第19話:カーター家の捜索

 教授の家はルーヴィックが思っていたのとは違い、普通の家だった。

 住宅街の中にある庭付きの一戸建て。

白い壁の二階建て。小さい印象は受けないが、大きくはない。

「教授ってのは、もっと稼ぐもんだと思ってたぜ」

 家を見上げながらルーヴィックはぼやく。

 うんざりするほど降っていた雨も上がり、微かに霧が出始めている。

 周囲を見渡してみるが、ヘンリーの来る気配はない。

 懐中時計を取り出して、時間を確認し、ルーヴィックはため息を吐く。

 予定の時刻はとっくに過ぎている。

 特に心配しているわけでもないが、あの几帳面そうな男が遅れるだろうか。

 そう考えていると、頭の中でへらへら笑うヘンリーが思う浮かび、遅刻どころか約束を反故にしそうだ、と考えを改める。

 大学で何かあったのか、それを知るすべは、今はない。

 再度、周囲を確認し、誰もいないことを確認すると、ルーヴィックは庭を突っ切り玄関へ向かいノックを3回。しばらく待っても、中から反応はない。

 傘を玄関脇に立てかけると、腰に付けた道具箱から特殊な器具を取り出し、鍵穴に入れてノブを回す。ガチャリと解錠の音と共に、扉を開き素早く中へと入った。


 家主がもうこの世にはいないにも関わらず、家には未だ生活感が残っている。木目調の床は、特に古くもないのに黒く汚れが目立ち、あまり掃除がされていない様に思える。研究熱心らしいリチャード・カーター教授は、それ以外のことに関しては無頓着だったのかもしれない。

 ルーヴィックは道具箱から乾燥したセージの葉を取り出すと燻す。白い煙と共にセージ特有の香りが家の中に広がる。

 軽快に口笛を吹きながら、まずは1階を見てまわった。ちなみに曲名はリパブリック賛歌だ。

 家には特に目ぼしいものはない。リビングにはくつろげそうな一人がけのソファに、食事をするための食卓。どこの家庭にもある光景だ。

 周囲を適当に観察しながら、ルーヴィックは道具箱から粉末の入った小瓶をテーブルに置き、そばにあった空のカップに煙を出し続けるセージを放り込む。

 次に2階の捜索だ。

 階段を上がった正面には窓。折り返すように廊下が続いており、脇に2部屋。突き当りに1部屋ある。扉は全て開いており、脇の2部屋は寝室と物置、正面が書斎になりそうだ。

 ルーヴィックはまず階段正面の窓を確認。紐を取り出し、窓に張るように括り付ける。

 そして、寝室と物置は軽く見た後で、書斎へと入った。

 壁には大量の本が収納された本棚。重厚なデスクの上には様々な書類が乱雑に散らかる。本棚に並べられる本やデスクの書類を一通り見ながら、書斎の窓の縁に瓶から出した砂を撒いてまわる。


 特に何も出てこない。


 ルーヴィックは一息つくように豪華なチェアに腰を掛けると、煙草を咥え、マッチをデスクの縁で火をつけて吸い始める。天井に向けて吐き出した紫煙が、ユラリユラリとたゆたう。

 ふと視線を落とすと、デスクの資料の山に隠れて使い込まれた手帳があった。

 煙草の火と消して、手帳を開くと、中には教授がこれまで思いついた考えや、研究での考察などが書かれている。そして、そこには手紙も挟まれていた。

 送り主の名前はなく、封筒の宛名はタイプライターで書かれた機械的な文字だ。しかし、中身を見ると綺麗な字で書かれた手書きの便せんが。

 それに視線を送るルーヴィックは眉をひそめた。


 その時だった。

 突然、低いうめき声のような音が家全体から聞こえてくる。


 ルーヴィックは手紙と手帳を懐に押し込むと、ジャケットのボタンを外した。

 体中の毛が逆立ってくる。彼の直感が悪魔の気配を感じていた。ピリピリとした空気がルーヴィックの肌を刺す。1秒ごとに空気は重たくなっていき、まるで粘度の強い液体の中にいるかのように、体に纏わりつく。

 室温は急激に下がり、微かに鼻を突く硫黄の臭いも漂ってきた。心なしか暗くなり闇が濃くなったようにも感じられる。


 張りつめた空気の中、2階の全ての部屋の扉が一斉に勢いよく閉まる。かと思うと、扉はゆっくりと開き、そして勢いよくまた閉まる。それが繰り返される。さらに床や壁は軋み、部屋は微かに震えていた。家全体がルーヴィックに敵意を向けているように。一般の人ならば、顔から色を消し、震えあがり、神への祈りを口にしたかもしれない。

 一般の人ならば……


「面白い」


 ルーヴィックは片方の口角を上げ、左脇のホルスターから銃を引き抜き臨戦態勢に入る。

「それで隠れたつもりかよ。ここまで臭ってくるぜ。タールや硫黄、煤の焦げた臭い。風呂に入った方がいいぜ。まぁ、そんなんじゃ、お前らの穢れは落ちそうにもないが……っ!」

 相変わらず開閉する扉に注視しながら軽口を叩いていた時、扉が閉まり、そして開いた時に勢いよく男が侵入してくる。

 狙いを定めて発砲するも、軽い身のこなしで避けたそれは一気に距離を詰め、デスクを飛び越えて襲い掛かてきた。

 相手の振るった腕は、身を翻した彼をすれすれで掠めていき背後の壁に抉り取る。鋭い爪が、壁をプディングでも切るように掬い取ったのだ。

「エクソシストのゴミ虫が!」

 声は低く務めているようだが、明らかに若い声だ。人の言葉が聞こえたのはそこまでで、その後は地獄語でブチブチと言っている。おそらくルーヴィックを葬れることへの歓喜(気が早い奴だ)と人の言葉では存在しないような罵りの言葉を連ねているのだろう。

 転がって距離を取りながら、続けざまに発砲。

 しかし、若い悪魔は再び弾丸を躱して近づいてきた。

「お前、それしかできねぇのかよ」

 ルーヴィックが鼻で笑いながら呟く。その言葉に悪魔の顔が酷く歪んだのが分かった。

 足元に発砲し、一瞬だけ身をこわばらせた悪魔に、ルーヴィックは道具箱から取り出した聖水のアンプルを投げつける。

 中身を撒き散らしながら飛ぶアンプルは、悪魔の顔面にしぶきが飛んだのだろう。「うわっ!」と短い悲鳴に似た声を上げ、動きが止まる。

 見た目はまだ若い男だ。魅惑的な瞳に、細い顔つきはまさに二枚目だろう。だが、先ほどの聖水を浴びたせいでその場所から煙が上がり、人の皮膚が爛れその奥に潜む醜い本性が姿を現す。

 ルーヴィックは投げ込んだ勢いのまま、悪魔にタックルを食らわせ、そのままデスクへと叩きつけると、馬乗りになって顔面を殴りつける。

 魔除けの銀貨を握りしめた拳が、何度も悪魔の顔を打ちのめす。

 殴られるたびに、悪魔の顔面は焼け爛れ、白い煙を上げる。

「神の、ご加護が、あらん、ことを!」

 ぐったりする悪魔にようやくルーヴィックは殴るのを止め、銃口を頭に付きつけた。

「ようやく、お互いに話し合える状態になったな」

 少し息が上がっているのを整えながらルーヴィックは言うと、悪魔はタールのようなどす黒い液体を吐きながら、忌々しげにルーヴィックを睨みつける。

「調子に乗るんじゃねぇぞ。エクソシスト。お前なんかに何も話すもんか」

「どうかな。それは、やり方次第だ」

 若い悪魔の耳に付けられたピアスを掴み凄味をきかす。ピアスはハートに矢が刺さったような物。

「洒落たピアスだ」

 捻じり上げると、痛みに悪魔が呻く。

「まずはお互いのことを知ろうぜ。俺はルーヴィックだ。知ってるかな? クソ野郎。はるばる海を越えて、お前らのために来てやったぜ。それで? お前の名は?」

 キッと口を結んだままの悪魔に、溜息をつき銃を脇に置くと、守護の印が掘られたブローチを外して顔に押し付けると、魔除けの言葉を呟く。悪魔は苦しみだし悶えるも、ルーヴィックは一向に止める気配はない。それどころかより強く押さえつけ強く聖句を口にする。

「貴様の名は?」

 耐え切れず、悪魔が地獄語で喚き始めた。内容は、いわば悪魔の祈りである。

「悪魔は何人動いてる? 黒幕は誰だ?」

 続けざまに質問するも口を割る気配はなかった。「答えろ!」と強く言った時、その勢いでシャツの内側にあった十字架が首から下がる。紐の先には質素で何の装飾のない十字架と、翡翠色の指輪。

 悪魔はそれを目にした瞬間、声を上げて笑い始める。

「ルーヴィック・ブルー。お前はバカだ。人間風情が首を突っ込み過ぎたな」

「それは、いつものことだ。お前らの捻りのなさに飽きてきたぐらいだ」

「天使も殺した。たかが人間のお前を殺せないわけがないだろ? 今回ばかりはお前も終わりだ」

「モルエルを殺したのはお前じゃないだろ。あいつは確かに弱いが、そんな雑魚じゃなかった」


「その通りだ」


 その声は背後から聞こえた……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る