Bar30本目:Diary

 それからも、北へ向かう俺達の旅は順調に進んだ。

 旅程はほぼ晴天の下で行う事が出来た。

 『ほぼ』と云うのは、ちょっとだけ通り雨に見舞われたからで、その時は大きな樹の下に雨宿りをしてやり過ごした。

 黒風だって風邪をひいたり体調を崩す事は有るだろうし、そうなってしまうと旅が進められなくなるし、七妃が落ち込むのは目に見えているし、何よりも黒風は大切な旅の仲間でその仲間を思いやらずに魔王を倒した処で、である。


 北の魔王の本拠地に近付くにつれ、対峙する魔製生物も、ゴリラ型やチンパンジー型など、ヒト型に近付いて行き、それに伴って知性なども見られる様になって来た。

 とは言え、俺のあずきボー、黒風の圧倒的な機動力と踏み潰し、七妃のフライパンチに敵う筈も無く、その姿を消して行った。改めて、戦う相手がれっきとした生き物では無くて良かったと思う。

 だが、魔王自体はどう云った存在なのだろうか。

 地図上ではもう直ぐそこまで来たと云うのに、一向にその詳細が分からない。

 それも当然ではあるのだけど。漠然としたその存在と恐怖を知っていても、実際に面と向かった人が生きて居られる道理が無い。

 地図で見る限りでは魔王は海を渡った所に居るので、逃げ場が無いのも今の状況を後押ししてしまっているのかも知れない。



   //////



「ぜんざーいっ、ただいまーっ!」

 ガクルと云う街で泊まっている宿のお風呂から帰って来た七妃の元気な声が部屋に響いたので、俺は書き掛けの日記を慌てて閉じた。

「ああ、お帰り」

 俺ももう入って来た後で、時間が掛かる七妃との時間差を利用して日記をしたためていたのだ。

 反射的に、閉じた日記を自分の身体の後ろに隠してしまう。

 でも、それがいけなかった。あの目聡い七妃が、俺のこの不審な動きを見逃す訳が無かった。

善哉ぜんざい、何隠したの? エッチなの?」

「違うって!」

「あやしいなぁ」

 そう言ってベッドに座っている俺に近付いて来る七妃。

「あーしの目は誤魔化せないんだからねっ! 見せろ善哉ぜんざいーっ!」

 そして両手を伸ばして、俺の背後の日記を奪いに来た。

「や、やめろって!」

 必然的に密着する、七妃と俺。

 七妃の湯上りの上気した肌が艶めかしくて、柔らかくて……。

「スキありーっ!」

 叫んだ七妃は、日記を取り上げるとそそくさと自分のベッドの裏に隠れて、日記を読み始めた。

「……なんだぁ、ただの日記ぢゃん」

「だから言っただろ、違うって」

 俺が悪い様に言われても、納得は出来ない。

「そもそも、本当にそういう本だったらどうするつもりだったんだよ」

 俺が訊き返すと、七妃は暫く虚空に視線を漂わせた後でボソリと、「……部屋を別にして貰うとか?」と答えた。

「自分から振っておいて」

「だってぇぇぇ」

 ベッドの淵から目元までだけをこっちに見せて、七妃は唸った。

「ま、もうちょっとの辛抱だし、我慢してくれよ」

「……うん」

 今日の宿も2部屋以上空いていたから、しようと思えば部屋を別々に出来たのだが、それには理由がある。

 ――俺が七妃を好きで、少しでも一緒に居たいから。……では無く――それも有るけど――、幾ら所持金に余裕が有るとは言っても稼ぐ手段の無い今の状況だと、減る一方だからだ。

 魔王を倒せば報奨金は出る筈だが、それまでにいつ纏まった出費が有るかの検討が付かないので、倹約出来る処は少しでも倹約して行こうと云う話になっていた。……七妃の提案で。

「でも善哉ぜんざい、日記なんて書いてたんだね。いつから?」

 ベッドのヘリにぴょんと飛び乗って、こっちに背中を向けて座ったまま、七妃は俺の日記のページをパラパラと捲った。必死で頭を働かせ、書いた内容を思い出す。

 大丈夫、七妃への気持ちはあの中には書いていない筈。差し当たってやって来た事、事実と考察しか書かない様にしておいて良かった。

「ああ、リオレでも色々買い込んだだろ。あの時に本屋で見掛けて、ついでにな」

「へえ、あっこからそんなに経ってないけど、もうこんなに書いたんだね。今日に追い付いてるぢゃん、すごい凄いっ! ……って、何この『フライパンチ』って」

 褒められたかと思ったら、一転笑われた。何、この飴と鞭のジェットコースター。

「ひょっとして、あーしが付けた『ピンポイントあずきボーバリア』みたいなの狙ってた?」

 振り返って、意地悪な笑いをこっちに見せる七妃。

 ……バレたか。

「まだ旅の途中だから振り返ってる場合ぢゃ無いのは分かってるんだけど、こうしてみると、色んな事が有ったね。……そうそう、この時のうさぎちゃん、可愛かったっ!」

 うさぎと言えば、この世界に来たばかりの時か。魔製ウサギと戦った後に本物のうさぎが出て来て、じゃれる七妃が可愛かったんだよな。……言ってる場合か。

「ふふ、このままマオーを倒したら、この日記が元になって【勇者善哉ぜんざいの冒険】みたいな伝記になって、この世界で語り継がれていったりするのかな」

 楽しそうに鼻唄交じりで暫く日記を眺めていた七妃がとんでもない事を言い出した。

「何か、そう言われるとこっぱずかしいな。勇者七妃じゃだめか?」

「だーめ。あーしは善哉ぜんざいのサポートで良いし、あーしを助けてくれた善哉ぜんざいを皆に知ってもらえるのが嬉しいんだよ?」

 ずるいな。そんな言い方をされてしまうと、何も言えなくなる。

「でも【勇者善哉ぜんざいの冒険】、あーしらが他の世界から来た事を書いてもらった方が良いかもね。そうすれば、この世界に居る異世界から来た人とも交流出来るかも知れないし」

「そうだな。是非とも、ルナ様の事も書いて貰わないとな」

「そうそう、ルナ様、この世界で有名に!」

「今は宗教とかは無いみたいだけど、【ルナ教】とか出来ちゃったりしてな」

「いやいや、そこは【勇者善哉ぜんざい教】でしょっ!」

「って言うか! さっきから善哉ぜんざい善哉ぜんざいって、ヨシヤだろって! 【勇者ヨシヤの冒険】! 【ヨシヤ教!】」

「わーい! 善哉ぜんざいがやっと気付いたーっ!」

 思いっ切り訂正すると、七妃は子供の様に燥ぎながら布団に潜り込んだ。

「……あー、いや、今のは忘れてくれ……」

 冷静になってみると、自分で勇者と名乗ったり、宗教を名乗ったりするのは返す返すも恥ずかしい。

「あははは、忘れてあげないんだよーっ!」

 枕に顔を埋めながら、七妃はこっちを見て笑った。

 ……それにしても。たった数日前にこの世界に来た時と比べたら、随分気安くなったものだ。

 勿論それは好ましい事ではあるが、前の世界の時とは違った連帯感がこの関係を生み出したのだろうか。

「期待してるよっ、勇者ヨシヤっ!」

 七妃は布団から手だけを出して日記を俺に返すと、布団の中でクルリと向こうを向いて眠ってしまった様で直ぐに小さな寝息が聞こえて来た。

「おやすみ、七妃」

「んっ……」

 声を掛けると、寝ていても聞こえたのか少しだけ反応して、七妃はそのまままた寝息を立て始めた。

 俺は日記をバッグにしまい、ランタンの灯を吹き消して、七妃と同じ様にベッドに潜った。


 ――今居る大陸の北の端まで、あと少し。

 魔製生物も今までよりもっと手強くなるだろうし、正直に言うと少し怖くはある。

 どうやって海を渡るのか、魔王とはどう云った存在なのか。

 まだ解き解さなくてはならない問題は沢山有るが、1つ1つ、着実に明かして行こう。

 決して、無理はしない様に。

 ……七妃の笑顔を、曇らせる事の無い様に……。

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