第3章:接触と衝撃
第14話:別行動開始
ヘンリーの部屋は古いが頑丈そうな石造りの建物の2階にある。
1階はテーラーの老舗らしくロンドンの金持ちが訪れる場所だとヘンリーが説明していた。ルーヴィックには全く関係のない話だ。
2階の部屋は下宿で、品の良さそうな老婆が管理している。
ヘンリーに続いて部屋に上がった時は、疑わしそうに見られたが、一応上品に挨拶をされた。彼も会釈程度の挨拶だが返した。
彼の部屋は、男が一人住むには少しばかり広く感じるほどの空間。と言うのも、あまり物が無い、というよりも何もない。おまけに整理整頓がしっかりとされているから余計に何もなく見えた。
「必要な物以外は必要ないですからね」
とヘンリーは、自分の部屋を紹介しながら言った。
棚には多くの魔導書や歴史書、文学などの本がキッチリと高さを揃えられて並んでおり、テーブルの上の紙やペンなどが貼り付けられているかのように、定位置に並べられる。作業台と思しき場所も、工具や薬品が綺麗にしまわれており、ベッドのシーツやソファにはシワ一つない。
自分の部屋とは大違いだ、とルーヴィックは内心思ったのは内緒の話だ。
翌朝。
ヘンリーは部屋を管理してくれる老婆のノックの音で目を覚ます。
シルクの寝巻の身を包んだ彼は、小さく伸びをしながらベッドから起き上がる。そしてドアの外に向かって「おはようございます」と返事をすると、老婆は朝食のサンドイッチと紅茶をテーブルの上に置き、軽く会釈をして出ていく。
ヘンリーはあくびをしながら部屋を見渡すと、ルーヴィックは彼の作業台の前に座って何やら作業をしていた。
昨晩も彼は眠っていないのだろう。
「何をされているのですか?」
ベッドのシーツを整えながら、ルーヴィックの背中に声を投げかける。が、返答はない。
小さなため息を吐くと、テーブルの上のサンドイッチの皿と、ティーセットを持って作業台に近づいた。すると、彼はモノクル(単眼鏡)に複数の色のレンズを組み合わせられるような仕組みを付けていた。
「また眠ってらっしゃらないんですか?」
紅茶を入れながら尋ねると、ひと段落着いたようでルーヴィックは大きく息を吐いて目を向ける。
「いや、夜に少し落ちてた。15分ぐらい」
「あなた、病気ですね」
呆れながらヘンリーは首を振る。
「それで何ですか? それは」
再度、同じ質問をした。
「モルエルが殺された晩のことは話したよな」
隣の置かれたサンドイッチを無造作に掴むと、そのまま齧る。
「んだこれ! 具がねぇじゃねぇか?」
話の途中だったが、思っていたサンドイッチと違ったため、ルーヴィックの意識は一気に違うものへと向いた。
「入っているでしょ。トーストが」
ヘンリーは作業台に腰を掛けながら、サンドイッチを手に取って小さく頬張る。
サンドイッチを見るとパンに挟まれているのは具ではなく、トーストだった。
「パンをパンで挟むんじゃねぇよ。なんだ、このイカれたパンは」
「そうですかね? 結構、イケるんですけど」
「味よりも驚きが勝るんだよ」
そう言いながらも、ルーヴィックはトーストを挟んだサンドイッチを再び齧る。
まずくはない。まずくはないのだ……
「それで、先ほどの話の続きですけど」
と、ヘンリーが話を戻した。
「モルエルを殺した奴は、初め姿が見えなかった」
サンドイッチからようやく意識を戻したルーヴィックは説明を続ける。
「聖句の効果も薄かったが、俺の持っていた鏡には映った」
「聖句が効かないのは気になりますが……鏡(もっともルーヴィックが細工した物なので普通の鏡ではないだろうが)に映るとなれば、視認する手段がある、と?」
「肉眼で見えないってことは、目に入ってくる光がおかしいってことだ」
「ああ、なるほど。アルハゼンの光学宝典でも『光が対象に反射して、それが目に入ることで見ることができる』とあります。つまり、相手はその反射する光が他とは違うと考えたわけですか。それで、この複数の色レンズを組み合わせて、屈折率を変化させる」
「まぁ、うまくいけばな」
ルーヴィックは眠そうにあくびをする。
ヘンリーはそのモルクルを手に取ると、感心しながらしげしげと眺め、あることに気付いた。
「あなたは器用ですね……ただ、これ(モノクル)って……ん? 見たことが」
「あぁ、そこに置いてあった」
ルーヴィックは作業台脇の棚を指さした。いつもヘンリーが細かい作業をする時に使用するモルクルがない。
「ちょ、ちょっと! 私のモルクルに何てことしてくれるんですか!」
「ちょうど都合よくあったんだから仕方ないだろ」
「仕方なくないですよ。そういう所ですよ! まったく」
憤慨するヘンリーに、ルーヴィックは全く悪びれていない。
「とにかく、このモルクルの所有権は半分私にありますからね」
「あるわけねぇだろ! 俺が作ったんだぞ」
「私のモルクル、使ったでしょ!」
ルーヴィックはヘンリーからモルクルを取り上げると自分の道具箱に放り込んでしまった。
その様子に、ヘンリーは少し膨れながら紅茶を啜る。
何を言っても無駄だと、短い付き合いではあるが分かってきたからだ。
「じゃぁ、俺はもう出るからな」
壁に掛けてあるコートを羽織るルーヴィック。
昨晩話し合った通り、ルーヴィックはウィンスマリア教会へ行く予定だった。場所はヘンリーから手書きの地図を受け取っている。
「その前時代的なハットを被っていくのですか?」
いつも被っているフェルトのハットを手に取るルーヴィックにヘンリーが訊ねる。
「カウボーイって感じですよね。一気に異邦人なことが分かります」
「ホントに俺は異邦人だからな」
「郷に入れば郷に従え、ですよ」
「俺は自分が被りたいもんを被る」
聞く耳を持たずに出て行こうとするルーヴィックの背中に、ヘンリーが呼びかける。
「あぁ、傘を持ってお行きなさい。今日は降りそうですからね。それに傘は紳士の嗜みです。傘として使って良し、杖としても良し、もしもの時は武器にもなる」
「お前は俺のおふくろか? 傘なんざ持って歩けるか。手が塞がるだろ。それに、濡れた方がこの眠気も多少は吹っ飛ぶだろうよ」
そのまま部屋を出て行くルーヴィック。
残されたヘンリーはやれやれと首を振りながら、紅茶の香りを楽しんだ。
「本当にせっかちな人だ」
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