第27話:馬車の中で
ステファニーがスコットランドヤードから馬車に乗り込むタイミングで、背後から声がかかった。
「すみません! 私もご一緒しても構いませんか」
小走りで近づいてくるヘンリーは、ステファニーの返答も聞かずに、そのまま乗り込むとはす向かいの席に腰を下ろす。
「本来であれば、誰かが送るはずだったのですが、このような騒動があっては仕方がないですね。私が代わりをさせていただきます」
胸を叩きながら言うヘンリーに、ステファニーは気圧されながら「あ、はい」と返す。
「で、でも、大丈夫なんですか? なんだか凄い大変そうでしたが」
「問題ありませんよ。ロンドンの平和を守るスコットランドヤードの職員は、全員優秀な方々ばかりですから。私がいてはむしろ邪魔をしてしまうくらいです……。それに、あなたにお聞きしたいこともありましたので、ちょうどいい機会でした」
そう答えながら、少し前かがみになり声を潜めて「あと、実は私も疲れたので帰りたかったのですよ」とほくそ笑む。
走り出す馬車の中、軽い振動を体に感じながら、ヘンリーは話を続ける。
「しかし、昼間のことといい、先ほどといい、大変な一日でしたね。怖かったでしょう?」
「ええ。夢でも見ているかのような感じです。とても現実とは思えない」
「そうでしょうね。しかし、現実なんですよ。ところで、私とユリアさんが部屋を離れた後は、大丈夫でしたか?」
「はい。ヘンリーさんの描かれた退魔の印のおかげで」
「そうでしたか。退魔の印のおかげで……」
引っかかる物言いをするのに、ステファニーは眉を顰める。
「そうですね。何か?」
「いえいえ。しかし、やはり不安だったでしょうね。あの扉、どうにも建付けが良くなかったようでして。何度か、開閉したようですね」
「すみません。怖くて目を閉じていましたので、気付きませんでした」
「そうでしょうね。それは仕方がないですよ」
そう言うとヘンリーは窓の外に視線を向けて口を閉ざした。
しばらく、妙な沈黙が流れる。
「それで……ヘンリーさん。お話と言うのは先ほどしていた内容ですか?」
「あぁ、そうでしたそうでした。お聞きしたいことは、リチャード・カーター教授のことについてです」
「前に、お話したと思いますが」
「いや~。あの時はですね。ルーヴィックやジョーンズ警部なんかもいましたから、なかなか聞きづらかったのです」
照れるようにハニカミながら小首を傾げる仕草はいちいち絵になる。
「カーター教授は研究熱心な方でしたよね」
「はい。集中されると他のことが手に付かなくなりました」
「それにとても神経質でもあった」
「そうですね。出した物は片付けないと気が済まないお人でした。それに本を読まれたり、調べ物をされている時は些細な音でも気になるようで、廊下を掃く箒の音がうるさいと、清掃の方に怒鳴りつけたことも」
「不思議な方ですよね。そんなに騒音が嫌ならば、自分の家に籠ればいいのに」
「大学の方がはかどると言っていました。いつも決まった時間に来て、決まった時間に帰られてましたね」
「……それで、教授が亡くなられる前に、おかしなことはなかったかとお聞きした時に、特に変わった様子はない、とおっしゃってましたよね」
「……はい。それが?」
ヘンリーは演技じみた感じに顎に手を置いて「う~ん」と唸る。
「いや、おかしいんですよ」
「何が?」
「先ほど署で同僚がまとめた調書を読んだのですがね。大学の清掃係によると、最近、教授は大学に来られていないようなのですよ」
「どうしてそんなこと」
「非常に気難しい人ですので、教授の部屋の周りを掃除する時は細心の注意をされているようです。それでね。その人が言うには、教授の部屋に人がいる様子はなかった、と」
「その人が怪しいですね」
「そうですよね。でなければ、あなたの証言とも食い違う。だって教授は、必ず大学に来られる方だ。それを来られていないのに、いつもと変わった様子がない、とはとても言えませんもんね」
にこやかで挑発的な目を向けるが、ステファニーは動じた様子もなく頷く。
「それにですよ。清掃係の話が事実なら、もう一つ気になる点が出てくるんです」
「どんなことですか?」
「あなたはその期間、どちらにいらしたのですか?」
ヘンリーから笑みが消え、細めた目は冷たく相手を捉える。
「言ってる意味が分かりませんけど」
「いえ、だってそうでしょ。ここ最近の教授の行動をご存じではない上に、大学の部屋にもいないことになります。つまりあなたは、しばらく別の場所にいらしたんじゃないですか? あ〜、例えばアメリカとか?」
「まるで決めつけられているようで…」
「はい、決めつけています」
「とても不愉快です」
「はい、大変申し訳ございません。しかし……ずっと気になっていました。どこから情報が漏れたのだろうか、と」
ヘンリーは路地でルーヴィックに投げつけられた、カーター教授へ送った手紙を取り出して見せる。
「まぁ、これを燃やさずに持ち歩いていたなんて、カーター教授らしいですがね。あなた、これを読まれたのではないですか? これは教授の自宅に送ってありました。いくら彼が少し抜けている所があるとはいえ、自宅以外の場所で、ましてや他人が周囲にいる所で開いたりするはずがないのですよ。つまりあなたは、教授の意図しない所でこの手紙を読まれたんです」
「それは言いがかりです」
「では、どうしてあなたは手紙の相手が女性だと思われたのですか?」
「前にも言いましたが、そこに書かれた文字が綺麗でしたので、そうではないか、と言ったまでです」
「これですか?」と手紙の文字を見せると、彼女も頷く。
「なるほど、確かに。女性の文字と言われると少々複雑な気持ちですが、まぁ、見えないことはないですね。でも、どうやってこの字を見れたんですか?」
「教授が手帳を落とされた時に、手紙が落ちたんです」
「手帳から落ちた時に、それを見たんですね。それ以外は触れてもない?」
「しつこいですね。その時に落ちた封筒の字を見たんです!」
あまりにもしつこいヘンリーの質問に、さすがのステファニーの口調も荒くなった。しかし、そこまで聞いてヘンリーの勢いはスッと引いていく。
「落ちた時、手紙は封筒に入っていたんですね?」
「だから何ですか?」
「どうやって、この文字から女性と思ったんですか?」
ヘンリーは封筒を取り出すと、それをステファニーに見せた。
タイプライターで打ち込まれた無機質な文字を。
ステファニーが目をむいて、言葉に詰まった。
「カーター教授の身辺は調べたつもりでしたが……あなたは何者ですか? 私の描いた退魔の印をまたげたということは悪魔ではない」
ヘンリーは手紙と封筒をしまうと、代わりにリボルバーを取り出して構えた。
「しかし、それはおいおい聞くとして、今、大事なことはあなたが先ほど指輪を盗み、アメリカでモルエルを殺した犯人だということです。さぁ、ミカエルの……いえ『モルエルの指輪』を返していただきましょうか」
張りつめた空気の中で、ステファニーが薄っすらと笑った。
「小細工をしたものですね」
声や口調は彼女のままだが、そこに込められる力が圧倒的に変わる。圧し潰されそうな感覚に、ヘンリーの銃を構える手に力が入った。
「そして、そんな小細工で足元をすくわれるなんて……」
「無駄話は結構。残念ですが、私はあなたを殺してでも指輪を奪還します。門の鍵もルーヴィックが回収してくれるはずです。今度こそ、邪魔はさせませんよ」
「それは、どうかなー」
笑みが濃くなり、相手の感情を逆なでるような挑発底な声を出すステファニー。
「レイ・カーターは今頃、父親と同じ末路を辿っていますよ。そして、鍵は私たちが確保しているのではないでしょうか」
「どうしてそう言えるのですか?」
「彼に大学まで来てもらったのは、所在が分からなかったからです。警官の方々に部屋の整理があると伝えてもらったんですよ。予想通り、鍵は彼が持っていました。あとは奪うだけ。だから、彼には大学で特殊な香を持たせました。悪魔が臭いで辿れるように……スコットランドヤードの騒動の時には、すでにレイ君の所に悪魔が行っているはずですよ」
勝ち誇ったように声を上げて笑うステファニーに、ヘンリーは歯噛みしながら引き金を引く。銃弾は彼女の顔の横を通り抜け、壁に穴を開けた。
「無駄話は結構と言ったはずです。もしそのことは本当なら、是が非でも指輪だけは確保します」
「はぁ~。勇ましいですね。嫌いではないです。そうやって必死になっている姿」
咄嗟にステファニーが手をかざす。
しかし、彼女が何かをする前にヘンリーのリボルバーから放たれた弾が、彼女の額に命中する。ガクンと頭を後ろに倒して座席にもたれかかった。
「殺してでも奪うと言ったはずです」
ヘンリーは銃口を下ろすことなく言うと、御者の座る前方の窓を後ろ手に叩く。
「騒ぎを起こして失礼。ここで止めていただけますか?」
しかし、御者からの反応はない。
疑問に思い、振り返ろうとした時、ステファニーの頭が持ち上がった。
「なるほど。これがエクソシストの使う弾丸の痛みですか……」
起き上がるステファニーの額の穴から弾丸が浮き上がり、吐き出されると穴は塞がっていった。
「私には効果は無いようですが、痛いものですね」
ニッコリと笑うステファニーに、ヘンリーはありったけの弾丸を撃ち込む。
これまで自分の弾丸を受けて平気だった悪魔など存在しない。ありえないのだ。
だが、ステファニーの体に吸い込まれる弾丸はやはり、彼女の肉体を傷つけるが、効果が見られない。目を見張る光景に驚愕していた時、愉快そうな彼女の笑いと共に彼女の背から白い翼が現れた。
なるほど、彼女は悪魔ではない……
ステファニーはいつの間にか持っている小さな燭台を掲げると、鮮やかなオレンジ色の炎が燃え上がり、ヘンリーに襲い掛かる。咄嗟に、脇に置いていた傘を彼女との間に広げ、炎を傘で遮る。
「! 私の傘が……」
傘の表面に縫い込んだ聖句が炎を受けて赤く浮き上がり、見る見る間に焦げて朽ちていく。聖なる力が消失する。
非常にヤバい状況だ。
「御者! 早く馬車を停め……」
振り向いたヘンリーの目と御者の目が合った。彼は体を正面の向けているのに、首だけこちらを向けている。それは人体ではありえない角度だ。
「そりゃ、無理だな。エクソシスト」
御者は濁った眼で彼を見ながら、口から涎をたらし卑下た笑みを浮かべて言った。その瞬間、ヘンリーの周囲の闇から大量の目に見つめられる。それは、先ほどスコットランドヤードの悪霊たちだ。この馬車に潜んでいた。こんな近くにいて気付かなかったというのか?
御者は首が逆を向いたまま窓を突き破りヘンリーに襲い掛かる。
ヘンリーは傘の柄を捻り、引き抜くとそこには細身の刀身。刃にはラテン語が彫られており、銀のメッキ処理が施されている。
引き抜いた剣を御者に突き刺した。
苦悶に満ちた悲鳴と充満する硫黄の臭い。
すると御者が振り上げた手から小瓶を落とす。真鍮で補強された瓶。それを掴み取ったヘンリーの耳に、甲高い音が聞こえてきた。それは炎を防ぐ(もはや燃え上がり傘の体をなしていない)傘の向こう側。ステファニーからだ。
口笛のような高い音。
それは次第に高くなっていくと、急にヘンリーの肩口に激痛が走り、炎が噴きあがる。
身が焦げる痛みに歯を食いしばりながら、側面の窓に体当たりをして馬車から外へと逃げた。
馬車から放り投げだされた衝撃に苦悶の色を見せながらも、肩の炎を消して物陰に隠れる。馬車が戻ってこないことが分かるまで、彼はジッと耐えた。
そして、安堵のため息を吐く。
肩口を見ると、上着は燃えていないのにシャツから下は焼け爛れていた。
「どおりで、聖なる力が通用しないわけだ」
馬車からのダイブで至る所を打ち付けたせいで体が悲鳴を上げている。馬車の走り去った方角に目をやるが、もはや霧で白くなったロンドンの街並みしか見えない。
ヘンリーは自分の体が震えているのを実感した。寒いからではない。恐怖からだ。
今のは、死んでいたかもしれない。恐らく逃げなければ、そうなっていた。
全身の震えと痛みのせいでうまく立ち上がることができない。
御者が落とした小瓶に視線を落とす。何が入っているか調べる必要がある。
そして、対策を練らなければ。
これまで多くの悪魔と戦い、その対策を整てきた。だからこそ、勝ってきた。
しかし、ステファニーは悪魔ではない。
彼女は天使だ。
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