第10話:酒場『マザー・グース』

 日も暮れ、多くに者たちが酒場に集まり、酒を交わし、食事を摂り、バカ騒ぎし始めた頃、ルーヴィックもヘンリーの案内で『ある場所』に向かうために飲み屋街を歩いていた。

 客引きを軽くあしらいながら、道すがら買ったフィッシュアンドチップスを摘まむルーヴィックからは(イギリスの食い物を認めたくはないが)「結構いけるな」と素直な気持ちが漏れる。隣で聞くヘンリーもどこか得意げなのでやはり気に入らない。

「それで? 今から行くところに、護符のことを知ってる奴がいるのか?」

「ええ。護符だけでなく、さまざまな情報や知識を持っている男です」

「お前の情報屋か?」

「そんなところです」

 エクソシストにとって情報屋は重要だ。一人で集めるのには限界がある。

 しばらく歩くとレンガ造りの建物の前で立ち止まった。

 頑丈な扉の前に屈強な見張りが立っている。他の酒場とは少し事情が違うようだった。

 ルーヴィックが踏み出そうとすると、ヘンリーが止める。

「ルーヴィック。これを」

 そう言って手渡されたのは舞踏会などで使われる仮面だった。不思議そうに見ていると、「ここのしきたりなんです」と説明してくれる。

「この店の客は素性を隠すのがルールです。仮面を付けることで、日ごろのしがらみから解放され、思うがままに酒や娯楽を楽しむ場、ということです」

 そう言いながらヘンリーも洒落た仮面を付けている(明らかにルーヴィックの物よりも豪華だ)。まぁ、ルールなら仕方がないと、ルーヴィックも仮面を付けた。

 ヘンリーは扉の見張りと数回会話をやり取りすると、ボードに綺麗な文字で名前を書き始める。

「ティンカー(鋳掛屋)?」

 書いている文字を見ながらルーヴィックが訊ねると、ヘンリーは扉の横の掠れて見えにくくなっている看板を顎で示す。


酒場『マザー・グース』


 と書かれていた。

「ここでは素性は明かさないと言ったでしょう? だから、愛称があるのですよ。私はティンカー」

 ヘンリーの説明にふーんと興味を無くしたように返答すると、ヘンリーはさらにペンを走らせる。

「あなたはクルックドマン(背中の曲がった男)です」

 ボードを返しながら、ヘンリーはニッコリ笑って見てきた。

「あなたにピッタシでしょ!」

 その綺麗な顎を砕いてやろうと思ったが、寛大な自制心がそれを抑え込んだ。



 マザー・グースの中は広く、吹き抜けのホールを中心に何階もある場所だ。かなり雑多な場所であり、そこかしこのテーブルから騒がしい喧噪や笑い声が聞こえ、酒を飲み、ギャンブルをし、人目もはばからずに男女でイチャついている。店の規模と客が仮面を付けていることを除けば、場末の酒場と大差はないだろう。

「こりゃまた、最高だな。さすがは紳士淑女の国だ。俺らの国の方が大人しいんじゃないか?」

「何をまたご謙遜を。ただまぁ、ここではみなさん、少々、羽目を外しがちになってしまう傾向がありますね」

 ヘンリーはあえて『少々』の部分を強調する。

「お前の行きつけか?」

「まさか! 私はこのような場所、必要な時を除けば来ませんよ。私は、」

 心外とばかりに言うヘンリーだが、その隣を何人かの若い淑女が「ティンカー!」と親しげに手を振って通り過ぎる。

 顔なじみなのだろう。

 ヘンリーは笑顔で淑女らに手を振って返してから、ルーヴィックに振り返る。

「あの子たちは……誰かと間違えたようですねぇ」

「お互い仮面を付けてるしな」

「まぁ、せっかく酒場に来たのです。まずは一杯飲みましょう!」

 気まずい沈黙を打ち消そうとするように、ヘンリーはポーターの運ぶシャンパングラスを2つ取ると、一つを手渡すが、ルーヴィックは受け取らない。

「また、イギリスの酒は飲めない。何て言いださないですよね?」

「酒は特別な時にしか飲まないと決めてる」

「特別な時?」

「事件が解決した時だ」

 ヘンリーは自分のグラスと、受け取られなかったルーヴィックの分のグラスを美味しそうに飲み干すと、無造作に放り投げる。

「あなたって、本当に変わった所でこだわりがありますよね」

「こんな仕事をしてちゃ、願掛けぐらいしたくなるだろ」

 自嘲気味に笑うルーヴィックに、ヘンリーも「確かに」と小さく笑う。

 2人はそのまま階段を上り、3階へと進んだ。そこはボックス席のような場所になっており、1階のホールよりも上流階級の人間が集まっているようだが、やっていることはホールの人間と大差はない。むしろ、度合いとしては上階に上がるほど酷い。

 ボックス席と言っても壁などなく、だいたいはカーテンで仕切られているのみ。至る所で話し声や嬌声が聞こえてくる。

 異端審問で踏み込んだら、かなりの人間を逮捕できそうだ。

 そんな中を気に留めることなくヘンリーは進むと、通路の奥、かなり広く豪華な造りのボックス席が現れる。何人もの男女が楽しげに絡みながら酒を交わし、話に花を咲かせている。

 その一番、奥のソファに腰を掛けているのが、最も立場が上なのだろう。両脇に半裸の女性を座らせて豪快に酒を煽っていた。

 ヘンリーはボックス席に入る前に、ルーヴィックへと振り返り、釘を指す。

「いいですか。ルーヴィック。彼は気難しい人です。間違っても銃はなしですよ」

 どうやら一番奥に座っている男が情報屋のようだ。

 服装は紳士然としていたのだろうが、今となっては、蝶ネクタイは外れかけ、ジャケットはどこかへ消えている。丸々と太った中年の男で、シャツの腹ははち切れんばかりに膨れ、手足も短い。髪はキッチリと整えられており、仮面の隙間からでも分かる小さな瞳がギラついていた。


 金持ちそうだ。


 ルーヴィックの第一印象だ。そして彼の性質上、金持ちを鼻にかける連中に嫌悪感を示す傾向がある。奥の情報屋はその要素を兼ね揃えていそうだ。

 もしアメリカでこの男から情報を聞き出すとしたら、まずは鼻をへし折ってからのスタートだろう。だが……

「分かってる。ここはお前の地元、お前の情報屋だ。お前のルールに従うさ」

 ルーヴィックは思っていることをおくびにも出さず答える。

 それに若干の怪しむ視線を向けるヘンリーに、ルーヴィックは呆れたように片手をあげ「誓って、お前のルールに従う」と答えてやると、一旦は満足したようで、部屋の奥へと歩みを進めた。

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