第23話:指輪を狙う者
保管庫は重い扉で閉じられており、中は署内の喧噪などウソのように静まり返っていた。それに暗い。ジョーンズ警部が電気のスイッチを入れるが付かない。先ほどはちゃんと付いたそうだ。
ルーヴィックは舌打ちする。
暗闇は魔が潜みやすい、そして力も増す。
ジョーンズがそばに置いてあるランタンに火をつけるのを見ながら、ルーヴィックは自分のブーツの紐を取る。
「何してる?」
「俺のブーツの紐には麻が織り込まれてる。多少だが、魔除けの効果があるはずだ」
そう言って、ランタンの火の中に放り込む。ゆっくりと燃え、明かりが増していくと、不思議なことに少し安心できるような気がいた。
さまざまな押収品を管理する保管庫には多くの棚が並んでおり、そこそこの広さがある。中を歩いていると闇がランタンの炎を嫌って逃げていくかのように、行く手を明るく照らしてくれた。
「これだ」
一つの棚の前に足を止め、ジョーンズが指をさす。ルーヴィックがその箱を手に取り、中身を確認すると確かに自分の物だ。
コートにジャケット、銃、道具箱、そして十字架のネックレス。そこには翡翠色の指輪もある。
「ようやく見つけた」
それはルーヴィックの頭上から聞こえた。
振り返るとジョーンズの顔が2つあった。苦悶に満ちた顔と喜悦に満ちた顔。
いや、悪魔が彼の頭から侵入しているのだ。
その瞬間、周囲の闇から一斉にざわめき声が起こり、無数の視線がルーヴィックに突き刺さる。全身に鳥肌が立ち、毛が逆立った。
先ほどジョーンズが撃った制服警官に憑りついていた悪魔がこっそりと付いてきていた。
ジョーンズはランタンを落とすと、ルーヴィックに掴みかかる。
咄嗟に私物を取ろうとしたルーヴィックだったが、それよりも先に掴まれて引っ張り上げられ、そのまま後ろの棚に叩きつけられる。大きな棚だが、凄い音を立てて揺れた。
受け身も取れずに背中への衝撃で、ルーヴィックは悶えながら落ちた。肺から抜けた空気を補充するために思いっきり吸い込む。
ランタンの炎はまだ消えてなくぼんやりと周囲を照らす。
だが、次第に闇が近づいてきている。ルーヴィックに襲い掛かろうとしている。
再度、襲い掛かろうと踏み込んだジョーンズの足をブーツの底で蹴りつける。そして、つんのめり前かがみになった顔面を蹴り上げた。
固いブーツの底で蹴られ、大量の鼻血を噴き上げながら後ろへと倒れるジョーンズ。その隙にルーヴィックは起き上がると、倒れるジョーンズ警部を何度も蹴りつけた。ブーツには守護の印を刻んでいるので、悪魔には効果があるからだ(あと殴るよりも蹴る方が、威力がある)。肉が潰れ、骨が折れる音も聞こえるが、まだ悪魔は出て行かない。
それどころか、立ち上がり反撃してきた。重たい拳がルーヴィックの脇に入る。後ずさりながら、次の拳は身を屈めて避けた。標的を失った拳は背後の押収品を詰めた箱に当たり砕く。同時に拳からも嫌な音が聞こえてきたが、気にする様子もない。
ルーヴィックは素早く背後に回り込むとジョーンズの膝を蹴り、後ろに倒しながら襟をつかんで首を絞めた。殺すつもりはないが絞め落とす。
ジョーンズは懐から銃を取りだし背後にいるルーヴィックへと発砲。しかし、ルーヴィックの足が腕に絡みついて狙いが定まらず、数発がかすめる結果になる。
意識が朦朧としかけた時、最後の力とばかりにジョーンズはルーヴィックを背負ったまま立ち上がり、勢いよく棚に体当たりを食らわせた。棚と警部に挟まれ意識が一瞬遠のくルーヴィックだったが、それでも腕を離さず、彼を絞め落とした。
倒れるジョーンズの様子を確認して一歩踏み出した時、先ほどの衝撃で背後の棚が崩れ、ルーヴィックを圧し潰した。
「クソ」と悪態をつく間もなく、下敷きになってしまい身動きが取れない。
重たい棚を体に受けて激痛が走るも、ルーヴィックは下敷きから逃れようともがく。そして、私物の入った箱に何とか手を伸ばすが届かない。
ランタンの炎は弱まっている。
周りの闇は相変わらずルーヴィックを見つめ、迫まってきている。炎が消える前に、魔除けや守護が無ければやられる。
必死で手を伸ばし、届きかけた時だった。
箱がひとりでに遠ざかる。
何が起きたのか分からなかったが、次に起きたことを見て理解した。
箱から十字架のネックレスが浮かびあがり、紐に通された指輪が外れされ十字架が床に落ちた。
誰かがそこに立っている。
目には見えないが、そこに立ってネックレスの紐から指輪を抜き取った。そんなことができる存在をアメリカで見た。モルエルを殺した犯人だ。
「このクソがっ!」
頭に血が上ったルーヴィックは、がむしゃらに棚をどかそうともがき、手の届く物を投げつけるがもちろん効果はない。ただ微かに笑ったような気配がすると、宙に浮いた指輪は消える。
ルーヴィックを殺そうとはしていないのか……。いや、見ているのだ、闇に押し潰される様を。
何とか抜け出さなければ。
しかし、ランタンの炎は小さくなり、ついに闇がルーヴィックを飲み込む……。
寸前で、保管庫の扉が開かれる音が響き、駆けてくる足音が2つ。
「光あれ!」
少女の叫びにも似た鋭い言葉と共に、ほとんど消えていたランタンの炎が勢いよく燃え上がり、周囲の闇を切り裂き、潜んでいた者たちが消えていく。
「大丈夫ですか?」
「シスターか?」
駆け寄る影を確認して、ルーヴィックは驚いた。今朝会ったウィンスマリア教会のシスターだからだ。
「ルーヴィック、危ない所でしたね」
そのすぐ後にヘンリーも近づいてきた。
すると保管庫の明かりが灯る。周囲に悪魔や悪霊、そして見えない存在の気配はない。
「署内で暴れていた悪霊たちがいきなり保管庫へと向かったので、もしやと思って来てみましたが……よく、助かりましたね」
「あぁ、シスターに救われるとは、まさに奇跡だな」
ようやく棚や押収品の瓦礫から抜け出したルーヴィックは、急いで私物の道具箱からモノクルを取り出して付けて周囲を見回す。
不思議そうにルーヴィックを見るヘンリーとユリア以外に、室内にいる者は確認できない。
逃げられたのだ。
「どうされたのですか? まさかここに、モルエルを殺した者が?」
「ああ、ちょうどここにな。指輪を奪われた!」
「指輪を?」
珍しく大きな声を上げる驚くヘンリーを見て、ルーヴィックは頷く。
「どうしてもっと大事に保管しないのですか?」
「……そうだな」
これもまた珍しくルーヴィックは素直に非を認め、大きく息を吐き出した。
「まぁ、今後のことは一旦、ここを離れてからにしましょう。ここはあなたが派手にパーティをしてくれましたので、これから賑やかなるでしょうし」
うんざりしながら倒れた棚や散らかる押収品を見ながらヘンリーは首を振る。
「掃除が大変そうだな」
「本当に散らかすのがうまいですよね」
「完璧な人間ってのも困りもんだろ?」
「欠陥だらけも考えものです」
口の減らない2人を余所に、ユリアの小さい悲鳴が上がる。
「た、大変です。この人……ひどい傷です」
ユリアはジョーンズに駆け寄り、悲痛な声を出していた。ヘンリーも近づき容体を確認して「重症ですが、死にはしないでしょうね」と言ったので、少し安心したようだ。
「でも、こんな、酷い行い……誰が」
「それは悪魔の仕業だ」
ジョーンズを心配そうに見ながら呟いたユリアの言葉が終わらないうちに、ルーヴィックが割って答える。
嘘は言っていない。彼の傷は、悪魔が憑りついたせいでこうなったのだから、悪魔のせいだ。
「悪魔が……そうですよね。人がこんな非道をとても。まさに悪魔の所業です」
皮肉を言っているのかとルーヴィックは横目で確認するが、彼女はいたって沈痛な面持ちで言っているので、おそらく思ったことを言っているだけだろう。ジェームズの顔面に残るブーツの底の跡に気付いているのはヘンリーだけだろう。
「その警部さんはスコットランドヤードの連中に任せるとしよう」
ルーヴィックが言うとヘンリーと2人で出て行く。残されたユリアは「置いていくんですか?」と戸惑いながらも、最後は2人の後を追って保管庫から出た。
夜のイギリスは霧っぽく、薄っすらと白みがかっていた。
スコットランドヤードの敷地を出て細い路地に入ったあたりでヘンリーは足を止める。
「ここら辺まで来れば心配ないでしょう」
振り返ればルーヴィックとユリアもいる。
「カーター教授の家でも大変だったそうですね。それで収穫はありましたか?」
ヘンリーの問いかけに「ああ」と短く答えるが、それ以上は話さない。逆にルーヴィックがヘンリーに聞いた。
「キューブについてはどうだった?」
「はいはい。もちろん分かりましたよ。やはりキューブはレイ・カーターが所持していました」
「確保したのか?」
「いえ、悪魔の妨害を受けました。その時に、ユリアさんに協力を」
自分の名前が出たので慌ててユリアは軽く頭を下げて見せる。ルーヴィックは小さく頷く。
「それで、キューブはまだレイ・カーターが持っているのか?」
「そのはずです。しかし、お住まいがどこか分からなかったので、一度署に戻っていたんですよ」
「分かったのか?」
「もちろんです」
そう言って住所をメモした紙をヒラヒラさせていると、突然、ルーヴィックがその紙を奪い取り、ヘンリーを後ろの壁に突き飛ばした。
いきなりのことにヘンリーは目を白黒させている。
「な、何を?」
「お前、俺に言ってないことがあるな……」
凍り付いた空気の中、ルーヴィックはヘンリーに冷たく言った。
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