ただの嘘つきかな。@浅葉時生

 穂乃果さんが来るようになって以来、嬉しそうな父さんの精神的な部分とは反対に、身体は目に見えて衰えていた。


 何せ運動全般ができない。若い頃ラグビーをしていたとは思えないくらいに痩せ細くなっていた。


 そんな中、父さんは昔の事をいつも語ってくれた。


 僕が覚えていない僕のこと。僕の知らない父さんのこと。僕と父さんのこと。父さんと穂乃果さんのこと。僕と穂乃果さんのこと。父さんと成宮のおじさんのこと。


 そして、僕と幼馴染のこと。



 長年に渡り抱え込んでいた肩の荷物が、胸のつかえが、下りたのかもしれない。今までは僕を慮って、言葉を選んでくれていたのかもしれない。


 でも今はそんなものは親子の間にはない。


 父さんは死を前にしてるにも関わらず、決して悲観的でもなく笑って僕のことを語っていた。でもこれは僕の話じゃない。父、浅葉誠司の歴史だ。


 そしてその話の最後には決まってこう言って締め括る。


 浅葉時生、お前は何だ、と。



 これは昔から父さんが僕にする問いかけだった。


 他人が聞けば、随分と乱暴に聞こえるかもしれない。漠然とした問いで、意味もわからないだろう。でも僕が辛い目にあった時に度々問われる、いわば父さんと僕の二人だけの親子の秘密の話だった。


 今は何よりも大切な絆になった。



 浅葉時生、お前は何だ。


 この問いかけには正解は求められない。具体的な言語化も別に必要はない。父さんが問いかけ、僕が答え、父さんが頷く。ただそれだけの親子の問いだった。


 あの日もそうだった。高校生の時だ。成宮をスルーし続けていた僕の限界を父さんは察して抱きしめてくれた。そして僕の考えを尊重するとも言ってくれた。


 その最後にもお決まりのように聞かれた。



『──時生。またいつものだ。浅葉時生、お前は何だ?』


『──……わからないよ。だけど…ここには…居たくない』


『──そうか。さっきも言ったけどな。俺はお前の出した答えを尊重する』



 最初は…僕が小学生の頃だった。今思えば小学生相手に何を言っていたのだろう、父さんは。


 小さく笑ってしまう。


 その時は、父と母の間に生まれたから浅葉時生なのか。今までこういう人生を歩んできたから浅葉時生なのか。そう言っていたと思う。


 その時の僕はわからなかった。父さんと母さんの間に生まれたんだからそうなんじゃないの? 違うの? それに僕は僕だ。でも、どうもそういうことを父さんは聞いているんじゃない。


 そう感覚的に思って答えることが出来ずに少しの間があった事を覚えている。


 そして、答えられないことに苛立ち、それ以上何も言ってこない父さんに苛立ち、じゃあ父さんはわかってるのかと、気付けば問われた側の僕が答えずに聞き返していた。


 その時の父さんは、もうすぐ俺は俺がわかる。確かそう言って笑っていたはずだ。


 その時の僕は、父さんがわかってないのに僕がわかるわけないだろ、なんだよ、それ。なんて不貞腐れて言ったと思う。


 思えば、あれは己への問いかけだったのだろう。そして今、死を前にして、浅葉誠司とは何だ。この問いへはどう答えるのだろうか。


 多分、父さんは常に、血のつながりを持たない僕との愛を自問自答していたのだと思う。

 同時に、繋がりを少しでも共有したかったんだと思う。


 単純な言葉なんかより、感覚的な繋がりが欲しかったんだと思う。穂乃果さんのつく嘘に疲れていたのかもしれないから。


 父さんが僕に望む姿も、本当はあるのだと思う。だけどこうしろなんてことは言わないし、言われたことはない。



 浅葉時生、お前は何だ、か。


 トラウマの正体がわかり、愛を自覚した今、成宮との過去に、嘘をついていたのは僕の方だとわかる。


 あの時は自分の気持ちをスルーし、立ち去ることしか思いつかなかった。



 大学生の時、彼女に貰った手紙の中には、後悔と懺悔、謝罪と感謝。別離と祈り。様々な僕への思いが綴られていた。


 成長とともに二人で得た思い出もあった。出会った頃、よく遊んだ頃、好意を自覚した頃、付き合った頃…そして、裏切っていた頃と、僕が去った後のこと。


 裏切った彼女の気持ちには、手紙には、答えずとも別に良いのだろう。手紙も読まずに捨てればいいし、燃やしても良いのだろう。


 ただそれは何か違うと思った。彼女の思い出の中にも父さんがいたし、父さんの問う、問い続けてくれた浅葉時生じゃない気もした。それもあって、未だに手紙は捨てられないでいた。


 女々しいとは思わないが、あれから何年か。あの頃に比べて、僕も彼女も大人になった。裏切られた当時の気持ちも随分と薄れている。思い出せるのは、彼女の眩しかった笑顔くらいだ。


 トラウマの正体があんな答えだったことがわかっていれば、彼女と一緒になる未来もあったのだろう。裏切られることもなかったのだろう。


 会社の同僚に聞いたけど、彼女にはどうやら許嫁もいるようだ。良い人だといいな。


 彼女は昔からとても優しくて、とても綺麗だったから。


 嘘を捨てた彼女は無敵だろう。


 僕も手紙を書こうか。彼女の綴ってくれた時間軸と合わせて小さな頃から書こうか。言葉にしなかったことも、言葉にしようか。


 それでおしまいにしよう。次は笑ってまた話せるといい。父さんにも会って欲しいし。



 浅葉時生、お前は何だ、か。


 今は、なんだろうな。


 ただの、嘘つきかな。



 


 

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