Bar26本目:七妃
「高茶屋、この本読み終わったけど、読むか? 魔法の始まりの物語のやつ」
「マっ? 読むーっ!」
一通り読み終わった本を見せながらベッドに横たわって本を読んでいる七妃に訊くと、読書タイムに入る前のお風呂から上がって来たばかりの時には何故だか不機嫌だった筈なのに、起き上がって目を輝かせながら手を差し出して来た。
機嫌を損なった原因もそれが治った理由も何一つ分からないけど、悪い感情を引きずらずに居てくれるのは、旅のパートナーとして有り難い。
……また出て来たけど、『マ』って何だ。
本を七妃の手の上に置いてやると、七妃は興味深げにその表紙を眺めた後、中を見始めた。さっきまで読んでいたやつは良いんだろうか。……いや、七妃もこっちの方が優先度が高いと分かっているんだろうな。
さて、と。
「あれっ?
扉の方に向かった俺に、七妃は首を傾げながら訊ねて来た。その様子は、控えめに言って可愛い。多分、ギャルモードになる前の高茶屋七妃がやったら、美しい、になっていたんだろうけど。
「ああ、黒風の餌が足りてるか、見に行こうと思って。あいつ、結構食べるからな」
「ええっ、黒風ちゃんのとこ? あーしも行くっ!」
「ちょっと行って来るだけだからさ。高茶屋はそれ読んでなよ」
「うん……。ぢゃ、黒風ちゃんの事、お願いねっ!」
大袈裟な。
「分かった」
そうは思ったけど、言ってもどうしようもないので、簡単に答えて部屋を出た。
外はもう真っ暗で、偶に吹く風が少し肌寒かった。家々の閉め切られた窓から光が僅かに漏れては来ているが、カウンターでランタンを借りていなかったら、足元の確認も出来なかっただろう。
今まで生きて来た中で見た事が無い位の星々が、頭上に瞬いている。外灯の有無の差だろうか、最初に寄った街や王都で見た時よりも、ハッキリと見えた。
七妃も連れて来れば良かったかな、とも思った。以前中学の時に遠足で行ったプラネタリウムで見た物よりも凄い星空を見たら、空に浮かぶ星よりも綺麗に目を輝かせた事は、想像に難くない。
しかし、何かの事情で止むを得ず馬車中泊になった時だとかチャンスはこの先幾らでも有るし、焦って今呼びに行く事も無いだろう。
そう言えばこの世界には星座とか、それを象る神話とか有るんだろうか。次に本屋が在った時に、関連しそうな本を探してみよう。
旅をして、この世界の事を少しずつ知って行く程、楽しみが増えて行く。こんな幸せで良いのかと思わない事も無いけど、ルナ様のお導きかも知れない。……元気かな、ルナ様。
黒風は俺の姿を遠目に確認すると、首を振って餌箱を指し示した。
「おいおい、やっぱり食べ終わったのか?」
声を掛けながら近寄って確認すると、果たして、箱の中の乾草は隅っこに少し残るだけだった。
「大喰らいだな。ちょっと待ってろよ」
身体を撫でながら荷台に向かって、乾草を補給する。
「ほら、これで朝まで足りるか?」
黒風は俺に頬を擦り付けて来た後、餌箱の中の乾草を
初対面の時から『可愛い』と言っていた七妃には、既にこの姿が見えていたのかも知れない。……と、これは考え過ぎかも知れないけど。
「じゃあ黒風、そろそろ行くわ。明日の朝は俺達もご飯を食べてから戻って来るから、また道中頼むな」
首筋を撫でながら言うと、黒風は一旦食べるのをやめてこっちを見て、静かに頷いた。
……こいつ、絶対人語を分かってるよな。俺達の言葉が若しかしたらこいつにも分かる様に翻訳されてる説。
逆に黒風の言葉は分からないからそれは無いんだろうけど、真剣にそう考えさせられてしまう説得力が黒風にはある。
「あ、
部屋に戻った俺を、七妃の明るい声が出迎えた。こう云うの、良いな。
「箱に入れた分の乾草を殆ど食べ終わってたから、お代わり入れて来た」
「そなんだ。ありがとっ、
七妃は嬉しそうに笑った。
「そうそう、この本貸してくれてありがとねっ。すっごく面白いよ」
「それは何より」
言いながら、七妃の手元で開かれた本を見る。……と、あれ?
「高茶屋、もうそんなに読んだのか?」
今開かれている所まで読んだのだとしたら、既に半分を越している。そんなに長い時間外に居た心算は無かったけど。
「ああ、これ? うん、夢中になって読んでたら、こんなに進んでたっ!」
不意に、中学の時の七妃の姿が脳裏に蘇って来る。
七妃はいつも、本を読んでいた。
ついついギャルモードの姿に惑わされて忘れそうになるけど、高茶屋七妃は元来そう云う人なのだ。
尤も、純粋に『好きだから』と云う理由だけで読んでいたのでは無いのも分かってもいるけど。
「この子、本当に幸せになって欲しいなって読み進めてるの。あっ、ネタバレダメだかんねっ!」
「分かってるってば」
「でも、
「まあな」
これに関しては、俺も同じ様に思っていた。
七妃とは中学入学の時に知り合ってからほぼ4年間同じ学校で過ごして来たけど、こんな話はした事が無かった。
俺が小説よりも漫画ばかり読んでいたって云うのも有って、小説の話はした事が無かった。
漫画の話はした事が有ったけど、矢張り高茶屋七妃にとっては、小説の話の方が嬉しいんだろうとは思っていた。
今だって必要に駆られて読んでいるに過ぎないとも言えるけど、これ迄申し訳無さを感じていたのも有って、実は禊が出来ている様で嬉しいのだ。
「俺、そろそろ寝るから」
「うん、おやすみっ。あーし、もうちょっと読んでから寝るからっ」
程良く眠気が襲って来ていてベッドに潜りながら言うと、七妃は想像通りの言葉を返して来た。
「ああ。ランタンの火を消すのだけはよろしくな」
「大丈夫だってっ! あーし、本を読んでて寝落ちした事無いんだっ!」
おお、それは凄いな……。
「……じゃ、おやすみ、七妃……」
「うん、おやすみ、
……ちぇっ、バレた……。少しボーッとしてて、呼んでから『しまった』と思ったの、スルーはしてくれなかったか……。
布団が心地良くて、もう目が開けられない程に眠りの世界に入ろうとしている。
「もうっ! ……あれ、寝ちゃったのかな? ま、いっか。……おやすみ、
……おやすみ、七妃……。
バシャバシャバシャッ。
突然現れた気配と声に驚き慌てて動いた腕が、お湯を騒がせた。
念の為に辺りを見回してみても、当然俺以外には誰も居ない。
と云う事は、矢張り――。
『やっと話し掛けてくれたね、ヨシヤ君。……あ、でも少し前に試そうとしてくれた事は有ったっけ』
――間違い無い。今俺に語り掛けているのは本に書いて有った、魔法自体を使えるかどうかの分水嶺。
(風の精霊か?)
『うん、そうだよ。僕は風。よろしくね、ヨシヤ君』
この返事に確信する。どうやら俺にも、元々この世界に有る魔法も使える様だ。
前に呼び掛けた時に話せなかったのは、推測通り魔力の問題だったのだろう。
ここまで思い至って漸く、安堵の息が漏れた。
学術書でも物語でも、この風と話せない人はまず他の精霊と話す事は出来ず、魔法全般が使えないと明記されていたからだ。
使えると推測はしていたけれど、実際に話せなかった事で内心焦ってはいたのだ。
……それにしても普通に名前で呼ばれるのが何だか懐かしく思われて、むず痒い。いや、殆ど名前で呼ばれなくなったのは、この世界に来た数日前からでしか無いんだけど。
ともあれ、お陰で少し落ち着いた。
『あれ、それともゼンザイ君の方が良かったかな?』
(悪い、ヨシヤで頼むわ)
『分かったよ、ヨシヤ君』
何と無くだけど、『ゼンザイ』と呼ぶのは、七妃だけの物にしておきたい気がした。尤も、あいつの所為で旅先で会う人達にも広まりつつあるけど。
(それにしても、話し掛けようとしてたのも知ってるんだな。あの時は魔力を使わなかったから叶わなかったけど)
『うん。僕は何処にでも居て、全部見ているからね。君達の事も勿論、この世界に来た時から知っているよ』
(へえ、成る程。『風』とは言っても、空気と考えた方が分かり易いか)
『そうだね。元々この世界に居た人は風でしか僕を認識しないけど、君達みたいに他の世界から来た人達は、大体そうやって僕を認識するね』
最初に買った魔法についての学術書でも、後で買った物語の中でも、こいつについての呼称は全て『風』だった。
まだ余り発展していない
……と、今、風が言った中に気になる事が。
(今、『他の世界から来た人達』って言ったか? 俺と高茶屋以外にも異世界から来た人が居るのか?)
それが本当なら、俺のあずきボーみたいな『魔王を倒す為に授かったスキル持ち』を集めて行くと、倒すのが楽になる。魔王がどれ程強いのか分からないしぶっつけ本番で、負けたらセカンドチャンスなんかは当然無いだろうから、当然それは北に向かう道中でするべき事の最優先事項になる。
『居るよ。ただ、君が出す氷菓子みたいな事を出来る人は居ないみたいだけどね』
……世の中、そう上手くはいかないか。そもそもやっぱり、既に何人も来ているのなら、俺達2人を後からこの世界に送り込む理由も無い筈だしな。
(そっか、それは残念だな)
魔王を倒した後に、そう云う人を探す旅に出るのも面白いかも知れない。魔王討伐後の楽しみが多過ぎる。
(風を通して、他の人と連絡を取る事は出来るのか? その元異世界人に限らず)
『その人も僕と話を出来るなら、君が呼んでいるって事は伝える事が出来るよ。勿論、相手から君への返信が有れば伝えられるし』
これは、スマホを持っている人同士が電話で話が出来る理屈に近いかな。電波だとか、あっちの理屈は良く分かってなかったけど。
今はまだ分からないけど、この先旅が進んで魔王と戦う事になりそうな場所が判明した時にお世話になるかも知れないから、しっかり覚えておこう。対魔王は直接は俺と七妃が請け負うにしても、側近なんかが居るとしたら、例えばヴィヴィさんやグァルドさん、アルーズさん辺りなら対処して貰えそうな気がする。他にも、強い人は居るだろうし。
……と、夜風が心地良いとは言え、このままお湯に浸かったままで話し続けると
旅の疲れを癒してくれて気持ち良かった露天風呂から上がる為に、ゆっくりと立ち上がる。
(なあ、風さん)
『何かな、ヨシヤ君』
(七、……高茶屋も、君と話が出来るかな)
『さあ、どうだろう。基本的には僕から話し掛ける事は無いから、試して貰うと良いかな』
(話し掛けないのはどうして?)
『その人の魔力を勝手に使う事になるからね。それに、自分でやってみて僕と話が出来ると分かった時の方が、皆喜んでくれるんだ』
(それは分かる気がする)
自らの挑戦で物が分かった時の方が、人に言われて知った事より何倍も嬉しいし、身に付くからな。経験則として。
それに何より、急に話し掛けられてそこに人が居なかった場合は恐怖が先に立つ。俺自身に至っては、自分で話し掛けておきながら驚いてしまった。
七妃とかはすっごく怖がりそうな気がするし、自分から話し掛けてみて風と会話が出来た時の嬉しそうな顔は、今から想像が付く。何か偉そうにやり方を教えるのも違う気がするし、残りページの少ない物語の方でも良いから早く読み終わって、七妃にも読んで貰おう。
読みながら何と無く試す七妃の姿が、容易に浮かんで来る。
(あと1つ訊きたいんだけど、風は実際に何が出来るんだ?)
『えーっと……、君の魔力を貰って風を吹かせたりとか、温かくしたりとか、水を出したりとかかな。後はやった事が無いだけで出来る事も有るかも知れないけど、理屈が分かった上で試してみない事には何とも言えないよ』
(なるほど)
自分の事でも分からない事が有るのは、人間だけじゃ無く精霊も同じなのか。
『ヨシヤ君、君と話が出来るのは嬉しいけど、このまま僕と話し続けると、また疲れちゃうよ。折角お風呂で疲れを取ったのに』
こいつは気遣いまで出来るのか。
(ああ、ありがとう。必要な時は、また今みたいに話し掛ければ良いのか?)
『うん、そうだよ』
(分かった、その時はまたよろしく。じゃあ、また)
『またね!』
意識して魔力の流れを断つと、それまで確かに感じられた気配が消えた。
と、風が言っていた通り、少しばかりの疲れを感じた。これ迄にあずきボーを沢山出した時に感じて来た疲れと、同じ様な疲れだ。
もう一度座って、夜風に冷め始めていた身体を、もう一度お風呂で温めた。
「あれ、七妃はまだ帰って来てないのか」
ドライヤーなんて無いので髪の毛を念入りに拭きながら部屋に戻っても七妃の姿は無く、思わず口からそんな言葉が漏れた。
思えば結構な時間風と話していた様な気がしていたから、てっきりもう戻っていると思ったのに。
……髪の毛を風に乾かして貰えば良い気がして来たけど、何と無く自分の為に使うのも申し訳無い気もする。俺の髪なんて短いから、
俺なんかよりも、七妃にこそ必要だろうな……。
今だって、髪の毛を拭くのに時間が掛かっているのかも知れない。
一刻も早く七妃に貸す為にと、ベッドに寝っ転がって物語の続きを読み始めた。
「……ただいま」
――それから七妃が帰って来る迄に、最後まで読み終わってしまった。
何だ、この感動の物語。まさか、そんな展開になって行くとは……。
「高茶屋、お帰り。女風呂はどんな感じだった?」
「えっ? 女風呂っ? ……あ、ああ、そうだね、良かったよ」
「そっか、男風呂も良かったよ。今更だけど、混浴ってどんな感じだったんだろうな」
「そ、そうだねっ! あーしも行かなかったから分かんないっ! 女風呂が気持ち良かったからっ!!」
……気持ち良かったのに、七妃は何で怒ってるんだ?
//////
「……っ」
窓の外からことりの鳴き声がチュンチュンと聞こえて来る牧歌的な朝の訪れに目を覚ました俺に、話し声が聞こえて来た。
誰か居るのか?
一瞬で眠気の全くが吹き飛び、大きく目を開けて声のする方を見た。
「へえ、風さんって言うんだっ! あーし、高茶屋七妃っ! よろしくねっ!」
七妃の声。相手の声は聞こえない。
やにわに身体を起こす。
「あっ、
「良くないってばっ!」
「ははっ、ツッコまれちゃった。ぢゃ、またねっ、風さん!」
(風っ!)
慌てて小声で呼び掛ける。
『おはよう、ゼンザイ君!』
返って来たのは、想像通りの呼び名だった。
(本当にお前、空気を読むよな)
半ば呆れながら言った俺の周りを、楽しそうな風が吹き回った。
『そりゃそうだよ。だって、僕が空気だもん!』
――うるさいよ。
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