ファラの血族
iReSH
序章
プロローグ
昔々、とある国に王族一家がおりました。
国王は聡明で、堅実な政策で国を豊かにしていきました。
王妃は優美で、家族はもちろん国民に愛情を持って接しておりました。
そんな国王夫妻には三人の子供がおり、第一王子の長男は勇敢で、第一王女の長女は清廉潔白、末っ子次男の第二王子は好奇心旺盛、とそれぞれ赴くままに育っていきました。
ある日、王妃と第二王子は庭を散歩していると一つの洞穴を見つけました。
王妃は『こんなところに洞穴なんてあったかしら』と不思議に思います。
一方の次男は持ち前の好奇心をむき出しにして洞穴の中へと入っていってしまいました。
王妃は叫びました。「待って――。」
王妃は急いで追いかけます。洞穴は浅く、直ぐに一番奥に達しました。
「やっと見つけた――。」
王妃は第二王子に声を掛けました。しかし、王子は振り向きません。ずっと下を向いたままです。
不思議に思った王妃は王子のそばまで近寄りました。するとビックリ、足元に大人すら軽々入ってしまう程の大きな穴が開いていたのです。
穴は深く真っ暗で底が見えません。
王妃は不安になり王子の肩に手を添えました。王妃はそれを後悔します。
突然触れられたことにびっくりした王子は足を滑らせて穴に落ちてしまったのです。
王妃は急いで手を伸ばしましたが王子の姿は一瞬にして暗闇に消えてしまいました。
王妃は何度も何度も王子の名前を呼びました。しかし、返事は帰ってきません。
ずっと叫び続け、喉が枯れた王妃はその場に泣き崩れました。
それから王妃は来る日も、来る日も、毎日洞穴に足を運びました。そして朝、昼、晩と三回食べ物を王子が落ちた穴に落としたのです。
『あの子はきっと生きている』そう信じて――。
そこで父さんは本を閉じた。
蝋燭の灯りに照らされた顔はどことなく悲しげだった。
「その第二王子はどうなったの?生きてたの?死んじゃったの?」
父さんはベッドに横たわる俺の頬にそっと手を添えた。
「生きてたよ。穴から落ちた王子は奇跡的に生きていた。そして王妃の落としてくれた食べ物を食べて生きながらえたんだ。」
「良かった。」
父さんの言葉にホッと胸を撫で下ろす。
「じゃあ王子は結局王妃の元に戻れたの?」
その問いに、父さんは首を横に振った。
「第二王子はその後落ちた先で一人の女の子と出会い一緒に暮らすんだ。そしてその土地で子孫を作り、人が増え、村を作り、街に発展させ、最後には国を作ったんだ。」
「落ちたところにも人がいたの?」
「ああ。かなり少なかったけれど、いたよ。そして少しずつ復興と繁栄を繰り返していって、そうやって出来たのが今私達のいるこの国なんだよ。」
「そうなんだ。」
「この逸話から上界は母の大地、下界を子の大地と呼ぶようになったんだ。」
「でも上界へは僕達いけないんだよね?」
「……今はね。でも、父さんはいつか行けると思っているんだ。」
「そうだね!上界の人達はきっとその王妃様みたいに素敵な人達なんだろうね!」
「…………そうだね。」
今思えばこの時の父さんはどこか寂しそうだった気がする。
「さて、そろそろお休みしよう。」
父さんは気持ちを切り替えるかのようにパチンッと両手を叩いた。
「えー、でももう少しお話ししたいよ。お父さん、明日にはまたお出かけなんでしょ?」
「うん。でも大丈夫。私はいつでもお前のここにいるよ。」
そう言って父さんは俺の胸の部分を優しく撫でてくれた。それはとても温かくて安心する。
「ずっとずっと上にいる母さんもお前をいつも見守っているよ。」
「お母さんも?」
「ああ、そうだよ。父さんも今回は出来るだけ早く帰ってくるから。だからもうお休み。」
「うん。お休み、お父さん。」
目を開くと視界は真っ暗で何も見えなかった。始めの頃は本当に起きたのか、まだ夢なのか分からず混乱したものだけど、今はどちらか判断できる。何百、何千と繰り返してきて慣れたというよりも感覚が麻痺してしまった。
意識をはっきりさせたところで再び手を上に伸ばす。指先の感覚など疾うになくなっているが、それでも信じて伸ばし続ける。
登って、登って、登って、登り続ける。
それでも一寸先は闇。それどころか百里先まで闇に染まっていそうだ。
お先は真っ暗で、まだまだゴールには程遠い。いや、見えていないだけであと一回手を伸ばしたら辿り着けるかもしれない。
どの道もう後戻りも出来ないのだ。
辿り着くか――、朽ち果てるか――、二つに一つだ。
口に含んだ土を歯ですり潰し、粒にしたところで一気に飲み込んだ。
「よし。」
無理のない程度に徐々にスピードを上げ、登っていく。すると、視界がほんのわずかだが明るくなった……ような気がした。
気のせいか。もう限界で錯覚や幻を見ているだけだろうと思いつつも微かに胸に希望を抱く。と、その時ヒュウッと上から何かが落ちてきて背後を通過しそのまま下へ落ちていった。
【上界からの落とし物】――最近はほとんどなかったが、また誰かが落としたようだ。
いったい何が落ちてきているのか。心当たりはあるも、願わくば当たって欲しくはない。
いずれにせよ何でもいいが、俺の上にだけは落ちてきてくれるなよ。
そう祈りながら一呼吸おいてまた腕を伸ばした。
更に登ると視界はさっきよりも明るくなった。やはり勘違いではなかった。
ゴールが近いのかもしれない。
とはいえ、明るくなったと言っても本当にごく僅かだ。目の前にあるはずの土壁も、伸ばしている腕も、何一つ視認できないことに変わりはない。
気が逸るもあくまで慎重に登っていく。ここまできて落下でもしたら死んでも死にきれない。
右手の指先の感覚はとっくに死んでいる。
左手もほぼ死んでいるが、蚊がとまった時くらいの感覚はまだ残っている。
そのほんの僅かな感覚を頼りに土壁の窪みを確認して登っていく。
次に手を伸ばした時、左手首が今までと違う曲がり方をした。あるはずの土壁が掴めなかった。
そのまま奥まで曲げると掌には土壁に触れている確かな感覚があった。指の感覚はなくとも掌の神経はまだしっかりと生きている。ということは――。
「これ、地面か――!?」
それまでの慎重さを欠いて一気に登ると上半身が風に煽られた。
そこで希望は確信へと変わった。
両手を地につけ最後の力で下半身を穴から持ち上げるとそのまま地面に倒れ込んだ。
「着いた……着いたんだ…………。」
視界は暗いまま。だが、間違いないと確信した。俺は遂にやり遂げたのだ。
しかし立ち上がる気力はなく、今まで感じていなかった、いや、感じてはいたが誤魔化していた疲労がぐったりと体全身を襲った。
重力が何倍にも増えたかのように体が重い。
暫く倒れたまま何も考えずただひたすらに大きく息を何度も吸った。
体に沢山の酸素を取り込み、ヘモグロビンが血管を通ってそれを運んでいくのを想像しながら全身を癒すことだけを考えた。
徐々に息が整うと、ようやく他のことに頭が回るようになってくる。
湿って固い地面、微かに吹く風、ポツンッと何かが弾けるような音。
「音?この音は……何だ?」
音なんて土を削る時に出る音意外は久々に聞く。何年もまともに使っていなかったから聞き覚えのある音なのだろうが、頭の中の引き出しから中々答えが出てこない。
すると、そこで微かに特徴的な臭いが鼻腔を擽った。
「この臭い、雨か!?」
つい先程まで指一本でも動かすのが億劫だったことも忘れ半身を起こして立ち上がろうとした。
だが、その瞬間四肢に痺れるような痛みが走り力が抜けて膝を突いた。
良く考えれば当然か。どれだけの時が経ったのか正確には分からないが、少なくとも気の遠くなるような時間が経っているはず。
そんな長い間登っている時も、休んでいる時も、寝ている時でさえ、落下しないよう常に指先と爪先には力を入れて土壁を掴んでいた。それに登っている間はほぼ同じ態勢のままだった。
痺れるのも当然か。
膝を突くことさえしんどくなり、その場にうつ伏せに倒れ込んだ。
「み、みず……。」
まるで陸に打ちあがった魚のように身悶えしながら雫が垂れる音の方へと必死に這いずった。
だが、手足にはろくに力が入らず、その所為で一向に前進しない。
傍から見たらただ滑稽にその場で悶えているだけだ。
「み……ず…………。」
僅かに明るくなった視界が再び完全な闇に染まっていく。
体は悲鳴を上げるほど水分を欲している。
今ここで気を失えば、おそらく死ぬ。
心では拒絶するも体は既に抗うことを諦めており、意識は闇へと沈んでいった――。
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