転移した世界で魔王を倒せって言われたから、あずきのアイスで無双します。

はるにひかる

Bar1本目:買い物に出掛けたら

「っちそうさまー!」

 父さん手作りの晩御飯を食べ終え、手を合わせた俺――村井善哉むらいよしや――は高らかに声を上げた。

 最近シューロー条件が改善されたとかで時間に余裕が出来た父さんが母さんの負担を少しでも軽減出来る様にとご飯作りなんかもする様になってから2カ月、大分腕が上がって来ているのを感じる。

 今日のメニューは、豚肉の生姜焼きだった。キャベツの千切り付きで。

 生姜焼きは勿論、そのタレが絡んだキャベツもそれだけでご飯1杯余裕だった。

 うん、満足満足。……満足?

 しかし、満腹の筈の俺のお腹――脳?――が、何かが足りないと訴えている。

 その何かとは自明の理でアイス……それも、夏よりも寧ろ冬から春に向かっているこんな時期にどうしようも食べたくなる、『宇村屋のあずきボー』だ。

 あの、余計な物を付け加えずに固めた事に因る、文字通り歯が立たない程の硬度。

 それをねぶり、少しずつ溶かして行く快感は、身持ちの硬い女性の衣服を少しずつ剥がして行くそれに似ている。

 ……女性の服を脱がした事は無いから、知らないけど。でも何か多分、そんな感じ。

 只、ここで気を付けないといけないのは、冷凍庫から出したばかりのキンキンに冷えた状態のあずきボーには、不用意に唇を付けると、持って行かれてしまう事だ。

 ――ああ、想像していたら我慢が出来なくなって来た。

 居ても経っても居られなくなり、席を立ってダーンッと冷凍庫を開けて覗き込んだけど、食べ切ってしまっている様で、6本入りの箱ごと無かった。

 そう言えば、今日学校から帰って来るなり食べたのが、最後の1本だったな。

「父さん、アイス買って来るから、お金頂戴!」

 いつもの様に、アイス代を父さんに求める。

 うちでは、アイス代はお小遣いでは無く、親の財布から出しくれる事になっているからだ。

「ああ、もう無くなってるのか。お前、ちょっと食べ過ぎじゃないのか?」

 そうは言いながらも、父さんは洗い物の手を止め、エプロンで手を拭きながら自室に向かった。

「部活で陸上してると、身体が細胞レベルで求めるんだって!」

「まあ、分かるけどな。父さんも母さんも好きだし」

 俺も父さんも母さんも家族3人とも、あずきボーを愛して止まず、年がら年中あずきボーを食べている。

 その中でも、俺の消費量は断トツだ。これは生活習慣か、遺伝か。個人的には、遺伝だと思っている。

 尤もあずきボーだけが好きな訳では無く、夏の暑い日なんかは市内にある愛知牧場あいぼくのソフトクリームを食べたくなって、夏休みには家族でそれを食べに行ったりもするけど。

「じゃあ、これでいつも通り箱で買って来てくれるか」

「分かった。じゃあ、行って来ます!」

 受け取った千円札を財布に突っ込み、高校で使っているセカンドバッグの中身を出して空にした。

 うちにも御多分に漏れずエコバッグは有るけど、持ち歩くには、御多分に漏れずデザインがダサい。

「ああ、近所のコンビニで良いから、気を付けてな!」

「分かってるって!」

 父さんのその言葉を受けながら、家を出た。


   //////


「うー、寒っ」

 強く吹いた風が俺の身体を襲い、その寒さに思わず身を縮める。

 もう直ぐ3学期も終わるとは言え、今日は冷え込んだ一日だった。

 夕方の部活中も、純粋に速くなりたいとかよりも、凍えるのを紛らわす意味で走り込んでいた程だ。

 食後に走ると身体によく無いから、それは出来ない。でも、少しでも早くあずきボーを食べたい。

 この二律背反にはやる心を抑えながら、気持ち早足でコンビニへの道を進む。

「……と、アレは」

 交差点の一角にあるコンビニに着くと、中学の時から同じ学校で今も何故か高校で同じクラスになっている、高茶屋七妃たかぢゃやななひがアイスケースの前に居た。

 自転車は停まって無いから、歩きで来てるんだろうか。

 中学も高校も制服だから、高茶屋の私服を見るのはこれが初めてだけど、その容姿にしては大人し目の服を着ている。

 肩まで伸びた明るく染めた髪を、頭の後ろで一つ括っていて、今のクラスではいつも元気で楽し気なんだけど……。

 ……高校デビューなんだよな、こいつ。

 中学の時は大人し目な印象だったけど、1・2年生の時の事は正直よく覚えてはいない。そんな感じ。

「あれ? 善哉ぜんざい?!」

 店に入ると、こっちに気付いた高茶屋が徒名で呼んで来た。

 中学の時には朧気ながら普通に名字で呼ばれていた気がするけど、高校に上がってからこの1年間、何故かこいつは僕を『ぜんざい』と呼び始めた。

 これに関しては、僕の名前が音読みでそう読める問題が有るけど。

 それにしても中学の時とは比べ物にならない位ウザ絡みして来る様になったこいつに、イチイチ否定するのにも疲れて、今ではそう呼ばれるのが普通になっている。

「高茶屋って、家この辺だっけ? 何してんの、こんな時間に?」

「それは、お互い様だし」

 僕の質問に、すかさず嬉々としてツッコミを入れて来る高茶屋。

「でもそうか、直ぐそこが小学校区の境だからな」

「だねっ。こんなに近いなんて思わんかった。へへっ」

 今僕が渡って来た道路を境界として小学校が分かれ、その2つの小学校の児童が、1つの中学に集まった形だった。

 でも確かにこいつの言う通り、まさか、このコンビニがお互いに徒歩圏内だったとは。

 逆に言うと、今まで良く会わずに居られたな。まあ、意外とそんなものかも知れないけど。

 それにしてもこいつ、良い顔で笑う様になったな。

「で、善哉ぜんざいは何しに来たの?」

「それはさっきこっちがした質問だけど……」

「良いじゃん良いじゃん、人に聞く時は、自分が先に言うもんだよ!」

 それは名前を聞く時じゃ無かったかな。……まあ良いか、話が進まない。

 と言うか、少しでも早くあずきボーを買って帰って食べたい。

「家のあずきボーのストックが無くなったから、買いに来た」

「マッ?!」

 ……マッ?! ――って、何だ?

 ただ、身を乗り出して来て矢鱈と間近に見えるその瞳が輝いている事から、食い付いて来ている事は分かる。

 こんなに全力であずきボーに食い付くと、歯が折れるぞ。

「ど、どうしたの、高茶屋……」

善哉ぜんざいも、あずきボー好きなんっ?!」

「あ、う、うん。両親も。……俺って事は、高茶屋も?!」

「あ、ご両親もなんだ! うちもだよ!」

 店内に、BGMに負けずに高茶屋の声が響く。

 へえ、そうなんだ。

「ねね、知ってる? あーしの誕生日、7月1日なんだけどね――」

「ああ、今の前の6月終わりからギャルグループで教室で騒いでたろ。だから、憶えた」

 窓際に集まって同じくギャルの友人達とはしゃいでいた姿は、今でも鮮明に思い出される。

 ……この1年、それだけうるさかったし、良かったと思っていた。

「なっ、それ中学ん時は覚えて無かったんか……って、仕方無いか。って、言いたいのはそんな事じゃ無くって! うちの親は『これは運命だ!』っつって、『7月1日』から、あーしの名前を『七妃ななひ』にしたんだって」

「それ、何が運命……。あっ、あずきボーの!」

 訊こうとして、途中で気付いて思わず叫んでしまった。

 7月1日。それは……。

「そっ。7月1日はあずきボーの日です!」

 ニカッと歯を出して、僕に向かってピースサインをして来た高茶屋。

 自慢気に胸を張ったその勢いで、高茶屋の豊満な胸が揺れた。

 今までに、――今でも性的とかそんな目で見た事は無いけど、何カップ位あるんだろう。


 昔から毎月1日と15日にはあずきを食べる習慣が有ったらしくて、あずき商品を多く扱う宇村屋が毎月1日を【あずきの日】に制定、その中でも7月1日にはあずきボーを食べて暑い夏を乗り切って欲しいという思いであずきボーの日にしたらしい。


「でさでさっ、何と無く善哉ぜんざいんとこもそうじゃないかと思ってたけど、やっぱそうなんだね!」

「やっぱって、どう云う事だ?」

「だってさ、あずきボーって、溶かすと善哉になるじゃん!」

 そんな事がっ!

 今まで知らなかったけど、うちの親が時々食べていた善哉は若しかしたらそう云う事なのか。

「ああ、だから俺の名前、『ぜんざい』って呼ぶ様になったのか?」

「せーかーい! 後はまあ、キャラ作りかな。ほら、あーし、……私、知っての通り、高校デビューだからさ。村井くんなら、許してくれるかなって」

 急に中学の時の様に話し方を戻してしんみりと言った高茶屋に、幾許いくばくかの切なさを感じた。

 今迄は、怒らないまでも、何かと絡んで来る事に多少なりとも煩わしさを感じていたけど、俺を変な徒名で呼ぶ様になった裏に、そんな背景が有ったなんて思わなかった。

「それで力になれるのなら、幾らでもそう呼んでくれて良いから」

「……ありがとう、村井君。――っと、あんまり話してたら遅くなっちゃうね。はい、これっ!」

 ガッとアイスのショーケースを開けた高茶屋は、あずきボーの6個入りパックを2つ取り出してその1つを押し付けて来た。

「ああ、ありがと、高茶屋」

 お礼を言うと、高茶屋は少し照れた様な表情を浮かべた。

「もう、何か調子狂っちゃったし! 善哉ぜんざいなら、あーしの事、名前で呼んでも良いからね!」

「分かった、考えておくよ、高茶屋」

「んもーっ!」


 2人で声を上げて笑い合った後に、順番に会計を済ませてお店を出た。

 心なしか、来た時よりも暖かくなっている気がする。

「じゃ、また学校でね、善哉ぜんざい!」

 丁度渡る歩行者用信号が青だったからか、僕に手を振りながら小走りで道路に向かった、高茶屋。


 ――とそこに、トラックが凄い勢いで、速度を落とす様子も無く向かっているのが見えた。


「危ないっ、七妃っ!」


 俺は考えるよりも早く、地面を蹴って走り出していた――。

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