Bar25本目:Wind Tune
バシャバシャバシャッ。
突然現れた気配と声に驚き慌てて動いた腕が、お湯を騒がせた。
念の為に辺りを見回してみても、当然俺以外には誰も居ない。
と云う事は、矢張り――。
『やっと話し掛けてくれたね、ヨシヤ君。……あ、でも少し前に試そうとしてくれた事は有ったっけ』
――間違い無い。今俺に語り掛けているのは本に書いて有った、魔法自体を使えるかどうかの分水嶺。
(風の精霊か?)
『うん、そうだよ。僕は風。よろしくね、ヨシヤ君』
この返事に確信する。どうやら俺にも、元々この世界に有る魔法も使える様だ。
前に呼び掛けた時に話せなかったのは、推測通り魔力の問題だったのだろう。
ここまで思い至って漸く、安堵の息が漏れた。
学術書でも物語でも、この風と話せない人はまず他の精霊と話す事は出来ず、魔法全般が使えないと明記されていたからだ。
使えると推測はしていたけれど、実際に話せなかった事で内心焦ってはいたのだ。
……それにしても普通に名前で呼ばれるのが何だか懐かしく思われて、むず痒い。いや、殆ど名前で呼ばれなくなったのは、この世界に来た数日前からでしか無いんだけど。
ともあれ、お陰で少し落ち着いた。
『あれ、それともゼンザイ君の方が良かったかな?』
(悪い、ヨシヤで頼むわ)
『分かったよ、ヨシヤ君』
何と無くだけど、『ゼンザイ』と呼ぶのは、七妃だけの物にしておきたい気がした。尤も、あいつの所為で旅先で会う人達にも広まりつつあるけど。
(それにしても、話し掛けようとしてたのも知ってるんだな。あの時は魔力を使わなかったから叶わなかったけど)
『うん。僕は何処にでも居て、全部見ているからね。君達の事も勿論、この世界に来た時から知っているよ』
(へえ、成る程。『風』とは言っても、空気と考えた方が分かり易いか)
『そうだね。元々この世界に居た人は風でしか僕を認識しないけど、君達みたいに他の世界から来た人達は、大体そうやって僕を認識するね』
最初に買った魔法についての学術書でも、後で買った物語の中でも、こいつについての呼称は全て『風』だった。
まだ余り発展していない
……と、今、風が言った中に気になる事が。
(今、『他の世界から来た人達』って言ったか? 俺と高茶屋以外にも異世界から来た人が居るのか?)
それが本当なら、俺のあずきボーみたいな『魔王を倒す為に授かったスキル持ち』を集めて行くと、倒すのが楽になる。魔王がどれ程強いのか分からないしぶっつけ本番で、負けたらセカンドチャンスなんかは当然無いだろうから、当然それは北に向かう道中でするべき事の最優先事項になる。
『居るよ。ただ、君が出す氷菓子みたいな事を出来る人は居ないみたいだけどね』
……世の中、そう上手くはいかないか。そもそもやっぱり、既に何人も来ているのなら、俺達2人を後からこの世界に送り込む理由も無い筈だしな。
(そっか、それは残念だな)
魔王を倒した後に、そう云う人を探す旅に出るのも面白いかも知れない。魔王討伐後の楽しみが多過ぎる。
(風を通して、他の人と連絡を取る事は出来るのか? その元異世界人に限らず)
『その人も僕と話を出来るなら、君が呼んでいるって事は伝える事が出来るよ。勿論、相手から君への返信が有れば伝えられるし』
これは、スマホを持っている人同士が電話で話が出来る理屈に近いかな。電波だとか、あっちの理屈は良く分かってなかったけど。
今はまだ分からないけど、この先旅が進んで魔王と戦う事になりそうな場所が判明した時にお世話になるかも知れないから、しっかり覚えておこう。対魔王は直接は俺と七妃が請け負うにしても、側近なんかが居るとしたら、例えばヴィヴィさんやグァルドさん、アルーズさん辺りなら対処して貰えそうな気がする。他にも、強い人は居るだろうし。
……と、夜風が心地良いとは言え、このままお湯に浸かったままで話し続けると
旅の疲れを癒してくれて気持ち良かった露天風呂から上がる為に、ゆっくりと立ち上がる。
(なあ、風さん)
『何かな、ヨシヤ君』
(七、……高茶屋も、君と話が出来るかな)
『さあ、どうだろう。基本的には僕から話し掛ける事は無いから、試して貰うと良いかな』
(話し掛けないのはどうして?)
『その人の魔力を勝手に使う事になるからね。それに、自分でやってみて僕と話が出来ると分かった時の方が、皆喜んでくれるんだ』
(それは分かる気がする)
自らの挑戦で物が分かった時の方が、人に言われて知った事より何倍も嬉しいし、身に付くからな。経験則として。
それに何より、急に話し掛けられてそこに人が居なかった場合は恐怖が先に立つ。俺自身に至っては、自分で話し掛けておきながら驚いてしまった。
七妃とかはすっごく怖がりそうな気がするし、自分から話し掛けてみて風と会話が出来た時の嬉しそうな顔は、今から想像が付く。何か偉そうにやり方を教えるのも違う気がするし、残りページの少ない物語の方でも良いから早く読み終わって、七妃にも読んで貰おう。
読みながら何と無く試す七妃の姿が、容易に浮かんで来る。
(あと1つ訊きたいんだけど、風は実際に何が出来るんだ?)
『えーっと……、君の魔力を貰って風を吹かせたりとか、温かくしたりとか、水を出したりとかかな。後はやった事が無いだけで出来る事も有るかも知れないけど、理屈が分かった上で試してみない事には何とも言えないよ』
(なるほど)
自分の事でも分からない事が有るのは、人間だけじゃ無く精霊も同じなのか。
『ヨシヤ君、君と話が出来るのは嬉しいけど、このまま僕と話し続けると、また疲れちゃうよ。折角お風呂で疲れを取ったのに』
こいつは気遣いまで出来るのか。
(ああ、ありがとう。必要な時は、また今みたいに話し掛ければ良いのか?)
『うん、そうだよ』
(分かった、その時はまたよろしく。じゃあ、また)
『またね!』
意識して魔力の流れを断つと、それまで確かに感じられた気配が消えた。
と、風が言っていた通り、少しばかりの疲れを感じた。これ迄にあずきボーを沢山出した時に感じて来た疲れと、同じ様な疲れだ。
もう一度座って、夜風に冷め始めていた身体を、もう一度お風呂で温めた。
「あれ、七妃はまだ帰って来てないのか」
ドライヤーなんて無いので髪の毛を念入りに拭きながら部屋に戻っても七妃の姿は無く、思わず口からそんな言葉が漏れた。
思えば結構な時間風と話していた様な気がしていたから、てっきりもう戻っていると思ったのに。
……髪の毛を風に乾かして貰えば良い気がして来たけど、何と無く自分の為に使うのも申し訳無い気もする。俺の髪なんて短いから、
俺なんかよりも、七妃にこそ必要だろうな……。
今だって、髪の毛を拭くのに時間が掛かっているのかも知れない。
一刻も早く七妃に貸す為にと、ベッドに寝っ転がって物語の続きを読み始めた。
「……ただいま」
――それから七妃が帰って来る迄に、最後まで読み終わってしまった。
何だ、この感動の物語。まさか、そんな展開になって行くとは……。
「高茶屋、お帰り。女風呂はどんな感じだった?」
「えっ? 女風呂っ? ……あ、ああ、そうだね、良かったよ」
「そっか、男風呂も良かったよ。今更だけど、混浴ってどんな感じだったんだろうな」
「そ、そうだねっ! あーしも行かなかったから分かんないっ! 女風呂が気持ち良かったからっ!!」
……気持ち良かったのに、七妃は何で怒ってるんだ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます