第20話:炎の悪魔

 背後から聞こえた声は、若い悪魔が出す声に比べて、あまりにも低く、そして圧を感じさせた。

 ルーヴィックは考えるよりも先に脇に置いた銃を手に振り向こうとした。が、意識を背後に向けた隙をついた若い悪魔に銃を蹴り飛ばされる。そして、首から下がった指輪を十字架ごともぎ取ろうと手を伸ばして掴んだ瞬間。若い悪魔の腕が燃え上がり、消し飛んだ。

 悲鳴を上げることもできずに呆然とする悪魔を余所に、ルーヴィックは飛びのき、アンプルを振り向きざまに投げつける。

 見れば炎がすぐ目の前まで迫っていた。

 炎は聖水とぶつかり勢いを弱めるも消えることはない。ルーヴィックは床を蹴り、急いで隣の寝室に通じる扉へ走り、体当たりで扉を突き破る。そのすぐ後ろを、先ほどと同じ炎がいくつも放たれる。反撃する暇もない。

「め、メーメン! 俺の、俺の腕が……」

 若い男の悲鳴に近い声が聞こえてくる。新たに来た悪魔はメーメンと言うらしい。

「我慢しろ、レオゼル。考えなしに触るからそうなるんだ」

 メーメンは冷静に若い悪魔・レオゼルに指摘する。

「こんにちは。こうして会うのは初めてだ。ルーヴィック・ブルー」

 メーメンが重々しい声で隣の部屋のルーヴィックに話しかける。この悪魔はレオゼルに比べて落ち着き、外見も年長。しっかりとした体格で頭は剃りあげられ左側の顔から頭にかけて蜘蛛の巣状のタトゥがあり、そこには同じくタトゥの蜘蛛が描かれている。しかし、その蜘蛛は不気味にも蜘蛛の巣を自在に動き回っていた。

「アメリカからわざわざ来るとはな」

「エクソシストは人材不足でね。はるばる来たんだ。少しぐらいは歓迎してくれよ。なぁメーメン」

 部屋を挟んで会話をする。

「歓迎してる。悪魔なりにだがな。お前のことは知っている。魂を欲しがっている悪魔は大勢いる」

「有名人は辛いな。サインでもしてやろうか?」

「いや、ぜひともサインより魂をくれ」

「熱狂的なファンは嫌われるぜ」

 余裕を感じられる言葉使いのメーメンは、明らかにレオゼル以上の力を感じられた。おそらくはレオゼルよりも強いだろう。メーメンが話すごとに室内の空気が温度を下げる。

 少し顔を出して室内を確認すると、蹴り飛ばされた銃は反対側の隅の方にある。自分の運の悪さに舌打ちしたくなる。

「どうしたよ! エクソシスト! さっきまでの威勢は」

 レオゼルが反撃してこないルーヴィックに叫ぶ。腕は再生していないが、ダメージはある程度回復したのだろう。

 ルーヴィックは静かに目を閉じる。

 反応のないルーヴィックに、レオゼルは落ち着きなく様子を見ようと歩み寄ってくる気配を感じたが、メーメンがそれを止める。

「どうして止めるんだ?」

 口を尖らせ反論しながらもレオゼルはメーメンの制止を聞き、足を止めた。

「噂では、奴はこういった状況の中で生き残ってきたと聞く」

「でも、今なら仕留められる」

「早まった行動をとるな。その結果が、今のお前の腕だろう。落ち着いて攻めれば殺せる。奴は所詮人間だ」

 メーメンがレオゼルに意識を向けた一瞬の隙に、ルーヴィックは動く。まるで今まで力を溜めていたかのように、瞬時に静の状態から動へと切り替える。

 メーメンに気を向けていたレオゼルも反応は少し遅れた。

 ルーヴィックは腰のホルスターよりリボルバーの拳銃を引き抜くと腰元に構え、左手で撃鉄を起こしながら引き金を引く。ルーヴィックの射撃も相当速かったが、悪魔達の回避もそれに引けを取らないくらいに速かった。

 即座にメーメンは身を逸らし回避、レオゼルも床に飛び込む形で回避する。

 ルーヴィックは撃ち続けながらも、部屋の隅に転がる銃へ走る。悪魔達もそのことには気づいている。ルーヴィックの銃弾とメーメンの炎が近距離で交差する。

 リボルバーを撃ち尽くし、滑り込むように床に転がるオートマチック拳銃を拾った瞬間。メーメンの掌より湧き立つように現れる炎がルーヴィックを襲う。すかさずコートを翻し覆うと、炎はコートに弾かれながらも衝撃でルーヴィックの体は回転しながら傍の本棚に激突した。

「炎を弾いた?」

「おそらくは何か細工がしてあるんだ」

 メーメンの言うとおりだ。悪魔対策は抜かりなど無い。コートには祝福の聖句を刻んである。悪魔の放つ炎では彼のコートを焼くことはできない(ただだからといって痛くないわけではない)。

 ルーヴィックはコートをはらい、反撃のため銃を向けるが、引き金をひく前。メーメンが床を力強く踏みつける。床は亀裂が入り、崩壊の音。


「マジか」


 ルーヴィックは言葉を発するか発しないかのうちに床は崩れ、ルーヴィックも一緒に落ちた。地獄まで落ちるのではないかと思えたが、そんなことはなく一階リビングに置かれていたソファの上に着地。だが、休むことなくルーヴィックは飛び起き、身を翻す。それは2階から落ちてくる炎を回避するため。先ほどまでいたソファはあっという間に無残な姿になり、さらに炎は部屋中を舐めるように広がる。

 ルーヴィックはテーブルの上に置いておいた小瓶を掴むと2階に投げ捨て、同時にそれを撃ち抜いた。

 砕け散り、霧散する粉末は、空気と反応することで発火。メーメンとレオゼルの全員を焼く。

「なんだ? この痛みは」

「銀の粉末も入っているだろう」

 体の内外両方から伴う痛みに悶えていると、1階からセージの煙が2階へと流れていく。

「メーメン、魔除けの煙だ!」

 慌てるレオゼルに、メーメンは忌々しそうに唸る。

「レオゼル。退くぞ」

 そう言って窓から出ようとしたが、出られない。窓に触れることができなかった。ルーヴィックが仕組んだのだ。逃げ道を探さなければ……。

 1階のルーヴィックは足音に耳を潜める。音からすると部屋を出て廊下へ出た所だ。階段正面の窓から逃げるつもりだろう。逃がす気はさらさらない。彼は火の手が上がる中を走り、ドアを蹴破り奴らの前に出られるように階段を駆け上がろうとした。が、それに気づいたメーメンが炎を放ち階段を壊していた。爆風で少し吹き飛ばされる。

 ルーヴィックのいる所からでは足音は聞こえても姿を捉えることはできない。

 階段正面の窓には魔除けも何もされていない。2体の悪魔は窓を突き破ろうと身を固めた時だった。経験で勝るメーメンが気付く。


 この窓だけ何もしないことがあるだろうか……? と。


「レオゼル、待て!」

 メーメンが叫んだ時には遅かった。

 勢いあまって窓に突っ込んだレオゼルだったが、窓に張ってある紐が彼の首に引っかかった。その瞬間、まるで電熱線にバターが触れたように彼の首は切断され、そのまま体は崩れ、灰と火の粉だけが残る。

 メーメンは悪魔の言葉で罵り叫ぶと、炎を1階に向かってがむしゃらに放つ。そして、そのまま窓から逃げた。

 炎の止んだ家の中で、伏せて身を守っていたルーヴィックが起き上がると、何かが軋む音に気付く。

「あぁ、マジか。勘弁してくれ」

 何かではない。家全体が悲鳴のように軋んでいる。

 ルーヴィックが天を仰ぐようにぼやき、外へ避難しようと走り始めた時にはすでに家は崩壊し始め、とうとうカーター教授の家は音を立てて全壊した。



「こいつは……奇跡だな」

 瓦礫の中から抜け出したルーヴィックは、完全に倒壊したカーター教授の家を見ながら呟いた。顔も服も髪も、倒壊の砂ぼこりで汚れてはいるが、目立った傷もない。だが、先ほどの戦闘でかなりの体力を消耗したので、腰を下ろして少し休む。

 しばらくすると騒ぎを聞きつけたスコットランドヤードが駆け付け、現場で呆けていたルーヴィックを連行した。

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