誰にも見られないようにしていただけ。@浅葉時生


「時生、なんだ。ちゃんと食べてるのか?痩せたんじゃないか?」


「っ、父さん…ただいま。ちゃんと食べてるよ」


病室の父さんは鼻に管を挿していた。そのまま朗らかな笑顔を向けた。僕を心配させないように。


医師の話では、これからの病気の進行次第では酸素ボンベを携帯しなくてはいけないらしい。





僕は会社を辞め、父さんのお世話をする事にした。気にかけてくれていた上司にも伝え、謝った。


父さんは、俺は大丈夫だ、心配するなと僕に言う。仕事を中途半端にしてはいけないと。父さんが言いたいことはわかっている。会社もそうだけど、いくら僕が人との関わりを極力薄くしてきたとはいえ、それでもお世話になった人はいる。


でもそれはできない。


父さんが死ぬなんて考えた事もなかった。父さんの愛だけは疑ったことなんてない。心が騒ついて、遠く離れたままでいいだなんて、考えられなかった。


これは、僕の意志だ。


「僕が、そうしたいんだ。お願いだよ、父さん」


ああ、そうか。


執着を無くしたんじゃなかった。何にも見ないように逃げていただけだった。


自分の心に嘘をついていただけだった。


父さんがいなくなる、そう思うと今までスルーしてきた全てのことを思い出す。


思い出したくないことばかりだった。


母さんに裏切られた心を、泣きじゃくる僕の心の真ん中を、決して誰にも見られないように閉じていただけだった。


好きだった遥にさえも。


心を通わせようとしていなかったのは僕の方だった。





「時生君はこれからどうするんだ?」


「…こっちに戻って、父さんを支えたいと思います」


「良ければ、うちの会社に来ないか?誠司のサポートもしやすい。俺も心配だしな」


「…良いんですか?」



「ああ。昔から君が真面目なのは知っている。さっき名刺をもらっただろう?勝手ながら君の上司の柿本さんともさっき話した。仕事振りなんかもな。もし辞める事になれば、お願いします、と頼まれたよ」


「柿本さんが…」


「勝手をしてすまん。誠司にもしもの時はと頼まれてね。君の事だ。誠司を置いてはおけないだろう?子供扱いのように感じさせていたらすまないが、俺も時生君を実の息子のように心配しているんだ」


「おじさん………よろしくお願いします」




地元に戻ってきた僕は父さんの身の回りからお世話をしだした。まだ酸素ボンベがいらないうちに、数年離れていたブランクを取り戻したかった。幸い、成宮の関連会社への入社は三か月待ってくれるという。


「なんだか、気恥ずかしいな」


「慣れてよ。僕の事はいいから」


父さんは息苦しさを感じさせないくらい普通に振る舞い、久しぶりの親子の会話に微笑んでいた。

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