第5話:ヘンリー・プリーストの提案

 まだ食事時ではないため、食堂にはあまり人はいない。

 ルーヴィックは窓際の席に座ると、薄いスープに硬いパンを浸しながら齧りつく。

 濃い味が好きな彼にとって、このスープはお湯と大差ない。ただ、今は腹に溜まるのなら何でもよかった。第一、乗り慣れない船の揺れで常に吐き気と戦っている状況だ。味など最初から分からない。

 口に詰め込みながら、窓の外に広がる灰色で白波の立つ海(気分が落ち込みそうなほど荒れている)を眺めていると、不意に声がかかる。


「あの~」


 視線を向けてルーヴィックは驚いた。

 すぐそばまで近づかれたことに対してだけではない。

 そこには驚くほどに端正な顔つきの者がいた。持っている上質な傘を杖の代わりにしており、頭にはトップハットを被る、いかにも品の良さそうな出で立ち。しなやかで柔らかそうな金髪の前髪はウェーヴして顔端を伝う。筋の通ったハッキリとした目鼻立ちに、ツンと先がとがるような顎。一瞬、男か女か分からなったが、タキシードに似た服装や話し方、仕草などから男だと判断できる(むろん断言するには目の前の者の裸を見るほかないだろう)。

 その男が、ルーヴィックの瞳を見つめながら尋ねる。

「ご一緒しても、構いませんか?」

「ダメに決まってんだろ。失せろ」

 ルーヴィックは、相手が言い終わる前に、鋭くぶっきら棒に答えると、視線を男から海に戻して食事の続きに戻る。

 男はキョトンとして立ち尽くしていたが、しばらくすると近くの給仕を呼びつけて軽く何かを指示している。興味のないルーヴィックは特に見ることもなくいると、机に軽い衝撃があった後で男と給仕が小声で何かを話してから静かになった。

 面倒なことはごめんとばかりに、軽くため息を吐いて視線を戻したルーヴィックは思わず口から「は?」と漏れた。

 男はそばにあった机をルーヴィックの机の隣にくっ付け、そこに腰を下ろしていた。

「ご一緒は嫌だとおっしゃたので」

 男は運ばれてくる紅茶に口を付けながらニコリと笑って見せる。

 しばらくの見つめあいの後、先に男が口を開いた。

「あー、ルーヴィック・ブルー連邦保安官?」

「捜査官だ。間違えるな」

 ルーヴィックは相変わらず笑みを見せる男の発言を訂正した。それ以上は話さずに疑心の眼差しを向けると、男は気付き慌てるように口を開く。

「失礼、私はヘンリー。ヘンリー・プリーストです」

 そう言いながら、ヘンリーは片手を差し出すが、それは無視だ。

「少し早いですが、イギリスへようこそと言っておきます。ようやく粗暴で野蛮なアメリカを後にして、祖国へ帰れると思うとホッとします」

「何者だ?」

「スコットランドヤード(ロンドン警視庁)です。今回は要人の警護のため、アメリカに来てました。あなたの噂は聞いてます」

 そう言いながらヘンリーはシルバーのバッジを見せる。

「いい噂ならいいが」

「あぁ、あなたにいい噂があるとは存じませんでした……冗談です」

「構わないさ。しかし、いつからロンドンでは、男娼も警察になれるようになった? 人不足か?……冗談だ」

 あいさつ程度のやり取りはここまでだ。

「それで? スコットランドヤード様が何の用だ?」

「それはこちらのセリフですよ。ルーヴィック。一体、ロンドンに来て何をなさろうとしているのですかね? とても気になります」

 初対面でいきなりファーストネーム、しかも呼び捨てとはいい度胸だ。

「休暇だ」

「それにしてはかなりお急ぎでしたね。急にイギリスに行こうと思い立った?」

 どこまで調べているのか、ヘンリーはルーヴィックについてある程度知っているようだった。

「ではヘンリー。こう答えよう。産業の頂点に君臨する偉大なイギリスを一目見ようと訪れる外国人は、そんなに珍しいか? それとも、諸外国からの訪問者はお嫌いかな?」

「まぁ、嫌いではありませんよ。ただ止めどなく移民を受け入れるような節操なしではないだけです」

「紳士淑女の皆さんには外から来た人間の空気は合いませんかな?」

「元々が植民地の寄せ集めでは、そこら辺が疎くなるのは仕方ないですね。やはり紅茶を飲まないような文化では、気品は養えません」

「乾燥した葉っぱをお湯で煮た汁だろ。高いだけの色の付いた湯じゃねぇか」

「あぁ、薄い泥水のようなコーヒーばかりでは、味もわからなくなるでしょうね」

 なんとも人を小馬鹿にした、ああ言えば、こう言う奴だ。

「このままあなたと話していたい気持ちはありますけど、そろそろ本題に戻りませんか?」

「むしろこうしよう。俺は部屋に戻る。味の分かるお前は、ここでゆっくり紅茶でも飲んでろ」

 ルーヴィックは残りのパンを口に頬張ると席を立つ。


「モルエルのことは残念でした」


 その言葉に、ルーヴィックは雷に打たれたかのように動けなくなった。

 ヘンリーの顔は先ほどまでの人をからかった面白がる無邪気さが消え、どこか切なげな笑みになっている。

「何者だ?」

「先ほど申した通り、スコットランドヤードのヘンリーです。ただ、ロンドンでは、あなたと同じようなことをし、今回はあなたと同じものを追っています。モルエルとは……古い友人でした」

 そしてヘンリーが続ける。

「天使が死んだ。あってはならない事態です。今回はあなたが思っている通り、いえ、それ以上に危険な事件でしょう。敵は強敵です。一人では敵わない」

「だから、手を組みたいと?」

「あなたの噂は聞いていると言ったでしょ? 優秀なハンターだと聞いています」

「じゃぁ、俺があまり人と組まないのも聞いてるか?」

「ロンドンでは自分の国のようには動けませんよ。でも、私が一緒なら、話は別です」

 ルーヴィックは思案するような仕草を見せるが、結論はすでに出ていた。ヘンリーの言うとおりである。現地の者が手伝ってくれれば、それほど心強い物は無い。だが、簡単に彼を信用していいものか。

「なぜ、すぐ俺に接触してこなかった」

「十分すぐに接触したつもりでしたが……まぁ、あなたを調べていました。あなたは天使の死んだ現場にいた。今、あなたが私に抱かれているのと同じ気持ちがありました。つまり、信用できるのか? あなたがこのイギリス行きを急に決めても対応できた理由もそこにあります」

 ヘンリーの言うことは正しい。が、このタイミングでの接触は怪しいと言えば怪しい。

「それで、先ほどの返答は?」

 問いかけるヘンリーだが、返答が無いことを確認すると続ける。

「確かに先ほどの無礼の数々は謝ります。しかし、今は互いにいがみ合っている場合ではないことは、あなたならば分かるはずです」

 紅茶を一口飲んだヘンリーは、軽く唇を舐める。

「今回の事件の裏にある目的は、今までの規模とは比べ物にならない。もしかしたら、天使と悪魔は再度戦争を始める可能性だってあるんです。いえ、今回の事件を止めなければそうなるでしょう。そうなった時に人間界はどうなるんですか? この世界は混沌と混乱、欲望と絶望の坩堝になるんです。そうしないためには、誰かが止めなければならない。では誰が止めるのですか? 私達でしょ!」

 舌に油でもさしているのではないかと思うほどに、饒舌にヘンリーは話す。

 それを黙って聞くルーヴィックにも、彼が言いたいことは分かっている。

 誰も止めてなどくれない。天使に期待するのも皆無だ。天使は自ら動くことなど無い。奴らは良い言い方をすれば導くだけだ。悪く言うならうまく操る。天使達にとっては、世界という盤を眺めながら駒を動かす、チェスをしているようなものなのだ。だからこそ自分達で何とかする必要がある。この事件に一体どれほどの人間が気付き、関与しているのかはルーヴィックには分からない。ただ、言えることは自分、加えて言うのならばヘンリーは最も事件に近づいている人間達の一組なのだと思われる。


 事件は加速している。


 こういう時の自分の勘をルーヴィックは大切にする。

 ヘンリーの登場は、ルーヴィックにとってそれを顕著に感じさせずにはいられない。原因は天使が死んだせいか、それとも事件の確信へと近づいているせいかはまだ分からない。ただ、イギリスへ向かうという行為はどうにも、イギリスの児童書になぞらえて言うのであれば、ウサギの穴に転げ落ちていくような気分だった。穴の底に待ち受けるのはイカれた帽子屋か、それともニヤニヤとやらしく笑う猫か……どちらにしても、ルーヴィックは考えうる限りの可能性を考え、対処法を見つけ、イメージを浮かべて置くだけだ。

「私がいればどこに行くにも迷いません。それに滞在中は私の部屋を使ってくれて構いませんし」

 考えに耽っていたルーヴィックが気付くと、ヘンリーはまだ話続けていた。このまま放っておけば、黙示録のその時まで話続けているかもしれない。まぁ、今回、自分達がしくじれば思いのほか、その黙示録は早く来るかもしれないが。

「うるせぇな。いつまでしゃべってるんだ」

 ルーヴィックの鬱陶しそうな声に、ヘンリーは押し黙り次の発言を待っていた。そんなヘンリーを見ながらルーヴィックは頭を掻く。何度も言うが、すでに答えなど出ているのだ。

「イギリスに着くまでに、その口はもう少し大人しくさせとけよ。ジョンブル」

 それを自分の申し出に対する肯定と受け取ったヘンリーは、背筋を伸ばし紳士らしくお辞儀をする。

「そちらこそ、乱暴な言葉遣いは控えてくださいね。ヤンキー」

 ヘンリーは紅茶を飲み干すと優雅な動作で椅子から立ち上がるとハットを被り、嬉しそうに笑みを浮かべながらルーヴィックと肩を並べ、食堂をあとにした。


 イギリスへ上陸前に、ルーヴィックは相棒ができた。

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