Bar8本目:初めての夜

「おーいしーい!!!」

 注文したシチューを目いっぱい頬張って、七妃は幸せそうに目を細めた。

「おいおい、余り焦って食べると、火傷するぞ?」

「良いの!」

 そして、俺の忠告にも、間髪入れずに返して来る。

 ……だが、気持ちは分かる。凄く分かる。

 俺も、目の前のテーブルに置かれたカレーを息で冷ますのももどかしく口に流し込む。

 今までは何を言っているんだと思っていたけど、今なら分かる。カレーは飲み物だ!

 あずきボーばかりを食べていた所為で冷え切っていた身体を、カレーが温めてくれる。

 ――幸せだ。

 電子レンジが有れば、食後にあずきボーをチンして熱々の善哉を食べるんだけどな。雪見大福を入れても良い。


 宿の場所を教わった食堂にやって来た俺達は、数ある料理の中から、一番体が温まるであろうシチューとカレーを頼んだ。

 勿論、は例によって自動翻訳されたもので実際は違う名前なのだろうし、具材も味付けも慣れ親しんで来た物とは何処かが違う。

 どうせこの世界でずっと暮らす事になるのだから、全部終わったら、この世界のちゃんとした言葉を覚えてみるのも面白いかも知れない。

 ――が、今は取り敢えず魔王退治最優先だ。……今の処はまだ魔製ウサギやちょっとした魔製小動物しか倒してないし、自信は無いけど。

 『魔製』って言うのは便宜上七妃と決めた呼び方で、『魔力で製作された』と云うのが由来。

 響きは同じだけど、磨いて作製する、歴史で習ったあの石器とは別。


 食堂は、男女の楽しそうに盛り上がる声で溢れている。

 俺達が入って来た時点でテーブルは今就いている所以外は埋まっていた。

 木製のジョッキを掲げ、頬を赤らめて豪快に笑い合う男女を見ると、少し羨ましくもなって来る。


「ね、善哉ぜんざい、この世界の人達、皆楽しそうだね! 魔族や魔王が居るなんて、信じられない位に!」

 シチューが入っていた木のお椀を名残惜しそうに両手で持ちながら、七妃が周りに負けない位に楽しそうな笑顔を浮かべながら言った。

「ああ、そうだな。俺達は、この笑顔を護らないといけないんだな」

 七妃の笑顔を見るのが何と無く照れ臭くなり、周りのテーブルに目を遣る。

「うん、責任重大。頑張らないとね」

「焦って返り討ちに遭っても仕方無いから、焦らない様にはしたい処だけど。……と、あれ?」

 と或るテーブルで、その視線が止まった。

「どしたん?」

「いや、ほら、あのテーブル」

「んー?」

 無防備に顔を寄せて来る七妃に意識を奪われない様、くだんのテーブルを指す。

「えーっと、……あれ? あの子酔っぱらってない? うちらより若いよね?」

「あー、やっぱり、そう思うよな?」

 そこで大人に混じって顔を赤くしながら笑っているのは、どう見ても中学生……14歳位だ。

「うん、うちの弟位に見える……」

 そう言った七妃の顔は、瞬間的に気色を失った。

 しまったな。

「ああ、悪い、思い出させちゃったな」

「あ、ううん、村井君は悪く無いよ? 突然死んじゃって、悲しませちゃったかなって。ちょっと思っただけだから、全然大丈夫!」

 慌てて手を振って否定する七妃。

 全然大丈夫じゃ無いじゃないか。

 ――と、そこで少し違和感を覚えた。

「あれ? 七妃、確か昼に『先立つ不孝を――』って言った時は、お父さんとお母さんだけだったよな?」

 だからてっきり、一人っ子だと思っていた処は有る。

 話す様にはなってからの約二年間も、そんなにプライベートに触れた事も無かったし。

「え? ……ああ、あの時はコンビニに行く前に喧嘩したばっかりだったし、どうでも良いかなーって思ったんだけど、へへ、やっぱり弟はどんなでも可愛いね」

「そんなもんか?」

「うん、そんなもん!」

 そう言い切った七妃は、弟の事を思い出しながらも、今度は笑っていた。

 取り敢えずは大丈夫か。

「ねー、聞いてよ善哉ぜんざい、あの子ね、私が高校生になった途端に、全然話してくんなくなったんだよ?! 酷いと思わない?!」

「そうなのか?」

「そうっ!」

 頬を膨らませる七妃。でも、それって……。

「あの子ね、あーしが派手なカッコをし出したからって、急に距離を置き出したの!」

「あー、いや、そこじゃ無いのか?」

「……えっ? そこ?」

 一言添えると、興奮して行っていた七妃は、一気に静かになった。

 キョトンと大きく開かれた瞳が静かに俺を見詰めて来る。

「どこ?」

 ……と思ったら、キョロキョロと辺りを見回し始めた。

 何だこれ、可愛い。

「違う、弟君おとうとくんの事だよ。お姉ちゃんが急に明るくなって、照れ臭くなっちゃったんじゃないのか?」

「うぇ? そうなの?」

 ポカンと呟いた七妃は、背凭れに体重を掛けて、天井を仰いだ。

「ふーん、そうだったんだ……」

「俺は一人っ子だから、合ってるかどうかは分からんけどな」

「……そっか、善哉ぜんざいは一人っ子なんだね……」

 天井を見たまま、七妃は呟いた。

 恰も、店内の喧騒の中、俺達のテーブル周りだけ、時が止まった様に感じられ……。

 ――あれっ、やばっ、これって――。

「七妃っ! 悪いっ! 思いを遺させちゃったな! 嫌われていたと思われていた方が……」

 慌てる俺と、勢い良く身を起こした七妃の目が合う。

「ううん。ありがと、善哉よしや君」

 その目は、潤みながらも笑っていた。

「それは、だったらもっと仲良くして居たかったな、とか思わない事も無いけど。……でもね、嫌われてなかったって事が、何よりも嬉しいの」

 ――それは中学の頃の、俺が良く知る、高茶屋七妃の笑顔で。

「そっか、なら良かった」

 言いつつ、目を細めて笑い掛ける。……振りをして、そのまま目を瞑る。尊過ぎて、とても直視なんかしてられない。ここで顔を逸らす訳にもいかないし。

「うん、善哉よしや君」

 そう言った声は、嬉しそうに弾んでいた。

 ……っと、あれ?

「高茶屋?」

「何、善哉ぜんざい?」

「ひょっとして俺……」

「うん、呼んでくれたよ?」

 そうか、焦って口走ってたのか。

「でも、高茶屋も俺の名前を呼べる様になったんだな、急に」

「そだね。もしかしたら、話の流れも有るのかもね? あとは、……そうだね、ギャルモードでは呼べないとか?」

「そんな事有るのか?」

 言われてみれば、昼に呼び合おうとしていた時は、ギャルモードの時だったな。

「じゃあ、このままもっかい試してみる?」

「無理しなくて良いって、高茶屋も」

 俺の心臓も。

「ああん、もう、もう名前で呼んでくんないの?!」

「さっきのは緊急事態だったからな」

「……ふうん、じゃあ、もう見ても貰えないの?」

 ドクンと心臓が跳ねる。……流石にバレない筈が無いか。

 観念して目を開けると、ニンマリと笑う高茶屋と目が合った。

 超、至近距離で。

「ギュエヤッ!」

「あははは、善哉ぜんざい、変な声っ!」

 テーブルに乗り出していた身体を椅子に落ち着け、七妃はキャルキャルと笑った。

「何だ、自分だって――」

「ん?」

 ――顔を真っ赤にしている癖に。

 言い掛けて言葉を飲み込んだ俺に、七妃は小首を傾げた。

 これ位の事で笑い飛ばしてくれるなら、その方がずっと良い。

「この次に俺が高茶屋を名前で呼ぶ時は、そっちから呼んでくれた時だからな」

「えぇー?! ケチーっ!」

「ケチってなぁ! こっちだって!」

「ふーん? 『こっちだって』、何?」

「グハッ!」

 自爆!

「あはははは、『グハッ!』なんて、リアルで初めて聞いたよ!」


 こうして盛り上がりながら、異世界最初の夜は更けて行った――。

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