その涙を、忘れないだろう。@浅葉時生
母…いや、穂乃果さんは、父さんの病気を知ってから定期的にお世話に来ていた。
僕には拒否出来なかった。
だって父さんが、本当に嬉しそうに見えたんだ。
あの日、僕が聞いた本当のこと。
それは僕にとって、足元を粉々にされる出来事だった。
◆
「時生…あなたは私にとって本当に大事な大事な息子だわ。でも、それを伝える事が、愛情を表現する事が、誠司さんを……苦しめるの……こんな馬鹿な母を……許してください」
「…父さんを…苦しめる?」
「…ええ。あなたは間違いなく私の子だわ。ただ、誠司さんの……子ではないの…」
「………ぇ」
「そこからは俺が話そう。本当のところ…言うかどうか…迷っていたんだけどな。母さんとはな。俺とは子供が出来なくてな。一度別れたんだ。そして次に会った時には……お前を身籠もっててな。相手の男には、その逃げられてな…」
「…行く当てのない私を、誠司さんが助けてくれたの…それなのに私は…元に戻ろうなんて…ごめんなさい…」
「…元に…?……」
「…今一緒に居る人よ…」
……
じゃあ、まさか。
僕が見た浮気現場は。
実の…父…?…
「は、ははは…なら父さんは…そんな…」
「時生。俺はお前を息子だと思っている。血は繋がってはいなくともな。何せお前が生まれた時から一緒なんだ。お前の可愛いところも、頑張ってきたところもみんなみんな見てきた」
「違う、父さんは父さんだけだ! そこじゃないよ、そうじゃない! 父さんが…僕は…なんだよ! なんで父さんばっかこんな目に! 合わなきゃなん、ない、んだよぉ…」
そんなの、父さんが一番苦しんでいたんじゃないか…
「誠司さんに何が…」
「出ていけ! お前なんか母であるはずがない!」
「…時生…母さ…穂乃果さんをな…俺は心の底から愛してたんだ。例え俺に…心が向かなくてもな。だから…恨むなら…俺にしてくれ」
父さんは絞り出すようにして、初めて母への想いを僕に見せた。そんな事を言わせるなんて。僕は…
いったい、神様はどれだけ父さんを苦しめるんだ…
「そんな、こと言われて、も、父さんを恨むわけ、ないだろ…」
「誠司さん…何か…?」
「ああ。肺をな。もって数年だ。それもあってな…君を呼んだ。時生を一人にしたくなくてな。はは。そうだ、やっぱり時生が心配なんだよ」
「そんな…」
それから少し沈黙が続いた。
その間に僕はストンと納得してしまった。
僕のトラウマの原点は、何のことはない。あの頃の家族は、僕の家族は、どうしようもない偽物だった。
だからトラウマなんて、何にもなかったんだ。
そして、父さんだけがどうしようもなく酷い目にあっていた。
その事実だけがあった。
僕なんかよりずっと。きっと長年に渡って苦しんでいたはずだ。それでも僕に、惜しみなく愛を注いでくれた。
風邪の時、足を挫いた時、受験の時、遥に…裏切られた時。
思い返せば、いつも父さんは抱きしめてくれた。励ましてくれた。
実の母よりも。実の父よりも。
ああ、そうだ。
誰が何と言おうと、これが愛だ。
僕はそれを父さんに返す。
より大きな愛情を。
その宣言をするんだ。
「…父さん。僕の家族は父さんだけだ…僕のことはもういいんだ。確かに、今で良かった。……穂乃果さん、今まで…ありがとうございました。僕は浅葉。浅葉時生。父さんのたった一人の息子で、この先何があってもずっと変わらない」
そう告げられた母は、穂乃果さんは、少し悲しい顔をした。
血の繋がった家族は、肉親は、穂乃果さんと、その向こう側にいる。
だけど、そんなの要らない。
僕はその事実から、現実から、目を逸らして、嘘をつくんだ。
この心に自覚した、どうしようもないほどの愛。
この愛に従い、この先ずっと嘘をつく。
この嘘こそが、僕の本物なんだ。
「時生…ははっ、そうか…は、はは。そう面と向かって言われるとだな、何だか…くすぐったいな」
そう照れながら言った父さんの瞳から、とても綺麗な涙が一筋、流れた。
その涙を、僕はいつまでも忘れないだろう。
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