その涙を、忘れないだろう。@浅葉時生


母…いや、穂乃果さんは、父さんの病気を知ってから定期的にお世話に来ていた。


僕には拒否出来なかった。


だって父さんが、本当に嬉しそうに見えたんだ。


あの日、僕が聞いた本当のこと。


それは僕にとって、足元を粉々にされる出来事だった。





「時生…あなたは私にとって本当に大事な大事な息子だわ。でも、それを伝える事が、愛情を表現する事が、誠司さんを……苦しめるの……こんな馬鹿な母を……許してください」


「…父さんを…苦しめる?」


「…ええ。あなたは間違いなく私の子だわ。ただ、誠司さんの……子ではないの…」


「………ぇ」



「そこからは俺が話そう。本当のところ…言うかどうか…迷っていたんだけどな。母さんとはな。俺とは子供が出来なくてな。一度別れたんだ。そして次に会った時には……お前を身籠もっててな。相手の男には、その逃げられてな…」


「…行く当てのない私を、誠司さんが助けてくれたの…それなのに私は…元に戻ろうなんて…ごめんなさい…」


「…元に…?……」


「…今一緒に居る人よ…」


……


じゃあ、まさか。


僕が見た浮気現場は。


実の…父…?…



「は、ははは…なら父さんは…そんな…」


「時生。俺はお前を息子だと思っている。血は繋がってはいなくともな。何せお前が生まれた時から一緒なんだ。お前の可愛いところも、頑張ってきたところもみんなみんな見てきた」


「違う、父さんは父さんだけだ! そこじゃないよ、そうじゃない! 父さんが…僕は…なんだよ! なんで父さんばっかこんな目に! 合わなきゃなん、ない、んだよぉ…」



そんなの、父さんが一番苦しんでいたんじゃないか…


「誠司さんに何が…」


「出ていけ! お前なんか母であるはずがない!」


「…時生…母さ…穂乃果さんをな…俺は心の底から愛してたんだ。例え俺に…心が向かなくてもな。だから…恨むなら…俺にしてくれ」



父さんは絞り出すようにして、初めて母への想いを僕に見せた。そんな事を言わせるなんて。僕は…


いったい、神様はどれだけ父さんを苦しめるんだ…



「そんな、こと言われて、も、父さんを恨むわけ、ないだろ…」



「誠司さん…何か…?」


「ああ。肺をな。もって数年だ。それもあってな…君を呼んだ。時生を一人にしたくなくてな。はは。そうだ、やっぱり時生が心配なんだよ」


「そんな…」



それから少し沈黙が続いた。


その間に僕はストンと納得してしまった。


僕のトラウマの原点は、何のことはない。あの頃の家族は、僕の家族は、どうしようもない偽物だった。


だからトラウマなんて、何にもなかったんだ。


そして、父さんだけがどうしようもなく酷い目にあっていた。


その事実だけがあった。


僕なんかよりずっと。きっと長年に渡って苦しんでいたはずだ。それでも僕に、惜しみなく愛を注いでくれた。


風邪の時、足を挫いた時、受験の時、遥に…裏切られた時。


思い返せば、いつも父さんは抱きしめてくれた。励ましてくれた。


実の母よりも。実の父よりも。


ああ、そうだ。


誰が何と言おうと、これが愛だ。


僕はそれを父さんに返す。


より大きな愛情を。


その宣言をするんだ。



「…父さん。僕の家族は父さんだけだ…僕のことはもういいんだ。確かに、今で良かった。……穂乃果さん、今まで…ありがとうございました。僕は浅葉。浅葉時生。父さんのたった一人の息子で、この先何があってもずっと変わらない」


そう告げられた母は、穂乃果さんは、少し悲しい顔をした。



血の繋がった家族は、肉親は、穂乃果さんと、その向こう側にいる。


だけど、そんなの要らない。


僕はその事実から、現実から、目を逸らして、嘘をつくんだ。


この心に自覚した、どうしようもないほどの愛。


この愛に従い、この先ずっと嘘をつく。


この嘘こそが、僕の本物なんだ。



「時生…ははっ、そうか…は、はは。そう面と向かって言われるとだな、何だか…くすぐったいな」



そう照れながら言った父さんの瞳から、とても綺麗な涙が一筋、流れた。



その涙を、僕はいつまでも忘れないだろう。


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