第13話:地獄の門

 マザー・グースからの帰り道。

 馬車の中で互いに口を開くことなく揺れを体に感じていた。

 重たい沈黙がながれるなか、珍しく話し始めたのはルーヴィックだった。

「明日は別行動を取る」

「と言うと?」

「俺はウィンスマリア教会へ行く。お前は教授の息子を探せ。大学の部屋に教授の私物があったから、もしかしたら取りに来るかもな。来なくてもあの助手に聞けば何か分かるだろう」

 特に反論もないようで、ヘンリーも大人しく「了解」と答える。

「教会の後、俺は教授の家を調べてみようと思う」

「分かりました。では、カーター教授のご子息に会って事情を聞いたら、私もそちらに向かいます」

「もし何か起きても深追いせずに合流しろ。情報の共有を常に心がけろ。片方のピースだけではパズルは完成しない」

 ルーヴィックはぶっきら棒に話すが、その裏にはヘンリーを気遣う優しさもある。ヘンリーはそれを、微かに笑みを浮かべて見ていた。

「あなたの、こんな噂を聞いたことがあります。ルーヴィック・ブルーという男は、あらゆる可能性を考える。あらゆる事柄を、あらゆる攻撃を、罠を、展開を、全てを考える男だと。そしてその全てにおいて、対処の仕方を知っている。だからこそ、ルーヴィックという男は死なない。不死身のエクソシストなのだと。あらゆることを知っているから。予想し、予期し、予定している」

 ヘンリーに賛辞をもらい、妙に背中がむずかゆい。

「もう酔っ払ったのか? 誰が言ってるかは知らないが、買い被るな。俺は自分が考えうることを考えるが、それは全てではない。俺はそこまで自惚れてない。人間に完全なんて言葉は無い。人間は不完全な生き物だ。俺がその噂通りに優秀だったら、モルエルは死んでない」

 ルーヴィックは複雑な表情を見せた。

「かもしれません。でも、あなたは今も生きている。それはすごいことです……そして、優しい」

「からかうんじゃねぇよ」

 鼻を鳴らすルーヴィックに、ヘンリーはニコやかに笑う。マザー・グースではかなり飲んでいた。本当に少し酔っぱらっているのかもしれない。

 ルーヴィックはそんなヘンリーのように呆れながら、流れゆくロンドンの夜の景色を見る。


 考えなかったことはない。


 ルーヴィックは常に考えている。自分の敵のこと。味方のこと。自分に迫る危機を、罠を、攻撃を、目的を、武器を、道具を、言葉を、場所を、痛みを、窮地を、戦いを、そして結果を。

 彼は眠る以外の間、常に頭の中で考える。グルグルと。渦を巻くように。その度に、その死線を脱する方法を考えるのだ。今まではそうやって生き残ってきた。

 今までは偶然、自分が考えてきたこと以上の事が起きなかった。偶然、緊急な事態にはならなかった。偶然、自分の範疇で事件が起こってくれた。そして何よりも運が良かった。だから生きている。


 だが、もし……

 だがもし、自分の考える以上の事態が起きたら?


 そんなことを、ルーヴィックは考えずにはいられなかった。


 もし、自分の想定以上の事が起きたら?


 予想をはるかに凌ぐ敵が来たら? 想定外の力を持ち、想定外の罠を仕掛け、想定外の攻撃をしてきたら。自分はどう対処するのだろう。無事に生き残ることができるのだろうか。そう考えてしまう。

 特に、今回はそう思わずにはいられない。

 彼の想定をすでに超えているのだ。モルエルの死から始まった今回の事件。未だに敵が見えていない気がして仕方がなかった。カーター教授の持つ護符が仮に機能していたとしたら、護符すらも無効にするほどの敵は、一体どれほどのものなのか。正直、ルーヴィックはそれを考えると背筋が凍る思いだ。

 自分は勝つことができるのか?


「地獄の門……か」


 気なしにルーヴィックの口から漏れる。

 そして思い出されるのは、やはり神曲の一説。

「我を過ぐれば、憂ひの都あり、

 我を過ぐれば、永遠の苦患あり、

 我を過ぐれば、滅亡の民あり」


 その後を同じく窓の外を見ていたヘンリーが続ける。

「義は尊きわが造り主を動かし、

 聖なる威力、比類なき智慧、

 第一の愛、我を造れり」


 2人は視線を合わせて同時に言った。

「「永遠の物のほか、物として我よりさきに造られしはなし、

  しかしてわれ永遠に立つ、

  汝らここに入るもの、一切の望みを棄てよ」」


 自分たちが踏む込もうとしている事件の先に、望みはあるのだろうか……。

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