Bar22本目:GRAVITY OF LOVE
屋内の展示ブースに移動し、並んでいる馬車をゆっくりと1つ1つ見て行く。
カブリオレ――2輪幌馬車には名前だけでなくその見た目の優雅さにも惹かれるが、矢張り積載スペースが殆ど無いので実用性に欠け、選択肢から除外しなくてはならない。イメージとしては、人力車を思い浮かべて貰うと良いだろう。
ただ、今は埒外では有っても、全てが終わってからちょっと出掛ける時に使う分には良いかも知れないので、憶えておくだけは憶えておこう。……カブリオレ。
さて、現実的な処では先程マイさんが教えてくれた様な4輪の幌馬車が良いだろう。荷物も大分入るし、クッションや布団さえどうにかすれば、寝る事も可能だ。洗濯した服を干しながら移動する事だって出来る。
何と無くこれかなと感じた馬車の値札を確認すると、黒光りする
乗合馬車2人で1000回分。
この店しか知らないから相場が分からないけど、バス代と車の値段と比べると、格安とも言える。言って良いのか分からないけど。
この先の進路が上手く乗合馬車で繋がらなかった場合、どれ位の距離を歩く事になるかは地図だけでは分からないから、買った方が間違い無く楽ではある。
……と言うか、俺の中ではもう買う以外の選択肢は無い。
馬にあんなにも優しい笑みを見せる、七妃の姿を見てしまったら――。
「それにしても、色んな馬車があるんだねー。目移りしちゃう。ねっ、
ほら、七妃だって既に、買う買わないじゃ無くてどれにするかになってるし。いや、最初からか。
「ゆっくりご覧になって下さいね。お安い買い物では無いので」
「はーいっ! ねっ、
マイさんが見守る中、俺達はもう一度、それぞれの馬車の長所短所を吟味して行った。
「――本日はお買い上げ、ありがとうございます」
必要な書類にサインをして金貨を渡すと、マイさんは慇懃に頭を下げた。
結局購入した馬車は俺が最初に見た、馬と合わせて金貨20枚になる4輪幌馬車よりも少し高い物で、構造的に揺れが吸収され易くなっている物。
中で寝る可能性も充分にある事を考慮に入れると、少しばかり高くなろうとも必要な機構だろう。
支払う金貨が多少増えた処で、まだ俺のバッグの中の貨幣入れには比べ物にならない数の金貨が入っている。
「直ぐに乗って行かれますか?」
「だって。どーする、
訊かれて、少しばかり思案する。直ぐに出掛けた処で、北に向かって最寄りの街や村まで初心者の腕でどれ位掛かるか分からないし、遅くに着いた所で宿が空いているかも分からない。
初めての操車で疲れるだろうし、初っ端から馬車泊は避けたい。七妃の負担を減らす為にも。
「今日はこの街にもう一泊して行って、明日の朝の出発にしないか? 食料なんかの買い出しも必要だろうし」
「その方が良いかも知れませんね。では明日、何時になさいます?」
「モーニング食べて、それからかなっ。お店は、何時から開いてます?」
「10時からですけど、早くても構いませんよ」
そうは言われても、オープンより早く出て来て貰うのも、少し悪い気もする。
「じゃあ、10時にします。高茶屋もそれで良いか?」
「もちっ!」
「畏まりました。では、10時に外壁の東門で馬車と共にお待ちしておりますね。数日分の乾草も、サービスで積んでおきますね」
「わっ、ありがとうございますっ!」
「有り難うございます」
そう云う物だとしても、サービスと言われると嬉しい物だ。
馬車屋を出た時、七妃は上機嫌に鼻唄を口遊んでいた。
「ご機嫌だな」
「えへへ、分かるぅ?」
そんな露骨に表現されてて、分からいでか。
「あーしね、子供の頃から馬車に憧れてたんだ。可愛いお馬さんとの生活」
「可愛いか、アレ」
「えーっ、可愛いぢゃん、あの子っ!」
押されて思い返してみても、あの馬とじゃれ合っている七妃が可愛かった事位しか思い出せない。
「……まぁ、可愛いかも、……な?」
馬に向ける七妃の笑顔が。
「でしょーっ! 他の子より体がちょっと大きいけど、すっごく可愛い目をしてるよねっ!」
あっ、体が大きいのは認めるんだ。そりゃそうか。
「そうだな。可愛いな」
「あれっ、
「何を言ってる、俺はずっと素直だ!」
七妃の目を見て言うと、当の七妃は一瞬キョトンとした目を見せた。そして、笑顔で続けた。
「
……なんだそりゃ。
それから俺達は、昨夜泊まった宿で今宵の部屋を確保し、部屋でのんびりする前に明日からの馬車旅で必要になりそうな日用品等を買い集めた。
そして一旦、部屋に置く為に宿への道を戻る。
実際に旅に出てみたら不足している物が出て来るかも知れないけど、それはもう初めての馬車旅と云う事で諦めるしかない。……さっき馬車を買いに行った時、必要になりそうな物を一通りマイさんに訊いておけば良かったな。
俺はそう云うのも楽しめるタイプだけど、七妃は――。
「不謹慎かもだけど、馬車での旅、楽しみだねっ! 快適な旅に足んない物が出たら、少しずつ買い足してこーねっ!」
――訊く迄も無かった。でも、こう云う奴だから、気楽で良い。
「ああ、そうだな。その内に物が増え過ぎて、馬車に乗り切らなくなったりな」
「もう、余計な物買い過ぎちゃダメだかんねっ! あの子が可哀想っ!」
「あの子? ああ、俺達の旅を導いてくれる事になった、あの凛々しい馬か」
「ちがうから。凛々しいんぢゃなくて、可愛いのっ!」
……ここには拘るんだな。
「そうだな、可愛いな」
「ねーっ!」
さっきまで頬っぺたを膨らませていたのに、俺の一言で一瞬でコロッと笑顔になる、七妃が。
まあ、あの見た目に安心感がある大きな黒い馬も、一緒に過ごして行けば愛着が沸いて可愛く見えてくるものかも知れない。
「そう言えば、馬の名前、どうする?」
「あーね、ちゃんとした名前、付けたげないとねっ! 可愛い名前っ!」
「いや、そこは見た目に合った名前を付けてやろうよ」
「えーっ、モンブランちゃんとか、ダメ?」
駄目です、名前が負けてます。
「……まあ、明日実際に見ながら、旅すがらのんびり考えようか」
「うんっ! 絶対に
「お、おう」
……楽しみにしてるよ。
と話している内に、宿に戻って来た。
「ただいまーっ!」
「お帰りなさい、七妃さん」
おお、いつの間に名前を呼ぶ様に。しかも営業スマイルじゃ無いし。
「ねっ、
「ん? ああ、そうか。少し休んだら行こうか」
「では
何故か吹き出しそうになりながら、七妃しか呼ばない俺の徒名を口にした宿のお姉さん。
鍵を受け取りながら七妃を睨みつけると、七妃とお姉さんは2人揃って声を上げて笑い出した。
仲良くなって愉しむのは良いんだけど、俺にとっては
本当に高校生活の約1年でコミュ力が上がったよな、七妃。
ドサッ。
部屋に入り、抱えていた荷物を床に置いた。結構な量を買っちゃったな。
「ねー
「ああ、良いぞ」
「やったっ! ぢゃ、早く行こっ!」
リュックを置いて身軽になった七妃は、勢い良くドアを開けて部屋を出て行った。
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