第35話:不死身の男ルーヴィック・ブルー

 起き上がるルーヴィックとヘンリーは、ゆっくりと降りてくるステファニーを睨みながら囲むように動く。ルーヴィックは地獄の門を背負うような位置で止まった。

「モルエルのお気に入り、ですか。ヘンリー・プリーストにルーヴィック・ブルー……」

 薄っすら笑みを浮かべて2人を観察している。

「どちらもしぶとい。特にルーヴィック。あなたは諦めたことはないのですか?」

「いや、あるぜ。『死ぬ』ことを諦めてる。お前らみたいなのがいるうちは、な」

 ステファニーは声を上げて笑った。鈴の鳴るような綺麗な笑いが、ここまで似合わないのも珍しい。

「愚かですね。人間は」

 ステファニーは2人に、話しかける。

「愚かで、そして愛くるしい。そのようにもがく姿はたまらなく愛おしい」

「その愛くるしい人間を、どうして滅ぼそうと?」

 ヘンリー、そしてルーヴィックを見る。

「滅ぼすだなんて。そんなことしませんよ。私は人間を愛していますから。大丈夫。地獄の門が開いても、人間は滅びませんよ。もちろん苦難が降りかかるでしょうがね。私はあなた方に試練を与えたいのです」

「ふざけんな。苦難なら飽き飽きしてるぜ」

「まだです。全然、足りません。この苦難を乗り越えてこそ、愚かな人間は神への信仰心を取り戻します。そして人間はより高い次元へ成長できる」

「そいつは、ありがたい話だがな。今回は遠慮させてもらうぜ。門をこの世界から消滅させる」

「それは寛容いたしかねます。何せ失敗はできませんから。モルエルのためにも」

「殺しといて、モルエルの名を口にするんじゃねぇよ!」

 思わずカッとなったルーヴィックは語気を強めると、その様子を少し愉快そうに見る。

「あれは残念でした。モルエルは私の考えに、理解を示していただけなかった。逆に、止めようとさえした。しかし……もっと残念だったのは、あの晩にあなたを殺しておかなかったことですね。モルエルが死んだ時のあなたは、それはもうとても愛らしく、思わず殺すのをためらってしまった」

「つまりは、あれだろ? 口では大層なこと言ってるが、要するに弱者が傷つきもがく様を見るのが好きな、ただの変態じゃねぇか」

 その言葉に、天使は美しい顔を歪める。怒りではなく、卑しく欲望にまみれた笑顔だ。完成された美貌が笑みで歪み様は恐ろしくもあり、それでも美しくあった。ステファニーと名乗った者がようやく本当の顔を見せたと、ルーヴィックは感じた。

「だが、お前は一つ正しい……俺を殺さなかったのは間違った判断だった」

 ルーヴィックは背後の地獄の門に銀と真鍮でできた容器を投げ捨てる。

 それが落ちた途端に、門から吐き出されていた真っ赤に燃え盛る光が、青く神聖な光へと変わる。

「シスター!」

 飛び出すユリアが地獄の門の淵で祈りを捧げる。

 地獄の門に這い上がってきていた気配が、地響きと共に弱まり、進む速度も遅くなった。

「無駄な足掻きですね」

 そう、ただの時間稼ぎだ。『天使の涙』で清められるのはわずかな時間だけ。そして、ユリアの踏ん張りも長くは持たないだろう。神経が擦り切れ、意識が吹っ飛ぶのも時間の問題だ。

 それまでに決着をつけるしかない。

 ルーヴィックは銃を引き抜くと、あるだけの弾丸を全て撃つ。もちろん、効果などないが、意識をこちらに向けさせることには成功した。

 その隙にヘンリーも距離を詰めている。

「あなたはミスばかりだ。私も殺し損ねた」

 ヘンリーは懐からアンプルを取り出すと投げ付ける。

 ステファニーはそれを空中で受け止めた。

「学習しませんね。何をしても……」

 ヘンリーのリボルバーがその手を狙う。

 弾丸が手を傷つける事はない。が、手の中のアンプルは別だ。

 弾丸によって割れたアンプルの中から黒い靄(もや)が出てくる。ステファニーは驚いた様子でそれを吸い込むと、激しくむせ、苦しみ出す。

 中身には悪魔の放つ瘴気が入っていた。

「もっと吸い込みなさい。悪魔どもから集めた瘴気を、恐怖を吸い込みなさい」

 瘴気を振り払おうともがくステファニーの横っ面に、ルーヴィックの鎖を巻きつけた拳が届く。振り抜かれた拳に、ステファニーはよろめく。

 2発、3発と続けざまに殴りつけると、ステファニーの口元がすぼまる。口笛の音がする。

 咄嗟にバンシーの鳴き声を振って回避し、さらに拳を振り上げた時、ステファニーは火の粉と光子となって目前から消えた。

 そして、次の瞬間には手に持っている瓶が砕かれ、口笛の音と同時に背中から炎が噴きあがる。身を焼かれる熱さと痛みについ声が漏れる。身を転がして鎮火すると、よろめきながらも何とか起き上がれた。

 鎮痛剤のおかげで痛覚は鈍くなっている。

 周囲を見るがヘンリー以外にいない。彼も見渡して警戒している。

 見えていない状態で、ステファニーはゆっくり背後に回り込んで襲い掛かる。勝ちを確信した攻撃だったが、ルーヴィックはそれを回避。身を翻した勢いでステファニーを殴り飛ばす。

 彼の目には複数の色のレンズを組み合わせたモノクルが。

 慌てて飛び上がると、その首に鎖が巻き付いた。


「ここまで堕ちてこい。天使」


 背筋が寒くなるようなルーヴィックの口調に、ステファニーの顔が引きつった。そして力任せに引っ張られて、地面に叩きつけられる。

「人間の分際で!」

 相変わらず綺麗だが初めて余裕のない声で叫ぶ。と同時に、燭台の周りに無数の光輪が現れ、鮮やかな炎が渦を巻く。

「憐れなる魂ごと燃やし尽くしてあげる」

 ルーヴィックに炎が飛び掛かる直前、ステファニーの背後にヘンリーが滑り込んでいた。

 彼の振り上げる刃が彼女の左手を捉える。天使の肌に触れた剣は、肉を焼くような音を立てて、左手を切り飛ばした。

「……ぇっ?」

 何が起きたか分からず、信じられないものを見るように失った左手首を見る。

「なぜ……?」

 ヘンリーの刃に視線を向けると、彼の銀色に輝いていた刃は黒く染まっている。表面にタールが塗られていた。悪魔の血だ。

「身の程をわきまえろ! エクソシストっ」

「ルーヴィック! その左手を取りなさい」

 声が交差する。同時に、ルーヴィックに向けられていた炎が、ヘンリーに標的を変えて彼を飲み込み、吹き飛ばす。勢いよく瓦礫に叩きつけられ、黒い煙を上げて動かなくなった。

 その隙にルーヴィックは切り落とされた左手を掴む。

「シスター、あと少しだ。踏ん張れよ」

 一瞬だけ視線を送ると、ユリアは膝を付き、体は小刻みに震えていた。目や耳からも血を流し、口からは錆びた釘を吐いている。しかし、それでも祈りを止めていなかった。

 『天使の涙』の効果はすでに切れ、気配は目前にまで迫っている。地上に出るのを妨害しているのは、ユリアの祈りによってできた僅かな障壁だけだったろう。

 ルーヴィックは回収した左手を掲げる。どう使えばいいかなど分からない。ただ掴んだ瞬間に理解できた。キューブが持ち主の意志を察して動く、と。


 キューブが青く輝きだし、すぐ変化が見られた。


 門の周囲から円を描くように光線が吹き上がる。いや、降りてくる。その光は次第に強さを増し、噴きあがっていた赤い光を地獄の底へと押し返す。

 そして、少しずつ地獄の門が消滅していく。

「やめろっ!」

 悲鳴にも近い声を上げながらステファニーは、必死の形相で左手を取り返そうと掴みかかってきた。細身の体からは想像できない力だ。もみ合いになりながらもルーヴィックは道具箱に手を突っ込み、中から瘴気の小瓶を取りだすと、自分の目の前で叩き割った。吹き出す瘴気はステファニーだけでなく、ルーヴィックの顔にもかかる。

 苦しそうに噎せながら後ずさるステファニーに、ルーヴィックはタールのゲロを吐きながら起き上がると、音が出るくらいにしっかりと拳を握り締めた。


「クソ天使が、お前には地獄がお似合いだ」


 渾身の力を込めて、彼女の顔を殴り飛ばす。

 彼女の体は、その衝撃で浮かび上がると、少し呆然とした表情のまま光線の中へ消えた。

 そして絶叫。

 天使の体が分解されていく。門と共に消滅しようとしているのだ。

 跪くルーヴィックは瘴気を浄化するため、道具箱から聖水のアンプルを割って何本も飲む。すると喉の奥が焼けるように熱くなり、さらに大量のタールを吐き出して楽になる。

 頭からも聖水を掛け、祈りの言葉を唱える。

 光線を見ると、門はほぼ消えかけていた。そして、最後に光が細くなると四方に衝撃波が走り、ルーヴィック、そしてすでに意識のないユリアは吹き飛ばされた。

 白煙が巻き起こった後には、地獄の門だった場所には何もない、ただの地面があるのみ。

 安堵の呼吸を吐いた時。


 白煙を引き裂くようにステファニーの残骸が飛び出してくる。


 おぞましい唸り声を上げるそれは、美しかった顔の面影を一切残しておらず、全身は焼け爛れ、タールに塗れた化け物以外の何者でもない。

「ルーヴィック・ブルー!」

 恨みの籠った叫び声に、天使だった影もない。

 慌てて避けるも足がもつれてうまく動かない。ステファニーはルーヴィックに這いながら襲いかかる。

「お前だけでも殺してやる!」

 憎しみの呪言と共に吐き捨てる。

 ルーヴィックは胸のホルスターに手をやるが、銃がない。周囲を見渡すと離れた所に転がっていた。どこかのタイミングでホルスターから吹き飛んでいたのだ。

 体を引きずりながら逃げるが、距離は着々と縮まっている。

 拳銃までたどり着いたルーヴィックは、ベルトのバックルを外して銀の弾丸を取り出した。もしもの時の『お守り』だ。拳銃のスライドを引き、弾丸を装填。ステファニーが目前に迫り手を振り上げるのと、彼が銃を構えるのはほぼ同時だった。

「俺を殺すだと?」

 目の前の存在はもはや天使ではない。魂の穢れた邪悪な存在だ。


「俺は不死身のルーヴィック・ブルーだぜ。覚えとけ!」


 コンマの差で早く引き金を引いたルーヴィックの放った弾丸がステファニーの額に当たり、そのまま石化し火の粉を上げて砕け散った。


 しばらく固まったまま動けなかったが、一息ついてからヘンリーの元と向かう。呼びかけても返事はない。ルーヴィックは注射器を取り出し、振り上げる。しかし、振り下ろした手は遮られる。相手はヘンリーだった。

 何とかまだ息があり、意識もあるようだ。

「その注射器……消毒しました?」

 こんな時にふざけた言葉だ。思わず笑いが零れる。

 ヘンリーも笑いながら、ぎこちなくシャツのボタンを外した。

「祝福を逆に書いてやりましたよ。ちょっとは効果があるんですね」

 肌着には何かが縫い付けられていた後があるが、見事に焼けて焦げている。彼の言うとおり、多少はそのおかげで軽減できたのだろうが、重症であることには変わりない。傷口は焼けており、血は出ていないが、肉の焦げた酷い臭いだ。

「今回はキツかったな」

 ユリアの様子も確認してから、2人とも取りあえず生きていることに安堵しつつぼやいた。もう、体のどこにも力が入らない。

「『俺は不死身のルーヴィック・ブルーだ』って、本当に恥ずかしいことを叫びましたね」

 その時も意識があったようでヘンリーは小馬鹿にしたように笑う。思い返してルーヴィックも笑いがこみ上げてきた。

 あれは必死すぎて口から出てしまったが、彼自身恥ずかしいことを言ったと思う。できることなら無かったことにしたい。

 しばらく、2人は笑い合い、そのまま気絶した。

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