きっと誰かの幸せを願って。@浅葉時生
社長と二人、それから黙って座っていた。
少ししてから、昔の話だけどと、おじさんの顔をして、父さんとの話をしてくれた。
優しい目…本当に青春を懐かしむような、そんな表情でおじさんは話し出した。
「誠司と私はね、知ってのとおり幼馴染だった。小さな頃の私は家のプレッシャーに押しつぶされそうなくらいにいつも弱っていたよ。婆様が厳しくてね。家業を手伝うのは当たり前、学校で一番も当たり前。そんな教育だった」
成宮の家は昔から大地主だったと聞く。具体的な規模や業態などは会社に入ってから知ることが多かった。
先代であるお爺さんは会社を引退してお婆さんと一緒に少し離れたケアハウスに住んでいるけど、そんなに怖かったのだろうか。
幼い頃の僕にはいつも優しく接してくれていたから想像出来ない。
「落ち込んだ時はいつも誠司が愚痴を聞いてくれたものさ。何度も助けられてきた。そんな私がある時、恋をした。学内でも指折りの女の子さ。おじさんにも若い時代はあったんだよ。もちろん誠司にも」
物心つく前ならともかく、僕にとっては父さん達の恋愛話なんて、出せない話題だったから新鮮だ。
「だけど私は色恋には疎くてね。勉学と家業の手伝いとで、まったくの門外漢だった」
コミュニケーション能力は高いのに、少し意外だった。結局のところ自身の評価と他人の評価は一致しない、ということだろうか。
「誠司はいろいろな本を読む、物静かで優しい男だった。昔から私に違う角度で物申してくれていた。あいつはすぐに私の恋心に気づき、その女の子と接点を作ってくれたよ。同じ部活の子だよ、とね。私は何にも考えずに浮かれてね。ははは。強引な性格だけは父譲りだったからあいつに言われるままに猛烈にアタックしたよ」
強引、ではなく人に真っ直ぐなんだと思う。お爺さん、先代の社長が作ったとされる社是や社訓は確かに納得のいくものばかりだったから。
「そして実った。だけどね。その後でようやく気づいたんだよ。誠司も初恋だったんだと。だけどあいつは私に嘘の目では見なかった。本当に喜んでくれたよ」
「…何か想像できます」
「そうだろう? でも私はね。これでも幼馴染だ。本当は何か隠していると薄々は気づいていた。けど実るまでは自分のことで一杯で、言えなかった。手のひらを返すように誠司に言ったよ。我ながら情け無いことにね。本当に良かったのかと何度も聞いた。今思えば、それこそが誠司に対して一番失礼だったと思えるが、その当時はわからなかったんだ。でも怒るでも悲しむでもなく、その度にあいつはこう言うんだ。成宮彰。お前は何だと」
「それは…」
昔からだったのか…何かの引用だったのかな。今度聞いてみよう。
「ははは。最初は意味がわからなかったよ。馬鹿にしてるのかとも怒った。答えなんてないと言うし。でもだんだんとわかってきた。求めてるものを一本…そうだね、思考を一つにまとめるには有効だった。本当の自分の姿を知れ、そして求めろ、とね。私はそう受け止めた。それからかな。この性分になったのは」
「…」
「…誠司は昔から自分の幸せより人の幸せを願う男だったのは知っていたのに、私は自分のことだけで何にもあいつを見てなかったことに気づかされた。その女の子…妻はわかっていたけどね」
「それって」
「ああ、諏訪子が二人の初恋の人さ。誠司は認めないけどね。そして妻も。ははは。惨めだとは決して思わなかった。誠司は同時に私を思ってくれていた。それが痛いほどわかったんだよ。それに、妻も懸命に答えてくれたしね。そんなあいつが穂乃果さんと結婚する時だけ、私にだけわかる嘘をついたんだ。君のことさ」
「…」
おじさんも知っていたのか。
「誠司の初めての嘘の目に動揺したよ。きっと自分でもわからない感情と私に対する葛藤もあったんだろう。だけど、あいつのその大嘘に、助けられたのも事実だ。何せ初恋の時は大いに騙されたからね。あれはあいつの一世一代の大嘘だったんだろう。だから二度目はなかった。そう思って何も言わず祝福したよ。穂乃果さんを愛していたのには違いなかったからね。納得はいかなかったが、あいつの決めた道だ。だから今度は私の番だとね」
「…」
「でも、葛藤はあった。何度も誠司に言いたかった。その度に妻に止められて、情け無いことに嫉妬なんてしてしまったりね。ははは。だけどその内に気づいたんだ。やっぱり誠司と時生君は親子なのだと勝手に納得してしまった」
「勝手に…納得ですか?」
「ああ。遥に対する君の態度が、はは。まったくもって小さな頃の誠司だったんだ、時生君は」
「…そう、ですか…」
ああ。父さんと僕に繋がりを感じているのは決して僕だけじゃないと、心が暖かい気持ちになる。
「ああ。本当に良く似ている。まあ、そんなわけでね。時生くんと遥が交際を始めた時は本当に嬉しかったんだ。例え誠司と血が繋がってなくてもね。私にもいろいろな葛藤はあったが故に大っぴらに態度で示すことはしなかったけどね」
幼い頃、成宮のおじさんには何かと気にかけて貰っていた。
今もそうだ。
今の会社も、父さんの入院も全ておじさんにお世話になっている。そんなにもおじさんを父さんが支えていたのだろうか。
拠り所だったのかもしれない。気持ちを吐き出せる場所の重要性は、最近になってわかったことで、きっとおじさんにはすごく必要だったんだろう。
「だから私は…あんな事になってから君と遥を離そうと縁談まで持ち出してね……私に似なくてもいい部分。本当は弱くて馬鹿で直上で自分勝手なところで…君を傷つけた。それは本当に申し訳なかった」
「いえ…それはもういいんです」
「時生くん。誠司は…あの時の、初恋の時の誠司は、本当に明るく朗らかに大嘘をついていたよ…まったくもって、腹立たしいことにね。ははは…」
そう言って成宮のおじさんは、昔見たことのある、暖かい眼差しを僕に向けてきた。
言葉とは裏腹に、とても愉快な雰囲気だ。
「はは。そうですか」
そして窓の外に視線を移し、誰に向けてかわからないくらい小さな声で呟くように言った。
「だったら私も少しくらいは吐かせてもらおうと思っても…仕方ないと思わないか?」
おじさんの吐く嘘が何かはわからないけど、きっと誰かの幸せを願ってのことだと、僕は勝手にそう思った。
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