第22話:悪霊の坩堝

 署内のあちこちで悲鳴が上がり始めた。

「あら、本当にこの中で騒動が起きましたか……」

 ヘンリーは少し驚いたような声を上げる

「こ、これは……ど、どうなっているんですか?」

 動揺するダニエルに、人の形をした霞が近づき入り込もうとしたが、見えない力に弾かれたように吹き飛ばされた。

「ダニエル君。あなた、聖歌を歌えますか?」

「え、えぇ。まぁ、毎週欠かさずに礼拝はしていますから」

 その答えに満足そうに頷くと、ヘンリーは懐からポケットサイズの聖書を取り出し、1ページを綺麗に切り取って手渡す。

「いいですか。まずは塩を探しなさい。そして何でもいいので水を汲み、その中に塩とこの紙を燃やしてできた灰を混ぜる」

 何を言い始めたのか分からなかったが、取りあえずダニエルは頷く。

「まだまともな職員と手分けして、その水を暴れている者にかけなさい。恐らくそれで大人しくなるはずです。できることなら昏倒させれば、なおのこといいでしょう」

「……それだけですか?」

「それだけです」

「聖歌は?」

「ただ聞いただけです」

 そう言いながら片手を上げて『行け』と指示を出す。

 弾かれた様に走り去っていくダニエルを見送ると、ヘンリーは踵を返して1つの部屋を開けた。

「プリーストさん。何の騒ぎですか?」

 そこには腕に包帯を巻いて不安そうなステファニーと、落ち着かないユリアがいる。

「少々、緊急事態です。しかし、この部屋は安全ですので、もうしばらくお待ちを」

 出て行こうとするヘンリーにユリアは近づいてくる。

「穢れた存在を感じます。私もお手伝いします」

 ヘンリーは少し考えるが「ではお願いします」と頷いた。ユリアの力は大学で見ている。エクソシストとしては、まだ未熟ではあるが、戦力にはなると判断した。

「ステファニーさんはこちらで」

 そう言って扉を閉めると扉にチョークで退魔の印を描く。これで霞も、憑りつかれた者も入れない。

「何が起きたんですか?」

 廊下に出て一層大きくなる悲鳴に身を強張らせながらユリアは聞いた。

「はっきりとはしませんが、悪霊がばら撒かれたようです」

「悪霊ですか……? 悪魔ではなく?」

「悪霊ですよ。彼らは形を持たぬ悪意の塊です。下級悪魔のように人に憑りつきますが、自我を持ちません。自身を形成する負の感情に忠実で、非常に狂暴です。しかし、悪魔ほど厄介な相手ではありませんよ。人や物に憑りつく以外に取柄はありませんし、憑りついても目の前の者に襲うぐらいで……」

 ヘンリーが説明をしていると制服警官が飛んできた。

 咄嗟に避けると、警官は2人の間をすり抜けて廊下を滑る。

 倒れて動かない警官から、飛ばされた方へ視線を向けると、明らかに正気ではない目をした警官が立っていた。憑りつかれている。

「まぁ、人を投げ飛ばすぐらいの力はありますけどね」

「全然、厄介ですよ!」

 ペロッと舌を出して見せるヘンリーにユリアは涙目になる。

 警官はまるで獣のように四足歩行で襲い掛かってきたが、ヘンリーは落ち着いた様子で持っている傘を操り、掴みかかろうとする手を払いのけると、くるりと回転させて柄の部分で足元をすくう。引っ繰り返った警官の頭部を突き、昏倒させた。

 意識の失った警官の体から白い煙いが吐き出される。

「祈りで浄化できますよ」

 その言葉にユリアが手を合わせて祈ると、靄は嗚咽のような声を上げて消え去る。

「悪霊には聖職者の祈りが一番有効的なのですよ」

 ヘンリーはウィンクして見せる。

「なるほど……しかし、どうしてこんなことに?」

「さぁ」

 ユリアの問いにヘンリーも首を傾げる。むしろ彼が聞きたいぐらいだ。ホワイトホール・プレイスにあった古い建物ならともかく、新しくなってからは至る所に魔除けの仕掛けを施してある。そんな簡単に悪魔や悪霊の襲撃などあるはずがないのだ。

 今回の襲撃もカーター教授の死を思い出させる。

 つまりは、関係している。

 敵の狙いは……ルーヴィックか?

「ユリアさん。急ぎましょう」

「はい! ……急ぐって、何をですか?」

 


☆   ★   ☆



 留置所の中も、署内と変わらない状況だった。

 靄が流れ込んでくると、捕らわれている者たちの幾人からいきなり発狂して、手当たり次第に襲い掛かる。それに応戦しようして、檻の中は大混乱だ。

 そんな中、1カ所だけ空間が開けていた。

 ルーヴィックが座っているベンチだ。

 背を預ける壁には先ほど泥で書いた魔除けの模様があり、そこを中心に半円の空間ができている。悪霊の靄も人間も近づけずにいた。と言うよりも、見えていないようだ。

「さて、こっからどうするか、だな」

 手を頭の後ろで組みながら、ルーヴィックはぼやいていると、彼の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。

 思わず顔を顰めてしまう。それは知ってる声ではないから、人の声のはずだが、どこかザラついており、耳の奥を引っ掻かれるような不快感のある声。

「ルーヴィック・ブルー……」

 檻の外を制服警官が歩いてくる。その周りにはより濃い靄を従えていた。

 声の持ち主だろうが、動きはぎこちなく、目が異様にぎらついている。

「見つけた……。手間が省ける」

 卑下た笑みを浮かべながら檻に顔を近づける警官は呟く。

 明らかに他の者と違う。しっかりとした意思がある。つまり悪魔だ。今回の悪霊騒ぎの首謀者だろうか。昼間に会った悪魔のように攻撃を得意とするのではなく、大量の悪霊を付き従えられる特徴をもっているようだ。とは言え……。

「どちらにしても、ここには近づけんだろうがな。どうする?」

 魔除けがある以上、悪霊も悪魔も同じことだ。鼻を鳴らして挑発するように言うと、警官は腰からリボルバーを取り出す。

「それは、ちょいとヤバいな」

 ベンチから滑り落ちるように身をかわすと、そのすぐそばを凶弾がかすめ、壁を抉る。

 再度狙いを定めて引き金を引こうとした警官の体が、別の銃声と同時に、衝撃に震えて吹き飛んだ。

 そこにはジョーンズ警部がリボルバーを構えて立っている。

「だから、プリースト警部に関わるのは嫌なんだ」

 愚痴りながらも檻へと近づき、警官を警戒しながら見下ろす。弾丸は腕に当たったようで、死んではいないが衝撃で気を失っているようだった。世にも恐ろしいものを見たことに冷汗をかくと同時に、同僚を殺していないことに安堵しながら、鍵を開ける。

「ルーヴィック・ブルー。出ろ!」

 ジョーンズ警部は叫ぶように呼ぶと手招きしてみせる。ルーヴィックは素早く立ち上がり、人をかき分けながら扉をくぐった。

「どういうことか、お前は分かっているんだろ! 後で説明してもらうからな」

 檻の扉の鍵を閉めながら怒鳴る。

「そんなに大声出すな。聞こえてる」

「そんな冷静にしている場合か!」

「俺の道具は?」

「保管庫だ」

「なんで持って来ねぇんだよ!」

「助けてやっただけでもありがたいと思え」

「保管庫に行かなきゃ、2人とも死ぬぞ!」

「あぁー、クソッ。こっちだ」

「待て、親指を隠しとけ」

 そう言って、ルーヴィックは握りこぶしの中に親指を隠して見せる。

「奴らに入られにくくなる」

「ホントか? そんなまじないみたいな事が効くのか?」

「案外、こういった言い伝えみたいなことが役立つこともあるのさ。まぁ、気休め程度だがな」

 ジョーンズ警部は不思議そうな顔をしながらも、実際に目の前で繰り広げられる不可解な事象への対応ということで素直に従う。

 そして「行くぞ」とルーヴィックに言うと、廊下を進んだ。

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