第28話:ウィンスマリア教会の訪問者

 ルーヴィックがアントニー司教に事情を話した後、案の定、彼からは指輪を奪われたことを非難された。言い返したい気持ちもあったが、事実その通りの上、今は言い争っている場合でもない。そのため、軽く返すだけに留める。年長者の言葉だ。甘んじて受け入れようではないか。

 彼だって相手に合わせて言葉を選ぶことぐらいできる。


「お前ら修道会のカビの生えたしきたりや考え方と、ヘンリーのクソッタレなプライドの軋轢のせいで生まれたお宅ら問題を、尻拭いさせられる身になってもらえるとありがたいね!」


 一撃で、黙らせてやったぜ。

 片眉を引き上げるアントニーと、顔を青くするユリアを余所に、ルーヴィックは話を本題に戻す。

「奪われちまったことを言っても仕方がない。問題は鍵と指輪が相手側にあるってことだ。そうなれば、次に恐れるのは……」

「ここでしょうね」

 ルーヴィックの言葉を引き継いでアントニーが重々しく口を開く。

 教会は聖なる場所だ。そんな所を襲いに来るなど普通ならありえない。他の場所と違い、まやかしなどが使えない。正面から攻めるしかないからだ。しかし、今回は何から何まで普通ではない。相手は本気なのだ。いかに不利な場所での戦いだろうが、襲ってくるだろう。封印を施したアントニーを殺さなければ、地獄の門の場所には行けないのだから。

「では、準備をする必要がありそうですね」

 そう言うと、ユリアに指示を出し、1本のストラ(礼拝に際に首からかける帯)を持って来させる。鮮やかな紫色の生地に、金字の刺繍が施された見事な物だ。見るからに神聖な物だと理解できる。

「聖なる遺物(レリック)か?」

 ルーヴィックの問いかけにアントニーは不敵な笑みを浮かべて頷く。

「聖デイヴィットのストラです」

 レリックとは聖人やキリストなどの遺物で、籠められた聖なる力が強い。ルーヴィックの使うアイテムとは効果が段違いだ。数は極めて少ないが、悪魔との戦いには強力な武器になる 

 ストラを首からかけたアントニーからは、強い力が伝わってくる。ストラの力もさることながら、それを扱う彼の熟練度も高いことがうかがえる。その姿に見れば、アントニーの自信も納得できる。

「では、悪魔どもの計画を、ここで打ち砕いてやりましょう」

 アントニーの表情が、悪魔を追い詰め退治するエクソシストの顔になった。


 事態が動いたのは、明け方に差し掛かった頃。

 聖堂の正面で跪き、祈りの言葉を捧げているアントニーとユリア(ルーヴィックは長椅子に腰を掛けている)は、同時に違和感に気付いた。神聖なる場所では似つかわしくない感覚だ。

 聖堂を灯したロウソクの火が弱くなったり、強くなったりを繰り返し、影が不気味に動く。そして室温が一気に下がった。


 悪魔が来た。


 直感的にそう思った。人間の潜在意識にある悪魔への嫌悪がそう叫んでいる。

 3人は同時に立ち上がり振り返ると、入り口は知らぬ間に開いており、暗闇がぽっかりと口を開いている。そこから闇が侵入してくる。否、そう感じただけで、目にはただ3人の男女が教会に入ってきただけ。聖堂内はさらに寒くなり、壁や天井、燭台などがガタガタと何かを拒絶するように震える。


「ここはお前達のような存在が気安く来ていい場所ではない!」


 アントニーの一括で、周囲の震えはピタリと止まる。

 しかし、入ってきた男女はその言葉に意を介さない様に変わらぬ歩調で進む。

 3人のうち2人は、ユリアは見覚えがある。大学に現れた女悪魔と髭面の悪魔だ。そして残る1人はルーヴィックなら分かる。スキンヘッドにクモのタトゥ。メーメンだ。

「魂の回収に来た。用が済んだら、すぐにでもこんな所は出ていく」

 3人を代表してメーメンが口を開いた。

「これは、運がいい~。メインの他にデザートと別のご馳走もある~」

 クフフと卑しく笑みを浮かべる女悪魔が、デザート(ユリア)と別のご馳走(ルーヴィック)を指さして呟いた。

「それはいいが、こんな所にいつまでもいたくねぇ。さっさとやっちまおう」

 髭面の悪魔が言い終わらぬうちに、3人の体が膨らみ、焼け爛れ、人間の状態を捨てていく。一気に強まる硫黄の臭い。

 頭部には山羊の角が生え、漆黒の体に翼。焼けた炭のように肌の所々から真っ赤な炎が見えているが、その表面は艶っぽく光沢を持っていた。醜悪な顔には憎悪に満ちた瞳に鋭い牙が生えそろう大きな口。その吐息からは、灼熱を感じさせる。その外見は生きる者全てに嫌悪を与え、体の底から震えを引き起こさせるものだ。本能的に拒絶している。

 体の大小はあるが、どれも人間よりデカい。

「始めようか」

 真っ赤に燃えるクモが体中を這いずる悪魔・メーメンの耳障りな声を合図に、他の2体も踏み出そうと前傾体勢になった時。

 アントニーは静かにかかとを鳴らす。

 たったそれだけの行動、小さく響く音のはずなのに、その一瞬で場を支配した。

「ここは神の家。聖なる場。お前達のような穢れし存在が闊歩するなど……不快だ」

 最後の言葉には力があった。前に出ようとする悪魔達を見えない力で圧し戻す。

 その隙をルーヴィックは見逃さない。

 ホルスターから銃を引き抜くと、3体に向かって発砲。炎の銃を持つ女悪魔と燃え盛る鎖を持つ髭の悪魔は弾丸をその身に受けて、悲鳴を上げた。体から火の粉を巻き上げ、白い煙とタールが噴き出す。

 しかし、メーメンのみは何とか回避する(やはり3体の中では最も力があるようだ)と、力強く床を踏み込み振り上げた手には業火の鞭が握られている。振り上げた時にはさほどの長さはないように見えたが、それを振り抜いた時には離れたルーヴィックらにも届くほど伸びていた。

 ルーヴィックは身を捻って避けると、その後から熱風が吹き荒れる。吸い込んだだけでも肺が焼けてしまいそうだ。

 メーメンが鞭を振るうたびに、教会の椅子は吹き飛び、壁は傷つき、至る所に炎を撒き散らす。

 まるで熱風の竜巻のような鞭だったが、アントニーは前に立つと片手を上げて鞭を絡め、力任せに引っ張った。体格では劣る司教のどこにそんな力があるかは分からないが、メーメンは引っ張り負けて前によろけた所で、アントニーがメーメンの角を掴んで地面に叩きつける。

「いい加減にしなさい」

 何が起きたか分からないメーメンに、アントニーは静かに怒気を込める。そして口の中で祈りの言葉を転がすと、メーメンの全身から白煙が噴きあがり、絶叫が上がる。

「アントニー。そいつの名はメーメンだ!」

 他の悪魔の動きを封じながらルーヴィックは叫ぶ。

 悪魔祓いにおいて、悪魔の名前は大事な要素だ。特に聖職者の退魔は、悪魔の名前に命じることで成り立たせられることが多い。

 ルーヴィックの言葉に、アントニーは頷くと十字架をメーメンに向ける。

「主の名において、汝、メーメンに命ずる。あるべき場所へ今すぐ戻れ!」

 司教が命じ、力を入れると悲鳴が一層大きくなるが、それ以外何も起こらない。訝しげな顔をする司教に、メーメンは苦しみながらも笑う。

「俺の名前を知ったつもりでいたな?」

 全身から細かな燃えた蜘蛛が湧き上がると、司教の体を這い上がる。払おうと司教が身を引いた瞬間に、メーメンが身を起こして体当たりをしたため、アントニーは後方へと吹き飛ぶ。

 ルーヴィックは確かに悪魔2体の名前を聞いた。しかし、彼らは互いにそう呼んでいただけだ。効果がないところを見ると、それが彼らの真名ではないのだろう。悪魔は偽名を名乗ることはできない。だから、他の者に呼ばせることで偽装したのだ。

 祭壇にぶつかるアントニーに追い打ちをかけようとしたが、目前を流れる白煙に足が止まる。ルーヴィックが燻した煙幕だ。

「シスター。 鐘を鳴らせ!」

 未だ煙で鬱陶しそうに噎せている悪魔に、ルーヴィックは発砲しながら距離を詰める。まずは女悪魔からだ。

 即座に背後に回り込みながら道具箱からアンプルを投げつけた。割れて溢れ出た液体が悪魔の体に触れた途端、勢いよく燃え上がる。それは聖油だ。聖なる炎に焼かれて、女悪魔は絶叫を上げながら火だるまになっていく。

 止めを刺そうと銃を構えたが、衝撃で標的がずれる。

 髭の悪魔の鎖が、ルーヴィックに絡みつき彼の体が宙で振り回される。上下左右が分からなくなる中でも、冷静に銃で鎖を破壊すると、彼の体は勢いよく並べられた長椅子に突っ込んだ。

 衝撃と痛みで気が遠くなる。頭が焼けるように熱いのでおそらく血が出ている。が、そんなことを気にしているヒマなどない。

 ルーヴィックは体に燃えた鎖を巻きつけたまま即座に立ち上がって身を翻す。そのすぐ後ろを、鞭が通過していく。転がりざまにメーメンの胴体に鉛玉を撃ち込み、弾切れになった弾倉を素早く再装填。女悪魔を焼いていた炎はすでに治まっており、止めを刺すには遅すぎる。標的を髭の悪魔に変えて撃ち込む。

 背後でメーメンが動いたのを感じ取り、振り向いた時に教会の鐘が鳴り響いた。

 もちろんそんな時刻ではない。ユリアが鳴らしたのだ。

 鐘の音に悪魔らは動きを止めて、耳を塞ぎ苦しみ始めた。


「主の前に跪きなさい!」

 

 起き上がっていたアントニーが、鐘の音で怯んだ隙をつき3体同時に自分の見えない力を繋いだ。その言葉に抗うことができず、上から圧し付けられるように3体は白い煙を上げながら膝を付いた。

 くぐもった悲鳴を上げながらも悪魔らは抵抗して這いずる様に動いている。女悪魔の銃が火を噴き、アントニーを掠める。そのおかげで自由になったメーメンと髭の悪魔が動くが、ルーヴィックがメーメンに聖水のアンプルを投げつけた。

 横から不意に飛んでくる瓶を避けられず、まともに顔に受けたメーメンは大量の煙りと硫黄の臭気を放ち、苦しみ悶える。聖水で、身を焼かれている。

 司教の標的になったのは、髭の悪魔。

「名前が分からないなら、聞き出すまでだ」

 アントニーは流れるような動作で迫る鎖をいなすと、距離を詰める。そして、首に掛けていたレリック(ストラ)を、髭の悪魔の首に巻き付けて地面に押し付けた。

 ステラは微かに輝き、悪魔の締め上げる。

 髭の悪魔は動かない。いや、動けない。痛みに耐えるような苦悶のうめき声を上げている。

「さぁ、答えよ。名を名乗れ!」

 祈りの言葉の切れ間に、司教はに何度も言い放つ。言われるごとに、悪魔の顔は苦悶の表情を浮かべて何かに耐えた。

「さぁ、名を名乗れ、お前は誰だ!」

 一層、厳しい口調になった時、ついに悲鳴と狂ったような笑いと共に髭の悪魔は自らの名前を吐き捨てる。

「父と子と聖霊の御名において、お前を追い払う。あるべき場所へ戻れ」

 最後に、司教が「アーメン」と呟くと同時に、髭の悪魔は絶叫と共に体が砕け、消滅した。

 地獄に送り返したのだ。

「あと2体、ですか」

 ストラを首に掛けなおして、不敵に笑うアントニー。

 圧倒な力量だ。

 悪魔が追い詰められている。

 悪魔の動きは止まっていた。

 メーメンも女悪魔も、すでに傷からは回復して動ける。しかし、黙したまま動かない。だが、相手の強さに恐れをなしたからではない。その証拠に、憎しみの炎が勢いを増したことは、ヒシヒシと感じられたから。しかし、悪魔は動かない。まるで、もう終わったとでも言うように。


「こんばんは、さすが神父様だ。私にもどうか祈りの言葉を」


 それはアントニーのすぐ背後から聞こえた。美しく、心安まる声が耳元で聞こえる。

 驚き振り返ろうとしたアントニーの胴体から、柱のような物が生えた。否、柱ではない。教会に飾られた巨大な十字架がアントニーを背後から貫いていた。

 貫かれた場所からは血が大量に噴きあがり、地面を赤く染める。

 信じられない物を見るように見開かれた目は、胴に突き刺さる十字架を見た後で、背後の相手へと向く、そこにはフードを被り、手には小さな銀の燭台を持った美しい女性が薄っすら笑みを浮かべている。

「なんという……」

 目前の相手は純白の翼を広げる。

「加護も祝福も効かない相手ですか……」

 司教は無意識に十字を切り、そのまま崩れ落ちた。

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