それぞれの思惑(2)

 寮に戻った私は着替えて早々に洞穴へと向かいました。


「ファラ?いますか?」


 いつもは洞穴の奥に身を隠しているファラが今日はそこにいませんでした。

 声を掛けても反響するばかりで返事がありません。


「湖の方でしょうか?」


 一旦外に出ようと振り返った時でした。


「ひゃあ!?」


 突然肩を触られ、私はピョンッと大きく飛び跳ねてしまいました。

 振り返って見れば、ファラがお腹を抱えて笑っています。


「もう、酷いです。」

「悪い、悪い。」


 頬を膨らまして怒る私を見てもファラはまだ笑っていました。

 その楽しそうな様子を見ていると、何故だか許せてしまいます。


「さて、と――。」


 気が済んだのか呼吸を整えると、ファラは私の顔をまじまじと見つめました。


「ちょっと外の空気を吸おう。話したいことがある。」


 先程までとは一変、ファラは真剣な面持ちで洞穴の出口に向かって歩みを進めました。


「どうかしたんですか?」


 湖に着いてお互いに沿岸の岩に腰をかけると、ファラは隣で夜空に浮かぶ星を眺めていました。


「昨日、多分声からして女の人だと思うけど、一人洞穴に来た。」

「えっ!?」


 ファラの口からそれを聞いた時、私はそれが王妃殿下だと確信しました。


「下界落ちの時みたく複数じゃなくて一人だけ。誰かいるか、って声かけられたけど、もちろん返事はしなかった。ちゃんと隠れたし、バレてはいないと思う。」


 口ぶりからしてファラはその人物を知らない、若しくは気づいていないようでした。


「その人は豪奢なドレスを着ていませんでしたか?」

「いや、ランタン持ってたから姿は遠巻きでもよく見えたけど、茶色いボロっぽい感じの服でフードを被ってた。」

「その人に心当たりはありませんか?以前に会ったことがあるとか。」

「まさか。ここに来てから会ったのはユナウだけだ。まあ見たって意味では、下界落ちさせに来ていた連中も入るけど。」


 ファラはここへ来てから私としか面と向かって会っていない。

 それはつまり、ファラはこの洞穴――正確に言えば、この禁足の森からは出ていないということです。


「そう……ですか。あの、ちなみになんですけど、ファラは王妃殿下のこと知ってたりしませんよね?」

「王妃って、ユナウがこの前話してたこの国の?流石に知らないな。さっきも言ったけど、ここに来てからまともに会話したのはユナウだけだし、上界こっちのことに関してはまだ分からないことの方が多い。」


 予想通りの返答に私は少し残念に思いました。

 それは別にファラが悪い訳ではありません。

 けれど、もし王妃殿下とファラが既に会っていて、お互いのことを理解した上で王妃殿下がファラを見逃したのだとしたら、王妃殿下は間違いなく味方であると確信を持てる。


 そういった期待をしていただけに、落胆せずにはいられませんでした。

 でも、だとすればあの時、王妃殿下はどうしてあんなお顔をされたのでしょうか。


 ファラの名前に反応したように見えましたが、実際は何か別のことに――?


「何かあったのか?」

「あ、いえ……はい。」


 ファラのその問いに答えるか、私は悩んでしまいました。


 ここに来るまでは社交会でのことを話すつもりでいました。

 しかし、今は少し考えが変わっていて、仮に王妃殿下のことを話してもファラが王妃殿下を知らないことには変わりありません。


 ここ最近はずっととにかく進むことだけを考えてきましたが、状況は好転することもなく、むしろ泥沼に嵌まっているようにも思います。


 全てを話したとしても良い方向に進むとは限りません。

 それに、ファラはただでさえ身動きが取れなくて窮屈に思っているはず。

 この上更に不安を煽るようなことを話して、もしファラが精神的にしんどい思いをすることになってしまったら、私は自分を責められずにはいられません。


「ユナウ。」


 呼ばれてふと顔を上げた瞬間、ファラの額が私のおでこに触れました。同時に、まるで空気を読んだかのように灯りが風で揺らいで消えました。


 にもかかわらず、真っ暗な中でもファラの顔が鮮明に見える――。


 そんな僅か数センチの距離感に、私の心臓は破裂するかと思うほどドクンッと大きく跳ねました。


「君が何を思って悩んでいるかは大体想像がつく。俺のことを気遣ってくれるのはもちろん嬉しい。ありがとう。けど、君が苦しんでいる姿を見る方が俺には辛い。」


 温かい――。


 ただ額と額を合わせているだけなのに、お母さまに似た温もりを感じます。


 恥ずかしいけれど、ずっとこのままでいたい――。


 そう思う自分がいました。


「もし話したことで俺に不利益が生じたとしても、君が一人で抱え込んで苦しむくらいなら、その不利益を被ってでも俺は二人でその苦しみを共有したい。君を守りたいんだ。だから話して欲しい。」


 ファラの腕が背中に回っても、私は恥ずかしいとは思いませんでした。

 そのまま暫くギュッと互いに抱きしめ合った後、私は学院社交会であったことの全てを話しました。


「なるほど。だから俺とその王妃に何か関係があると思ったのか。」

「はい。」

「だが、改めて聞いてもやっぱり俺はその王妃を知らない。会ったこともない。ただ――。」

「ただ?」

「あっちが一方的に俺のことを知っている可能性はあると思う。」


 ファラは顎に手の甲を当てて、考え込む様子で話しました。


「どういうことですか?」

「俺と君が初めて会った時と同じってことさ。」


 その遠回しの言い方に若干の違和感を覚えますが、気にせず私はファラと出会った時の事を思い出しました。


「私がファラを見つけた時……ファラは気を失って倒れてて……あっ。」

「そう。君が俺を見つけるよりも前に、王妃は俺を見つけていた可能性がある。」


 確かにそれなら王妃殿下だけがファラの存在を知っているという状況は成り立ちます。


「でも、なら何故ファラのことを見逃したんでしょう?」

「君が俺を見つけた瞬間と、たぶん思ったことは同じだ。」


 私がファラを見つけた時に思ったこと。

 その時の記憶を私は丁寧に思い起こしました。


 倒れたファラ、血色の悪い顔、ミイラのように痩せ細った体、欠損した手足――。


 その姿は人として認識するのにも時間を要する有様でした。


「死んでいると思ったから……?」

「たぶんそうだろうな。」


 確かにこの場所で、あの姿で倒れていたら、とても生きているとは思いません。

 それに、下界落ちに抵抗したが為に落とされるのではなくその場で殺されたと思えば、あそこに死体があっても不自然には思いません。


「でも、ファラの名前はどうやって?」

「確証はないが多分これだ。」


 そういってファラが懐から取り出したのは、以前見せてもらったあの手帳でした。


「これって確かファラのお父さまの。」

「ああ。父さんが残したこの手記――これには父さんのことも書いてあれば、作り話のような突拍子のないことも書かれてる。上界のことも含めてな。」

「それにファラの名前が書かれていたから、王妃殿下はファラの名前を知った?」

「この手記には俺に宛てた父さんのメッセージも書かれているから、俺の名前を知れた可能性の一つには成り得る。まあそれでも憶測の域を出ないけどな。」


 ファラの言うことは理解できます。


 仮に今話した通りなら、王妃殿下がファラの名前を聞いて驚いたのは、死んでいたと思っていた人物が生きていたから。


 でも、そんな理由であそこまで動揺するものでしょうか――。


 それに、手帳を見つけたのなら何故そのまま回収しなかったのでしょうか。


 王妃殿下ならここに出入りしても咎められることはないはず。

 手記に下界の事が書いてあったのなら余計に残してはおけないはずです。


「矛盾が多過ぎてこの仮説は違う気がします。」

「まあ、憶測に憶測を重ねてるからな。正しいかっていうより、可能性の一つとして捉えておく位が良いかもな。」


 王妃殿下については、今はまだ情報が足りない気がします。

 下界落ちを無くすのに王妃殿下を味方につけられれば強力な戦力にはなりますが、これ以上吟味してもより沼に嵌まっていくだけな気がします。


「そうですね。どちらにせよ、王妃殿下とはやっぱりもう一度謁見した方が良さそうです。一対一でもう一度話せれば、今度こそ何か手掛かりが得られるかもしれません。」

「俺も今度また下界落ちに誰か来たら、そいつ等の話を注意深く聞いてみることにする。」

「お願いします。あっ、でも、くれぐれも見つからないように気をつけて下さいね。」

「ああ。分かってる。だからな。」


 状況は何も進展していません。

 結局ここへ来る前と同じ。振り出しに戻ってしまいました。

 それでもファラと話せて良かった――。



 洞穴を出ると、私は夜空に浮かぶ星の中で一番輝いている星に向かって祈りました。


「お母さま、どうか見守っていて下さい。」


 下界落ちは、やっぱりあってはならないものです。


 絶対に止めたい――。


 最初はただの正義感から始めたことでした。

 けれど、今は他にも止めたい理由が出来ました。


「下界落ちを無くす――それができたら、いつかきっとファラと二人で外を歩ける日が来ますよね。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る