと。本心を包み隠さず伝えることだ。」
「想いを、届ける……。」
「あの人に届けたい――本心でそう望むなら、その気持ちは必ず伝わる。自分から心を開いて曝け出した本心をぶつければ、それは相手の記憶に、心に必ず残る。一度で駄目だったとしても、諦めずに何度も訴え続ければ、その気持ちが積もり積もって相手の心に響く。大事なのは、本当に伝えたいこと、本心で思ったことを諦めずに伝え続けることなんだ。」
私は胸に手を当てて自分の心に聞いてみました。
今私が感じていることは何?
私は陛下に何を伝えたい?
最初のきっかけは、下界落ちを目の当たりにしたことでした。
あれを目の前にした時に感じた気持ちは〝怖い〟よりも先に〝止めたい〟、〝助けたい〟だった。
それからガイラさんと協力して、ファラと出会って、下界のことやこの国の裏側を少しずつ知ることになって、いつしか私は下界落ちを含め、下界の存在を消そうとするこの国に違和感を持ちました。
ファラと出会って、ファラのことが好きになって、私は下界の人達とだって分かり合えるはず、手を取り合っていけるはずだと確信しました。
そんな矢先にファラが捕まって、法廷で飛び出して、一緒に捕まって、脱獄したと思ったら下界の人達が攻めてきた。
今に至るまで怒涛の展開で色々なことを経験し、感じました。
そんな私が今感じていること、それは――。
「私、陛下に話してみる。説得できるかどうか分からないけど、でも、それでも陛下に分かって欲しいから。陛下にも気づいて欲しいから。」
私の言葉にファラはゆっくりと頷いてくれました。
「あの法廷で、俺は心から伝えたいと思うことができなかった。一度目は本心だった。けど、裁判官席の様子を見て、こんな腐った奴等には何を言っても無駄だ、とそう思っちまった。想いを届けたいと思わなくなった。だから俺の声は届かなかった。」
「ファラ……。」
「でも、ユナウは違った。君は無我夢中だっただけと言うが、無我夢中だったからこそ、純粋に自分の気持ちを伝えたいと思っていた。だから君の声は届いたんだ。称号だとか、人柄だとか、そんなのは関係ない。君はいつも本心で思ったことを話し、行動している。そんな君だからこそ、俺も、あいつ等も、みんなユナウを信じられるんだ。」
「私だから……。」
「そうだ。ユナウ、君の声なら必ず届くよ。」
本心をそのまま口にする――。
それは今まで短所にしか思っていませんでした。
余計なことを言ったり、空気が読めなかったり、自己中心的で我が儘だったり。
でも、逆に言えばそれは裏表がないことを意味する。
だから私の言葉は信じてもらえる。
そんなこと、考えたこともありませんでした。
最優秀の称号だってそうでした。
称号自体に興味なんてありませんでした。
寧ろ足枷に感じることの方が多かったです。
でも、次期最優秀候補だったからこそ学院社交会で王妃殿下とお話しすることが出来ましたし、肩書きは関係ないといっても、最優秀の称号があったからこそあの法廷での発言に重みをもたせられたと思います。
何処で何が役に立つかなんて分かりません。
けれど、諦めなかったからこそ此処まで来られました。
あと一歩――。
自信はないけれど、伝えたいことははっきりしました。
あと一度だけ諦めずにぶつかってみようと思います。
謁見の間の大扉の右側をユナウ、左側をファラが触れ、重い扉を二人で力一杯開いた。
謁見の間は、電気が点いておらず物静かで薄暗い。
その最奥で陽光に照らされた玉座に、王は居た――。
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